第22話 幼少期編22 異常事態

 視界はすぐにクリアになった。

 僕は自身の体を確認する。手と足を動かしてみるが、なにも異常はない。周りを見渡したが、そこは変わらずに大樹に覆われていた。

 ただ違うのは。

 あれほどまでにたくさんいた光たちの姿が。それがどうにも不気味だ。

 

 「なんだったんだ?」


 口に出しながら、僕は自分の迂闊さを呪っていた。僕の眼は魔術、あるいは精霊が関わるものを見抜く力がある。理屈はわからないがそれは確かなことだ。だから注意深く見ていれば、先ほどのも見抜くことができただろう。

 とはいえ悔やんでも仕方がないことではある。

 後ろを振り向くと、シラユキも同じように周りを見ていた。彼女も無事だったようだ。

 

 「シラユキ、だいじょうぶ?」

 「ご主人さま、だいじょうぶで――」


 言いかけたシラユキの顔が急速にこわばると、僕の手を引いて前へと躍り出た。

 唐突なシラユキの動きに虚を突かれて僕は転びかける。


 「シラユキ、なにを――」


 そう言って振り向いた僕は顔をひきつらせた。

 僕を守るように構えるシラユキの視線の先。

 そこには。


 ――金色の眼が大量に浮かんでいた。


 数えきれないほどの数の瞳。それが、僕らの視線の先にはいた。

 シラユキの耳が逆立つように揺れる。

 瞳は僕たちを見つめていた。肌が泡立つような感覚。背筋に冷たい汗が流れる。


 金眼はゆっくりと移動し始めた、徐々に徐々に僕らに近づいてくる。その容貌は大樹の陰に隠れ、よく見えない。

 いや、違う。暗いのではない。影が不自然なほどにのだ。

 そして僕は気づく。この森全体が不自然なほど暗いことに。僕の眼は夜でも鮮明にものを映す。その僕が見えない暗闇がここにはある。

 それは間違いなく、ことを示していた。

 緊張に息を吐きながら、僕は相棒たちを呼ぶ。

 

 「スイ、アイ」


 僕の呼びかけに、しかしスイとアイは応えなかった。

 

 「ちょ、スイ! アイ!」

 

 再びの呼びかけにも応えない。ただ、不思議そうに金色の眼のほうへと彼らは近づいていく。

 心うちにあったわずかな余裕が砕けていく。魔力の色を持たない僕は、僕一人では精霊術を発動できない。精霊の協力が必要不可欠だ。

 

 金色の眼を持つ者の正体はおそらく魔物。それが多数。この危機的な状況にも関わらず、動かない二人に僕は怒ったように声を張り上げた。


 「スイ‼ アイ‼」

 

 すると、声を聞きつけたアイが静かにこちらにきては困惑気に光を霧散させた。目線の先の金眼たちは相変わらずゆらゆらと揺れてはこちらに徐々に近づいてくる。だが、いつまでたっても襲い掛かってくる気配がない。

 

 様子がおかしい。僕が瞳に目を凝らした直後だった。

 目の前にいたシラユキが唐突に視界から消える。

 否、彼女がその場で高く飛んだのだ。

 上を見上げた僕の眼には大樹に飛び移ったシラユキの姿が捉えられていた。

 そして、大樹を蹴った彼女は重力の力を借りながら突貫する。


 


 「シラユキ!?」


 シラユキの銀色の瞳が捉えていたのはまさしく僕だった。

 彼我の距離はわずか。いつの間にか手にしていたナイフを僕めがけて振りかぶってくる。


 「ご主人さまから離れなさい!」


 その言葉と共に振り下ろされたナイフを僕は紙一重で回避した。左に倒れこむようにかがんだ僕に、流れるような所作でシラユキは追撃してくる。その予兆を視界の隅で捉えた僕は、自身の左手を起点に飛びのいた。僕のいた場所を彼女の横蹴りが空を切る。

 急な展開に混乱する頭を、しかしシラユキは待ってくれない。即座に体勢を立て直したシラユキは、驚異的な膂力で地面を蹴り上げると、爆発的な速度で僕へと迫ってくる。

 このままだと、まずい。


 出会ったころより成長したシラユキの近接戦闘技術は並大抵のものではない。この一年で彼女の強さはさらに上の段階へと進んでいる。特筆するは彼女の獣人特有の能力。力の強さ。瞬発力。動体視力。その全ては普通の人間をはるかに凌駕するものとなっていた。いわんや、9歳の人間である僕が身体能力でかなう部分は何一つとしてない。


 そんな彼女が全力で僕に迫りくる状況。はっきりいって大ピンチである。冗談抜きで死にかねない。

 

