第89話 訪問

<ハジメ視点>


「……終わった」


 真夜中の海辺で一人、俺は呟いた。

 横にはテントが張ってあり、その前でたき火が燃えている。


 魔導書の勉強を始めて半年余り。

 ずっと勉強していた。

 その努力がついに、終わりを告げた。


 魔導書を、解読し終わったのだ。

 いくつかの興味のない分野については飛ばしたが、かなりの部分を会得した。


 ……長かった。


 魔導書は、魔術ごとに項目が分かれている。

 その中で興味があるものを選び、ひたすら本を読んだ。

 だいたいどの魔術も、理論を頭で理解するのに10日ほど。

 それを実践するのにさらに10日ほどかかった。


 練習は海辺で行った。

 理論を学んだら海へ移動し、沖へ向かって魔術をぶっ放す。

 そんなことを、昼夜を忘れてひたすらに繰り返した。


 つらかったかというと、そうでもない。

 正直、楽しかった。

 自分の行えることが、一足飛びで増えていく感覚。

 その虜になっていて、気づいたら半年が経っていたような感じだ。


 さらにその副産物として、この半年で本に書いてない新たな魔術も身に付けた。

 魔術と言っていいのか微妙なところだが。

 とにかく、更に魔術行使の能力が高まった。


 まだ理解できていない部分もあるが、それはもういいだろう。

 俺は別に魔術研究者になりたいわけじゃない。

 これ以上の研鑽は不要だ。

 もう満足した。


 ……あとは、得た力をどう使うのか、だ。


 過去を知ってから、少しずつ俺の中に育っている思いがある。

 それは時が経っても消えず、大きくなるばかりだ。

 勉強に時間を費やして、それを真正面から見つめる事は避けてきた。

 しかし勉強が一段落した。

 これから自分の内面としっかりと向き合って、今後の方針を決めよう。


 星を見ながら、その夜は眠った。



 ―――――



 翌日。

 村に戻ると、なんだか騒がしかった。

 若い男たちが声を荒げている。

 何人かは顔見知りだ。


「俺、初めてあんな美人を見たぜ!」

「あれが都会の美女っていうんだな!」

「俺なんか、道を聞かれたもんね!」

「うるせえ馬鹿ども! ニーナちゃんの方がかわいいだろ!」

「でももうニーナちゃんもジャックが……」

「……俺はまだあきらめてねぇからな!」


 なんだろうか。

 聞き耳をたてた限りでは、すごい美女が村を訪ねたようだ。

 それで盛り上がっているのか。

 一部ニーナ派閥も存在するみたいだが。


「なぁニッケス、その美女って何?」


 近づいて聞いてみた。

 男たちが一斉にこちらを向く。


「あ、ハジメじゃねぇか! 死ね!」

「ハジメ、いい天気だな。死ね」

「お前、ニーナちゃんと暮らしてるくせに、あんな美女まで! 死ね!」

「なぁ、俺の事、ニーナちゃんに取り次いでくれねぇか? 金は払う」


 罵詈雑言を浴びせられた。

 ひどい言われようだ。

 昨日までは普通に仲良くしていたのに、この変わりよう。

 全く身に覚えがない。

 一部違うやつも混じっているが。


「ちょっと待てよ、何の話だ?

 お前らになじられる理由が分からないんだが」

「あ?

 ネタは上がってんだよ。このクソが。

 ついさっき、絶世の美女が二人、お前を訪ねて村にやってきたんだっつーの。

 俺達で案内して、今はお前の家にいる。死ね」


 美女が二人?

 俺を訪ねてきた?


「……もしかしてその二人って、銀髪のツインテールと、金髪の背が高い女の子か?」

「ああそうだよ。

 やっぱりお前の知り合いなんじゃねえか。クソが。

 死ね……あいや待って。

 今まで悪口は嘘だ。すまん。

 後で紹介してくれよ。一人は余るんだろ?

