第25話 幼少期編25 呼び出し

 十年の節目アルフ・ティアの翌日の朝。

 僕は清々しい気分で目を覚ました。天気は快晴。今日も白と緑の光が多い。

 最近はよく晴れている影響か、青い光――水の精霊たちの姿が少ない傾向にある。とはいえ、一時的なものだろう。雨が降れば、彼らは途端にその数を増す。


 ベッドから降りて服を着替える。僕の朝は結構早い。毎朝、近衛軍の兵に混じって早朝訓練をしているからだ。

 昨日、コルネリアに素晴らしい剣を貰った僕のモチベーションは高い。

 

 動きやすい服装に着替えた僕は、自分の机に置いてある白箱を手に取った。中には昨日、フェリシアからもらった黄金色のペンダントが入っている。僕はそれを手に取って、相好を崩した。


 あのフェリシアがプレゼントをくれるなんて!


 心の声は出さず、僕はペンダントを大事に自身の首にかけた。

 この時の僕の心は、幸せの絶頂と言ってよかっただろう。見るものすべてが楽しく見えるという感情は、今世ではそう多々あるものではない。

 だけど。幸福っていうのはそう長くは続かないんだ。

 


 「アーノルド・ドライ・フォン・ノルザンディ様より、グレイズラッド・ノルザンディ様に招集の令が出ております」



 近衛の兵に混じって訓練していた僕の元に届いたのはそんな言葉だった。本家の使者が淡々と述べるその言葉を僕は呆然と聞いていた。

 クソ親父アーノルドとは今まで二度しか出会ったことがない。最後に会ったの降臨の儀の時だ。

 あれから3年、音沙汰のなかったクソ親父アーノルドの突然のである。

 軽快だった心の安寧が崩れ去っていく。忌み子たる僕に対して、クソ親父アーノルドが命令を下すというその意味。僕は確信していた。

 

 絶対にろくな事じゃない、と。



 *




 実に4年ぶりに訪れたノルンの屋敷――ノルザンディ家の本家。その様相は、僕のかつての記憶からそう変わってはいなかった。

 街で一番大きなその建物は相変わらず、ノルザンディ家の権威を象徴するようだった。

 

 僕の足取りは憂鬱だった。

 僕は本家の廊下を歩いていた。向かう先はアーノルドの書斎部屋、そこに来いとの伝令があったのだ。父の元へと歩く僕の足は重い。まるで沼地を歩いているかのような鬱屈さだった。

 現状の気分は最悪だが、若干よかったこともある。

 

 それは、コルネリアフェリシアと共にこの家に来られたことだ。イースタンノルンからノルンまでは馬車で半日ほどの時間がかかる。その道中が1人というのは中々に苦痛だろう。それに、思いがけず家族との時間が増えたのも良かった。後で弟にも会えるかもしれないし、悪いことばかりではない。僕はそう自分に言い聞かせた。

 ほどなく、アーノルドの書斎部屋の前へと到着する。目の前にはずっしりとした大きな扉がある。そこには天高く剣を掲げる女性の絵が彫られていた。この国の国教である<英雄教>、その偶像たる<救世の聖女>だろう。


 僕は手を合わせた。

 

 僕が今も生きながらえているのは、この宗教のおかげだ。その起源となる彼女に、僕は少なからず感謝をしていた。


 「さて、と」


 僕は自分の顔を叩いて自らの心を叱咤すると、意を決して扉を叩いたのだった。




 「入れ」という低い声に招かれて、僕は部屋へと入った。


 「失礼します」


 入った瞬間に僕が感じたのは圧迫感だった。王国の東部を任せられるほどの大貴族の部屋は、そう小さいものではないはずだ。だが、部屋中所狭しと並べられた書物が視界に映る空間を狭くしている。

 書斎机にアーノルドはいた。机上には多数の書類が積み上げられており、彼の大きな体が隠れている。


 僕は二歩ほど前に出て貴族の礼をする。右膝をつき、左手は床に。右手は心臓に。流れるような動作で僕はこうべを垂れる。


 「グレイズラッド・ノルザンディ、命を受けここに参上致しました」

 

