第88話 女子会 三角関係について
夜。
テーブルには、豪華な料理。
そして、赤紫の液体が入ったグラスが2つ。
それらがランプの明かりに照らされ、蠱惑的な波紋を作っていた。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯!」
エミリーとクリスは、同時にグラスに口をつける。
「これは美味しいな!
以前ここで飲んだものよりも渋みが強いが、それがまたいい。
……さすがはカヤレツキの秘蔵のお酒だな」
クリスが興奮して言った。
エミリーも同感だ。
様々な香りを内包した渋みが、喉を通る瞬間に鼻孔をくすぐる。
後味はすっきりしてとても飲みやすい。
「これは、美味しいわね」
そう言いながら、目の前のマッシュポテトを自分の皿に取り分け、一口分すくって口に入れた。
クリスが作ったものだが、こちらもとても美味しい。
舌に残った酒の後味が、料理と調和して更に旨味を引き出している。
こういうのを、なんと言うのだったか。
……エミリーは思い出そうとしたが、料理の美味しさに思考が押し流され、疑問は消え去ってしまった。
「しかし、よく一人で来られたわね。
道中、大変だったでしょう?」
代わりに、浮かんだ疑問を口にする。
「いや、そうでもないさ。
以前の帰り道に使った道に、目印をつけておいたからな。
そちらの道を使えば、街道から森を5日ほど歩けばここまで来られる。
初めて来た時よりも、ずいぶんと楽な道のりだった」
なるほど。
初めて来た時は、かなり遠回りをしていたのか。
情報が他になかったからしょうがないけれど。
クリスのグラスは、早くも空になっている。
エミリーはボトルを取り、そのグラスに酒を注いだ。
「ありがとう」
そう言って、彼女はまたそのグラスに口をつける。
今日の彼女は、少しペースが早い気がする。
酔っぱらうと酩酊してしまう体質だというのに。
「そんなに飲んでると、すぐ酔っぱらっちゃうわよ。
あなた、そんなに強くないんだから」
エミリーは心配して言う。
「ああ、分かってる。
ただちょっと。
勢いをつけたくてな」
……勢い?
どういうことだろうか。
何か言いづらい事でもあるのだろうか。
「どういうこと?
この後何かするの?」
「……ま、まぁ、その話は置いておこう。
それよりも、エミリーの半年間の出来事を聞かせてくれ」
「うーん。
まぁいいけど」
慌てるクリスは怪しかったが、とりあえずは聞き流すことにした。
それから、二人はお互いのことを話した。
エミリーはカヤレツキに師事し、魔術を学んでいること。
研鑽を重ね、今では中級の結界魔術まで使えるようになったこと。
里でも認知されて、エルフの友人も数名できたことなど。
クリスはアバロンで、冒険者をやりながら家族と過ごしていること。
気が付くと以前よりも剣技に冴えが出ていたこと。
剣術道場で、師匠に皆伝の認可をもらったことなど。
話している間に、いつのまにか料理は全てなくなり。
カヤレツキ秘蔵の酒も、あとわずかというところまで減ってしまった。
「それにしても、ハジメは何をやってるのかしらね。
過去が分かったなら、ようやく自信を持って、人生を歩めるようになると思うけど。
ずっとサンドラ村にいるのかしら」
エミリーは、酔いのまわった頭で考える。
過去が分かったということは、彼はその目的を達成したということだ。
だとしたら彼は、ようやく次の舞台に進めるはずだ。
次の舞台とは、何なのだろうか。
もしかしたら彼は、それを考えている最中なのかもしれない。
魔術学校を卒業した、才能ある若い魔術師。
魔力量は膨大。体力もある。
ルックスもいい(エミリー視点)。
そんな人間が、のちの人生を考えて選ぶ選択肢。
アバロンの宮廷魔術師になるか、冒険者として名を上げるか。
そんなところだろうか。
他に考えられるとしたら……。
思考の中で唐突に、先ほど思い出せなかった言葉が頭に浮かんだ。
……そうだ、マリアージュだ。
以前ハジメが語っていた。
料理とお酒の相性がいいことを、地球ではそう呼ぶのだと。
その言葉は、エミリーの心に暗雲を立ち上らせる。
大いにありうることだ。
ハジメが結婚相手を探すことだって。
さすがに自分の告白を無視したまま、結婚してしまうような人間ではないだろう。
しかし、どこぞの娘と恋に落ちて、話が進んでから自分に伝えるという可能性は否定できない。
こんなに離れた場所に自分はいるのだし。
恋心というのは、制御不能なのだ。
身をもって経験したから、よくわかる。
――このままでは、まずいのかもしれない。
そんな疑念に思考を絡めとられ、エミリーは黙ってしまった。
グラスを見ながら、つい、その対策の検討を始めてしまう。
「エミリー、一つだけ、話しておきたいことがあるんだ」
その言葉で、エミリーは思考の海から現実に戻った。
ハッとして、クリスの方を見る。
するとクリスはいつになく、神妙な顔をしていた。
酔っぱらっているはずなのに、酩酊した感じがない。
何を言おうとしているのかは分からない。
しかし。
その顔を見て、思い出した。
自分にも、クリスに言わなければならないことがあることを。
……そうだった。
自分は抜け駆けのように、ハジメに告白をしたのだ。
クリスはそれを知らない。
もしも自分の思いが成就したとしても、それではクリスは疎外感を感じるだろう。
クリスは大切な仲間だ。
あの旅を共に過ごし、命を預け合った仲間なのだ。
そんな彼女に、隠し事はしたくない。
「実は――」
「待って、クリス」