 俺は金髪の子が好みだが、どっちでもいいから。

 頼む。一生のお願いだ」


 ニッケス……こいつ、こんなにゲスだったのか。

 こいつだけは絶対に紹介しないと心に決めて、歩き始める。


「おい頼んだぞ! ハジメ!」


 後ろから声が聞こえるが、無視して歩き続けた。

 というか、ニッケスに構っている余裕などなかった。



 ――やばい。

 完全に忘れてた。

 彼女たちの告白のことを。

 あれだけ衝撃的だったことなのに。

 過去のことがわかってから、一切考えてなかった。


 まずは魔導書の解析だ! と。

 それに明け暮れていたら、いつの間にか頭から霧散していた。

 しかし勉強は終わったのだ。

 これからゆっくりと考える事ができたはずだったのに。

 まさか、二人で村にやってくるとは。


 ……いや待て。落ち着け。

 二人の目的はまだ分からない。

 もしかしたら、何か全く関係のない重要なことを俺に伝えに来たのかもしれない。


 とにかく、今は様子見だ。

 軽はずみな言動は、死に直結する。

 最も大切なのは、今の今まで告白の事を忘れていたと、彼女たちに悟られないということだ。


「……ふう」


 玄関の前で、一息つく。


 中がどうなっているのか、想像もつかない。

 この先は魔境だ。

 心の準備なしでは、渡りきることはできない。


 俺は精神統一をたっぷりと行って、中に入る。


「ただいまー」


 玄関を開けると、奥から声が聞こえた。


「わー、二人ともすっごい美人ですね!

 なんだか、物語の中の人みたい!

 ウチにこんな綺麗な人達が訪ねてくるなんて、びっくりしちゃいました!」


 はしゃぐニーナの声が聞こえた。

 やはり、いるのか。

 急いで声のする方へと向かう。

 ダイニングの扉を開けると、恐ろしい光景が広がっていた。


 見慣れた木製の椅子に、クリスとエミリーが掛けている。

 テーブルを挟んで対面にニーナが座っていて。

 シータはキッチンで料理を作っていた。


「あ、ハジメ!

 やっと帰ってきた!

 お客様がお待ちだよ!」


 ニーナがあっけらかんと言う。

 その対面の二人は、無言でこちらを見つめていた。


「……クリス、エミリー、久しぶりだな」


 俺はなんとか、そんな言葉を絞り出した。


「ハジメ! 久しぶりだな! 元気にしてたか?」

「久しぶりね、ハジメ」


 挨拶を返す両者。

 クリスは変わらず元気そうだ。

 エミリーは照れたように、顔を少し背けている。

 少なくとも二人のその言葉に、トゲのようなものは感じなかった。

 よかった。

 二人とも、俺の返事が遅い事に怒ってやってきたわけではなさそうだ。


「ここはのどかで、良い所だな。

 住む人もいい人ばかりだし。

 来る途中で道を聞いたら、わざわざ皆さんで案内してくれたぞ」


 クリスが笑顔で言う。

 その「いい人」達に、来る途中で死ねと連呼されたが。


 そこで、シータがお菓子とカシ―をテーブルに並べ始めた。


「お二人とも、遠路はるばるよく来てくださいました。

 お二人のことは、ハジメから聞いてます。

 何もない所ですけど、ゆっくりしていってくださいね。

 今日は泊っていかれるでしょう?」

「あ、ありがとうございます。

 その、大変恐縮ですが、ご厄介になりたく存じます」


 エミリーがめちゃくちゃかしこまってる。

 シータがテーブルに着き、俺も別の部屋から椅子を引っ張り出してきて座った。

 4人用のテーブルに5人だから、俺はお誕生日席だ。


「それで、何しに来たんだ?」


 カシ―をすすりながら尋ねた。

 エミリーとクリスは目を合わせ、代表してクリスが答えた。


「無論、ハジメの様子を見にきたのだ。

 過去が分かったという事は、目的を達成したということだろう?