 「待って! シラユキ!」


 叫んだ僕の言葉にシラユキはピクリとも反応しなかった。

 僕は「スイ、アイ!」と叫びながら、真横へと体を転がした。

 直線的に飛んだシラユキは僕の横をすり抜ける、しかし即座にその先の大樹へと到達。壁を蹴るような要領でこちらへ飛んでくる。

 蹴り上げた衝撃で大樹にひびが入るのを僕は見た。思わず顔が引きつる。

 迫るシラユキの眼は正気に見える。それは彼女の言葉にも表れていた。


 「ご主人さま、さがっていてください!」


 それは僕ではない誰かへと告げた言葉。いや、違う。シラユキはおそらくに告げているんだ。ただ彼女からは


 再び迫るナイフ。身体能力で劣る僕はそう何度も彼女の猛攻を凌げない。彼女の連続攻撃は非常に早い。体勢を立て直す間もなく、追撃が来る。二振り目のナイフを躱した僕の眼前にシラユキの拳が迫る。彼女の全力の殴打。間違いなく顔が陥没する。絶対に受けられない一撃。僕は大きく息を吸い込んだ。


 【<風精の跳躍Spiritus ventus, effer>】


 それは力を持った言語の羅列。諳んじた言葉は超常の力となってこの世に現界する。緑色の光が煌めくと同時。

 僕の体は勢いよく後方へと飛んだ。

 シラユキの拳は空を切った。大気が押し出され、僕の顔に吹く。拳で風を生んだという衝撃に、僕は遅れて心臓がバクバクと音を立てるのを感じ取った。今の一撃は当たっていたら本気で死んでた。


 僕がちらりと横を見ると緑の大光スイの姿がある。異常を察知した彼が、殴られる直前に僕の元に駆けつけてくれたのである。間一髪だった。

 精霊術で距離をとった僕は、注意深くシラユキの様子を見ながら思案する。

 さて、どうしたものか。


 彼女はおそらく幻覚、あるいは精神干渉のようなものを受けている。闇の魔術や、精霊術にそういったものが存在するのを僕は知っていた。だからどうにか彼女を正気に戻さないといけない。だが、どうやって?

 

 幻覚や精神干渉のようなものに対する有効な対処法、それは同様のものをぶつけること。すなわち目には目を。歯に歯を。精神干渉には精神干渉を。というわけである。

 今回の場合は光の魔術や精霊術により精神を落ち着けることがより良い対処法となる。

 だが、その光の魔術の使い手はどこにいるのか。無論のことながら、魔力に色を持たない僕は使えない。光の精霊に力を借りる手はあるが、なぜかこの周囲一帯は光の精霊のみならず、精霊がまったくいない。つまり、使うことができないということを意味する。


 となると残る対処法は。

 

 ――力技物理攻撃のみ。


 シラユキを痛めつけるのは気が進まないけど、仕方ない。

 と、ここまで考えて僕ははっと周囲を見渡した。そもそも、ここに来た時に現れた金眼の持ち主たち。そいつらはどうなったのか。

 彼らはすぐに見つかった。いや見つかるなんてものではない。四方八方あらゆる場所からその瞳は僕らを覗いている。

 あまりの気味悪さに全身が震える。だが、僕の視界の先にいるシラユキは意に介した様子がない。まるで僕しか見えていない、そういわんばかりだ。

 彼女が姿勢を低くするのと同時。僕は見た。

 黄金の瞳の奥。そこに揺らめくを。


 「なるほど、ね」


 シラユキの跳躍を視界に捉えながら、僕はこの状況を打開する一手を打つ。


 【<風精の跳躍Spiritus ventus, effer>】


 諳んじた僕の体は勢いよく空へと昇っていく。青いはずの空は天高く飛ぶにつれてだんだんと黒ずんでいった。僕は目を凝らして気づく。その黒色の全てが、黒い陣の羅列であることに。これは――精霊術の言語だ。

 

 僕は眼下の森林に目を向けた。無数の黄金色の瞳が大樹の中で煌めいている。その一つ一つに黒い煌めきが灯っている。

 そして確信する。あれは魔物などではない。

 

 「精霊術だ」

 

 黒い精霊術。つまり、闇の精霊術。


 大樹を転々と蹴り進んだシラユキが高く跳躍した。そのまま白い光を魔術として現出する。

 そうして足元に現れた白い光の壁を、彼女は

 まさかの空間跳躍。獣人族の身体能力のなんと恐るべきことか。


 だが、彼女との彼我の距離は遠く。そして、シラユキは空中に身を躍らせている。これは好機だった。

 

 「アイ、スイ」

 

 僕の周りに緑と青の光がやってくる。

 呼吸を整えて、僕は口を開く。

 

 【――Inquam. Fontem aquae magnum afferens ad proprium nostrum】


 青い幾何学陣が僕を取り囲むように現れる。アイの魔力は僕を伝って、陣を光り輝かせていく。

 