出鼻をくじかれたクリスは、少し不満げにこちらを見た。
「……なんだ?」
申し訳ない。
しかしなぜか、一刻も早く伝えるべきだという気がした。
「私も、あなたに言うべきことがあるの」
急に、鼓動が早くなる。
エミリーにとって、恋心を他人に伝えるというのも、初めての経験だ。
「私ね。
前にここで3人でお酒を飲んだ時にね。
あなたが酔いつぶれて寝た後、ハジメに告白したの。
好きだって。
言うのが遅くなって、ごめんなさい」
頭を下げる。
これまで3人で旅してきたのだ。
自分が口にしたのは、その関係に亀裂を作るかもしれない行為だ。
クリスにとって愉快な話ではないだろう。
言ってから、急にエミリーは怖くなった。
自分はもしかしたら、大きな過ちを犯してしまったのかもしれない。
旅の間、3人の関係はとても居心地がよかった。
クリスは、旅がいつまでも続けばいいと言っていた。
過酷な旅だったのに、不思議と楽しかった。
その関係性はかけがえのないものだった。
純粋な仲間意識。
もしかしたら、それはこの世にあるどんな関係よりも、尊いものなのかもしれない。
それを、自分の行動によって壊してしまった。
もう、二度と元の形には戻らない気がする。
だが、それはすでに起こったことなのだ。
過去に戻ることはできない。
エミリーは恐る恐る、クリスの顔を見た。
そこには、ポッポ鳥がストーンバレットをくらったような表情があった。
驚くのは予想していたが、なんというか、予想の斜め上をいく驚き方だ。
無言のまま、二人で見つめ合った後。
「エッ、エミリーも!?」
クリスは立ち上がり、のけぞりながら叫んだ。
「……も?」
も、とはどういうことだろうか。
も、というのは、誰かが同じことをした、ということ。
パーティーは3人。
エミリーが告白した。
そして、エミリーは告白されてはいない。
だとしたら、起こった事象は特定される。
すなわち――。
「……え?
クリスもハジメに告白したの?」
しばしの沈黙の後、クリスは小さく頷いた。
……信じられない。
エルフの里で別れるまでは、そんなそぶりはなかった。
だとしたら、その後、彼女らが2人で旅をした1か月の間ということか。
「ごめんなさいエミリー!
実は私、ハジメとの別れ際に、ぽろっと言っちゃったの!
好きだって!」
聞いたことのない口調でクリスがしゃべっている。
動揺するとこうなるのだろうか。
「えぇ……」
まさか自分が告白した矢先に、クリスも同じことをしているとは。
自分が告白したことに気づいて、というのなら分かるが、クリスの反応を見る限りそうではないようだ。
全くの偶然に、同じタイミングで告白したらしい。
「ごめんなさい!
エミリーもだなんて、想像もしてなくて!
その、こんなの私初めてで、どうしたらいいか……」
クリスは相変わらずの口調で、あわあわと右往左往している。
その様子は余りにも、普段の彼女からかけ離れていて。
「……ぷっ」
エミリーは思わず、吹き出してしまった。
「ふふっ、ふ、あははははっ!」
こらえきれず、エミリーは笑いだした。
クリスは呆気に取られた様子でそれを見ていたが。
しかし、やがてこらえきれなくなり。
「ふっ、ふふふ、あはははは!」
彼女も笑った。
二人はしばらくの間、笑い続けた。
―――――
ようやく笑い声がおさまった頃。
グラスに残った酒をあおりながら。
「……エミリーはいつから、その、ハジメのことが好きだったんだ?」
クリスが聞いた。
「私はね、最初からなの。
初めて見た時にはもう、好きだって思った」
「それはすごいな。
一目惚れ、というものだな」
「クリスはどうなの?」
「私は本当に、告白する直前なんだ。
不意に自分の気持ちに気付いたせいで、つい口からこぼれてしまった」
「そっちの方がすごいわよ。
思ったら即行動、なんてね。
クリスらしいけど」
「いやなんだか、つい、ぽろっと言ってしまったんだ」
クリスが恥ずかしそうにうつむく。
通常こんな関係になってしまった二人ではあり得ないほど和やかに、2人は話し続けた。
ハジメの好きなところ。
ハジメの過去についての見解。
一緒に旅をしていた時の心情。
両者とも、生まれて初めての恋愛話だった。
それは甘酸っぱく、背筋をくすぐるようなむずがゆさを伴うものだったが、決して不快ではなかった。
むしろ、とても楽しかった。
お互いの対象が同じ人物ということが難点ではあるが。
しかし同じ人物を好きだからこそ、共感の密度は大きかった。
しかしこの時点で、エミリーは確信していた。
もう、あの旅の関係には戻れないのだと。
エミリーが選ばれたらクリスが。
クリスが選ばれたらエミリーが。
3人で過ごすことを苦痛に感じるに違いない。
どちらにしても、あの頃には戻れないのだ。
そのことに、郷愁のような感情を覚える。
しかし、それをどこか嬉しく思うエミリーがいた。
元に戻れないということは、前に進んでいるということだ。
例えクリスが選ばれたとしても。
自分は違う方向へと、新たな一歩を踏み出せるはずだ。
時が巻き戻ることはない。
この世界において、不変の真理だ。
ならば、前に進むことが唯一の正解だろう。
どんな結果になるにせよ。
エミリーは、この半年間、ずっと持てずにいた覚悟を、今ようやく手に入れた気がした。
その夜、話は尽きなかった。
空が白み始め、鳥が鳴き始めた頃。
ようやく会をお開きにして。
二人は泥のように眠った。
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