 その為の旅に同行した者として、祝いに来るのが筋ではないか」


 なるほど、まぁその通りか。

 俺は少し、邪推しすぎていたようだ。


「そうか。ありがとう。

 すげーうれしいよ。

 まさかここまで会いに来てくれるなんて、思ってもみなかった」

「私達にとって、ハジメの存在はそれだけ大きいということだ。

 何かあれば、駆けつけもするさ。

 ……なぁエミリー」


 クリスがエミリーの方を見ると、彼女は無言でコクンとうなずいた。


 ――ぞくり。

 今のアイコンタクトには、なぜか背筋が寒くなるものを感じた。

 ……あれ?

 もしかして、二人ともお互いの出来事を知ってる?


「あ、あー、とにかく、ありがとう。

 手紙に書いたとおり、俺の過去がようやく分かった。

 二人のおかげだよ」

「……どうやって分かったの?」


 エミリーが、テーブルの角を見ながら言う。

 いや、照れ過ぎだろ。

 そんなに意識されるとこっちもやりづらいわ。


「……俺が初めてこの世界に来た場所が、この村から歩いて2日くらいの廃墟でな。

 そこを調べてみたら、手がかりが見つかったんだ」

「手がかりって?」


 エミリーの質問に「ちょっと待ってろ」と告げて、部屋に置いてある魔導書を取ってきた。


「これだ」


 俺は魔導書を掲げた。


「なんだ? それは」


 クリスが不思議そうに見つめる。


「これこそが、俺の過去を教えてくれたものなんだ。

 廃墟を調べて、地下の隠し部屋みたいなところで見つけた。

 読んでみたら、その国の王に代々伝わる、研究結果をまとめた本だったんだ。

 得た結論は、手紙に書いた通りだけど。

 その国は魔法都市ヴィルガイアで、オレはその末裔だった」

「研究結果をまとめたってことは、魔術について書いてあるの?」


 エミリーが顔を上げ、俺の眼を見て聞いてきた。


「ああ。

 ヴィルガイアの魔術について、詳細に書いてある」

「っ! 見せて!」


 凄い勢いで魔導書をひったくられた。

 エミリーは食い入るようにそれをめくり始める。


 そうか。

 魔術オタクのエミリーにとっては、めちゃくちゃ興味があるものだろうな。

 手紙に書いといてやればよかったかな。

 いやでもあの時はエミリーも読むなんて思ってなかったし。


「すごいわこれは。

 信じられないくらい発達した魔術体系。

 こんな理論があるなんて、発想の外だった。

 何よこれ。すごすぎるわよ、これ」


 エミリーはブツブツと早口でつぶやいている。

 まるで、お気に入りの同人誌を手にしたオタクのようだ。


「あー、エミリー?

 後でそれ貸してあげるから、今は一人の世界から戻ってきて?」


 エミリーはハッとして顔を上げた。

 皆の視線に気づくとみるみる顔が赤くなり、無言で俺に本を渡してきた。


「……でもなんでその本で、ハジメがヴィルガイアの人間だと分かったんだ?」


 クリスが菓子を頬張りながら質問する。


「えーと……」


 俺は、本の内容ついて説明した。

 末代の王が、その本に手記を残してあったこと。

 それによると、転移魔術を発明したその時に、国が魔族に襲われたこと。

 王は生まれたばかりの息子だけは、遠い星に転移させることができたこと。

 その子には魔法陣を刻み、それにより時が経てばこちらへと戻ってくるようにしてあるということ。


「俺の胸にも魔法陣が描いてあるし、解読したらそういう効果を持ってるものだった。

 しかも俺が転移した場所は、まさにその魔術が行われた場所だ。

 髪の色や瞳の色の記述も、俺に合致している。

 何より、こっちの世界にやってきた、なんてやつが他にいるとは思えない。

 それらから、俺は俺がヴィルガイアの末裔だと判断した。

 間違いないと思ってる」


 俺がそう言うと、クリスは小さく頷いた。


「なるほど。

 それならば確かに、その逃がされた子どもは、ハジメで間違いないのだろう」


 クリスが納得したように頷いた。

 続けて、疑問を口にする。


「……ん?