 【aquam. aquam. O aqua de radice】


 輝きは増していく。侵食するように、白い冷気が広がっていく。

 

 【Est mundus frigidus, qui concrescit】

 

 求めるのは、眼下の金の瞳をすべて消し去る極限の力。闇の精霊術が干渉できない状況を作ることができれば。

 

 【Sile huic mundo torpore blizzard velut inferni】


 詠唱の最終段階。水の魔力が極限まで膨れる。無秩序を理を以って収束していく。


 【氷精の大吐息spiritus aquae, flatu gelido, mundo praefrigido


 ついの言葉と共に、魔力は意味を持つ。蒼白の魔力が放出されると共に、藍色の陣が瞬くまに同心円状に広がっていく。この森の全てを塗りつぶすがごとく。眼下で跳ぶシラユキが、僕の姿を見て目を見開いた。

 

 そして――世界は真っ白に染まった。






 一瞬だった。

 靄がかかったような意識が冷や水を浴びせられたかのようにはっきりとした。

 目の前に映る魔物。その姿が瞬きの間に親愛なる主人グレイズラッドに変化した。

 見間違いじゃなかった。現実だった。

 呆然とするのも束の間、自分の意識が現実へと追いついていく。

 

 ――自分は何を、していた?


 背筋が凍り付く。

 脳は考えることを拒絶していた。だが、シラユキは自身に問いかけてしまうのだ。

 自身の手足、武器、その全てが向かっていた先はどこだったか。


 「わ、わたし、は」


 声が震えてうまく出なかった。体が脳の反応を拒絶するように。体が、動かない。

 

 その時だった。


 この身に受けていた風が止まった。

 

 目線の先、主人グレイズラッドの姿が小さくなっていく。

 背中に吹き付けるは極寒の風。吐きだした息は白かった。

 視界から主人グレイズラッドが消える。

 見えるのは、真っ白に染まった大樹たち。土は雪に隠れ、一面冬景色だった。そこにはあのはいない。


 吹き付ける風はつよくなっていく。自身の速さが増すのを感じた。

 

 シラユキは目を閉じた。それは自身の犯した罪による贖罪だった。

 彼女を苛む罪の意識が、生への執着を拒絶していた。

 

 そうしてシラユキは。

 落ちて、落ちて、落ちて。

 落ちて。


 …………。

 ……。


 来たるべき衝撃は訪れなかった。

 気が付けば風はやんでいた。

 重力に逆らうように自分の体がその動きを遅くしていく。

 そして、優しく抱き留められた。

 この匂い、この感覚。

 ああ、間違いない。


 「シラユキ、大丈夫?」


 聞きなれた声が耳朶を打つ。シラユキは恐る恐る瞼を開いた。

 そこにはシラユキの主人グレイズラッドがある。

 同時に自分の顔が青ざめていくのが分かった。震える声と共に、視界がぼやける。


 「も、もうしわけ――」

 「シラユキは悪くないよ」


 あっけらかんと、主人グレイズラッドはそう言った。

 その声でその言葉を聞くと、本当にそんな気がしてくる。

 なおも続けようとした謝罪の言葉は、彼によって制された。

 そして彼は続ける。とびきりの怒りの色を以って。

 

 「悪いのは――この精霊術の主だよ」


 ひぅ、と息をのんだ。

 悲鳴は聞こえなかっただろうか。

 贖罪の気持ちよりも先に、主人グレイズラッドの纏う気配があまりにも恐ろしく見えた。


 【――Inquam.Originem magni venti reducens ad nos】


 聞きなれない言語だった。だけどシラユキには想像がついた。これは主人グレイズラッドが使うと話していた、精霊術という名の力だ。

 この世の全てに語り掛けるように、主人グレイズラッドは歌うように言葉を紡ぐ。

 

 【ventus, ventus.Ventus ab radice】


 【Vehemens ventus mundum inundans omnia destruit】


 【Fieri typhon et manifesta】


 言葉を重ねるたびに、重圧が増していく。得も言えぬ緊張感。シラユキは呼吸すら忘れて、自分の主人グレイズラッドを見つめていた。

 そして。


 【――fpiritum ventorum. suscitabo procellae!】


 瞬間、シラユキ達を中心として巨大な風の渦が出現した。


 風は大樹を根こそぎ吹き飛ばし、見る見るうちに広がっていく。真っ白に染まった世界が徐々に崩壊していく。

 暴虐の嵐とでもいうべきそれは、木々を土を雪を吹き飛ばし、巻き上げていく。だが、シラユキはそよ風の1つも感じるとることができない。 

 まるで別世界を俯瞰して見ているかのような現実感のなさ。

 呆然とそれらを眺めていたシラユキは乾いた音を聞く。


 ――パキッ

 

 そして文字通り、世界は崩れ去った。

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