 この10年でこの国の礼節は修めた。発揮できる場所にはおおよそ遭遇したことがないが、いまさら難渋することもない。


 「……相変わらず、不気味なほどに賢しいな。本当に忌々しい」

 「…………」


 アーノルドの開口一番は、随分な言い草だった。呼びつけておいて、この態度である。忌々しいのはこちらのセリフだと言いたい。

 だけど、僕は黙って次の言葉を待った。

 アーノルドは無言の僕を気にする様子を見せない。ただただ嫌味を言ってきただけみたいだ。ほんと、何をさせたくて呼びつけたんだか。

 今なお僕は自分が呼び出される理由に心当たりがなかった。


 だから、続けてアーノルドが放った言葉に僕は少し面食らってしまった。


 「<王族辺境訪問>は知っているな?」

 「……はい」

 

 アーノルドの言葉に僕は頷く。


 王族辺境訪問。

 それは、王族が節目を迎えた時に行う行事である。


 王族が10歳や成人である15歳に達したとき、この王族辺境訪問を行う。

 王国の東西南北を練り歩き、社会の見識を深め、民に次代を担う王族のお披露目をするのだ。

 だが、王族が地方を訪れるというのは無論のことながら一大事である。その地方の辺境伯や貴族たちがその歓待に駆り出されるのだ。


 また、辺境伯は歓待と同時に護衛の大半も任される。王族辺境訪問に王族が連れてくる兵は小規模だ。長きにわたり地方を渡るコストを鑑みてのことなのだろうか。その代わりに辺境伯とその地方の貴族がわりを食うことになる。王族に何かがあればその土地の貴族に大きな責任が伴う故、彼らはいたずらに集めた兵を護衛にすることができない。その結果、この国の辺境伯は皆、常備軍の組織を余儀なくされている。


 軍というのは非常にお金がかかるものだ。維持をするのはもちろん、動かすのにも莫大なお金がかかる。国中のお金が集まる中央部――すなわち王家ならいざ知らず、限られた土地しか持たぬ地方の貴族には少々重たい負担だ。

 見聞やお披露目は目的と同時に建前なのだ。彼らは地方貴族が力を付けすぎないようにちょうどよい塩梅で締め付けている。


 常備軍を作らせることで、国の戦力をある程度維持し、お金という面で辺境伯にくさびを打つ。また、王族は有用な魔術師をほとんど独占している上、王族直轄の軍も保有しているため、地方貴族が戦力的に対抗するのも難しい。むしろ攻め込んで負けでもしたら、それこそ封建制度は崩壊するだろう。誰が考えたのかはわからないが、随分としたたかな制度である。

 

 相変わらずの悪人顔を浮かべながら、アーノルドは淡々と話し続ける。


 「第三王女の<王族辺境訪問>が近々行われる」

 「……第三王女様、の」

 

 それは聞き覚えのある響きだった。今代で僕と同じ金色の目をもつ王族。かつての英雄、救世の聖女の正当な後継者と呼ばれる者。

 

 第三王女――アリシア・ヴィターラ・サン・ルーフレイム。


 僕とは対照的に、現代の聖女と謳われている人物だ。

 

 「…………」


 だが、僕の中で疑問が沸き起こる。

 なぜ、そんな話を僕にする? 忌み子である僕にこの話をする理由が、僕には見当もつかない。

 アーノルドにとって僕の存在は足枷であり、この重大な行事に僕を関わらせるメリットはないはずだ。


 だが、僕の葛藤はいざ知らず、アーノルドは話し続ける。

 

「……<王族辺境訪問>の慣習は知っているな?」

 

 その言葉に僕は静かに首肯する。

 王族辺境訪問は慣習として、辺境伯の当主自らが受け入れ、歓待する必要がある。そのことを言っているのだろう。

 

 そこまで話して、無表情だったアーノルドの顔が少し歪んだ。そして続く言葉に僕は驚愕することになる。


 「アリシア様の<王族辺境訪問>――お前が担当しろ」

 

 思わず僕は瞠目した。正気なのか。この男は。

 

 ……確かに、この国には『王族の出迎えは辺境伯の嫡男、あるいは庶子であればことができる』という慣例がある。


 王族辺境訪問は慣習として、貴族自らが受け入れ、歓待する必要があるが、いついかなるときもできるわけではないからだ。


 王族の受け入れは他貴族――別の辺境伯から直接引き継ぐ必要がある。つまり、辺境伯同士で連絡を密にし、領土の境界線まで王族を出迎えに行かなければならない。その間は行軍に付き、長い時間拘束されることなるのだ。