 ということは、ハジメはヴィルガイアの王子様ということか?」

「まぁ、そういうことになるんだろうな。

 もう1000年前に滅んだ王国だけど」

「あー、私はもっと敬意を払った方がいいだろうか?」

「何言ってんだ。

 ヴィルガイアなんて、今は存在すらしないんだ。

 頼むから、今まで通りでいてくれ」

「ハジメがそう言うなら、そうするほかないな」


 そう言うと、クリスは目を細めて笑った。

 少し照れる。


「……まぁ、そんな訳だ。

 一応、ヴィルガイアの両親に敬意を表して、名前を変えることにした。

 俺の名前は、ハジメ=レオナルド=ヴィルガイア。

 呼び方はこれまで通りでいい。

 まぁそういうことで、よろしく」


 俺がそう宣言すると、パチパチパチとまばらな拍手が起きた。

 ……なんか、馬鹿にされてる気分になった。


「……それでこの半年間、お前らは何やってたんだ?」


 とりあえず椅子に座って、聞いてみる。


「私はアバロンで、家族と過ごしていた。

 その間に剣術の免許皆伝を得たりしたな」


 クリスがサラッと言った。


「え、道場の免許皆伝ってすごいんじゃないのか?」


 たしかユリヤンも皆伝だとか言ってた気がする。

 かなり昔の話だが、あの時のユリヤンの動きは凄まじいものがあった。

 俺はあれ以上の剣技を見たことはない。

 クリスはその域に達したのか。


「大したことはない。

 ……だがまぁ、これまで伸び悩んでいた壁を、破れたような気がする。

 あの魔族との戦いのおかげだ。

 自分に足りないものが何なのか、明確に気付かされた。

 今度は同じ状況になっても、ハジメの身を危険にさらすような無様は見せないつもりだ」


 決意をあらわにするクリスの向かいで。

 ニーナがきょとんとした顔でこちらを見た。


「え? ハジメ、そんなに危ないことがあったの?」

「ああ、実は魔族に真っ二つにされたことがあってな」

「え!? ……な、何かの冗談だよね?」

「エミリーが治癒魔術をかけてくれなかったら即死だったな」


 まぁ、かけてもらってもほぼ死んでたけど、と繋げると、場の空気が凍った。


「……冗談だよ。

 身体を真っ二つにされて生きてる人間なんて、いるわけないだろ?」

「だ、だよね! よかった。

 もう、びっくりさせないでよ」


 ニーナが安堵する横で、エミリーとクリスが苦い顔をしていた。


「……お二人とも、ハジメを守ってくださって、本当にありがとうございました」


 エミリーとクリスが、ハッと顔を上げる。

 そこには、とてもにこやかな顔をしたシータがいた。

 もしかしたら、今の会話が冗談ではないことを見抜いたのかもしれない。


「これからもハジメを、よろしくお願いします」


 そう言って、シータは頭を下げた。


「い、いえ。そんな、お顔をお上げください」

「……過分なお言葉、感謝いたします」


 二人は照れたようにうつむいて返事をしている。

 しかし、なんとなく嬉しそうだ。


 それからしばらく雑談して、その場はお開きとなった。


 その後は、クリスとエミリーに村を案内した(若い男達からすごい目で見られた)。

 何もない田舎だが、逆に都会育ちの彼女達からすると新鮮なようだ。

 牛の乳を搾ったり、鳥の卵を採取したりするのを、二人は楽しそうに見ていた。


 みんなで夕食を食べて、順に風呂に入り。

 部屋に戻ってさて寝ようかとベッドに潜った時。


 コンコンと。

 ノックの音が聞こえた。


「あい?」


 ドアを開けるとそこには。

 クリスとエミリーが立っていた。













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