 だが、辺境伯ともなるとその業務は多忙を極めるゆえ、場合によっては当主自ら赴けない場合がどうしても生じる。故に救済措置ともいえる風習があった。


 彼は忌々しそうに毒づいた。


 「ちょうど中央集会に呼ばれた。私は歓待が出来ん」


 北辺境伯のクソ爺が、とアーノルドが吐き捨てる。ちなみに中央集会とは東西南北の4人の辺境伯と王族、そして教会の最高司祭が集う会議のことだ。


 なるほど。アーノルドは中央集会を優先する必要があるから、この行事に当主として参加できないのか。


 だけど僕はまだ腑に落ちない。それならば王女の歓待は僕ではない、嫡男か庶子に頼めばいいからだ。アーノルドの子供は僕以外にもいる。忌み子と呼ばれる僕を、わざわざ採用する理由はない。


 だが、アーノルドが僕の心を読んだように薄く笑った。


 「指名だ」

 「……は?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。……今なんて?


 「王族側がお前を指名した。だからお前が行け」

 「……それは、何かの間違いでは?」

 「……事実だ」


 重苦しくそう言ったアーノルドは仏頂面だ。

 その言葉を受け取った僕は……困惑していた。

 これは、どう受け取るべきだ?


 最初に思い浮かんだのは、王族側が仕掛けてきたということだ。王族以外で金眼を持つ僕を始末しに来た、それはとてもしっくりくる考えだった。


 「いくつか質問よろしいでしょうか?」

 「……よかろう」

 「その指名は、第三王女アリシア様の?」

 「いや、姫様の意向は聞いていない。あくまで、王からの言伝だ」


 ならば、指名したのは他の王族か。アーノルドの言葉に僕の予想の信憑性が増していく気がした。


 「僕は忌み子として認識されている、それは確かですよね?」

 「無論だ。お前は教会に忌み子として認定されている。教会は国家の中枢に近い。ゆえに王族はお前のことを把握している」

 

 王族が僕を忌み子と知らない、という線はなさそうだ。それどころか、アーノルドの話し方だと僕のことはこの国全体に広まっていそうな気がした。こんなに僕は静かに生きているというのに、ひどい話である。


 それにしても、僕を忌み子と認定していたのは教会だったのか。特に知らされなかったから、気づかなかった。


 ということは、僕は教会に忌み子とされて、教会の教えで生かされている、というなんとも矛盾した状況にいるということになる。なんだそれ。

 教会の不思議な矛盾に僕の頭を「?」が飛び交った。


 「ともかく、だ」


 アーノルドが言葉を切った。


 「アリシア様の<王族辺境訪問>は可能な限りお前が対応しろ」

 「……どこまで、ですか?」

 「全部、だ」


 アーノルドのまじめな声音に、「正気か?」と声にでかかるのを必死で抑えた。


 王族辺境訪問は地方の貴族が全力を以って受け入れる一大行事だ。その間の護衛はもちろん、回る街、パレードを行う場所など。その全てを貴族側がセッティングをする必要がある。その草案を全て任せるとこの男は言ったのだ。忌み子であるこの僕に。


 「とはいえ、お前も成人には程遠い。全体の計画を期日までに私に提出すれば、それで良い。関係各所への手配や護衛の振り分けなどはこちらで行う」


 ……それならまだ、できそう、かな? それでも大変なことに変わりはないけど。


 「王族の指名がある以上、お前をこの計画にどこかで関わらせる必要がある。だが、お前を交渉の場に出すわけにはいかん。いずれ民草に知られることとなるにしても、それは今ではない」

 

 一人呟くようにアーノルドが言った。その顔はどこか疲れているように見える。こいつにも色々と心労があるのかもしれないな。

 僕を睨みつけるように、アーノルドが命令を下す。


 「麒麟児、なのだろう? 悪魔らしい知性でどうにかしろ」

 「……承知、しました」


 前言撤回。心労がなんだ。最後まで嫌味しか言えないのか。

 「退け」という冷たい言葉を受けて、僕は部屋を退出した。心の中で舌をだすのを忘れない。いつか本気で文句を言ってやる。


 それにしても。それにしても、だ。

 王族の指名による大仕事。これは間違いなく僕にとって利のない思惑が働いている。

 やはり、クソ親父アーノルドの命令は碌なものではなかった。本当に随分な厄介事だ。

 

 僕は扉の救世主に目を向けた。勇ましく剣を突き上げる彼女の目に、どこか憐憫と懺悔の念を宿しているような気がした。


 絵にまで同情されるのか、僕は。

 心の中でそうぼやいた僕は、疲れたように天井を仰いだのだった。

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