第82話 魔法都市ヴィルガイア④
エドワードが、城で一人で酒を味わっている時。
アルバスは自宅で一人、目を覚ました。
アルバスは、研究に没頭して昼夜を忘れることが多かった。
徹夜で研究を行うことも頻繁にあり、その分眠るときは長時間眠る。
そんな生活を送っていたため、起きる時間は不規則になりがちだった。
寝起きが一番頭が冴える。
そう考える彼の信条も、その要因の一つである。
そしてその信条に従い、約束の時間の少し前に彼は目を覚ましたのだった。
……今日はついに、彼方への転移の実験だ。
アルバスが常に感じている、圧倒的な魔力。
それを探るときが、ついに来たのだ。
全身に、活力がみなぎる。
しかし。
その感覚を確かめた時。
初めて、アルバスは異変に気付いた。
「……なんだ、こりゃあ」
完全な無意識で言葉を発し、アルバスの表情が凍りつく。
水を飲もうと手に持ったコップを床に落とし。
ガラスが砕ける音が部屋に響いた。
しかしそんなものは、アルバスの耳には全く入らなかった。
「まじかよ、なんだよ、これ」
――ヴィルガイアが、魔物に包囲されていた。
都市と呼ばれる広さしか持たない国だが、それでも都市だ。
包囲するには、何千もの頭数が必要だ。
そんなとてつもなく信じがたいことが、今まさに、間違いなく行われている。
しかもそれらからは。
ただの魔物とは思えないような、不吉な気配を感じる。
外に出てみたが、街は普段のままだ。
明かりの灯った家々。酒場で陽気に飲む人達。
夜なので人は少ないが、その様子は普段と何も変わらない。
魔物に取り囲まれてることに気付いているのは、自分だけらしい。
「こうしちゃいらんねぇ……!」
知らせなければ。
誰に?
その辺の官憲か。
周囲の人に、大声で叫んで回るべきか。
どちらも頭がおかしいと思われるのがオチな気がした。
そんな時間の余裕が、あるわけがない。
「……あいつしかいねぇな」
アルバスは寝間着のまま、走り出した。
知己であり、この国の最上位に位置する者であり。
そして最も信頼する、友人のところへ。
―――――
トントン、とノックの音がする。
その音を聞いて、エドワードはグラスを置いた。
「なんだ?」
「陛下。アルバス=ロレント伯爵がお見えです。
応接室でお待ちいただいておりますが、なにぶんお急ぎのご様子で」
「……わかった。すぐに向かう。」
衛兵は扉を閉めて去っていった。
――お急ぎの様子?
ついに決行するとあって、アルバスも気が急いているということだろうか。
……それともまさか、計画に狂いが生じたのか?
一抹の不安を抱えながら、エドワードは部屋へと向かう。
扉を開けると、寝間着のままのアルバスが待っていた。
髪も整えず、無精ヒゲは剃られず、おまけに汗をだらだらと流している。
「ア――」
「聞け! エド!
この国が、魔物に包囲されてる!」
エドワードの言葉を遮り。
汗だくのアルバスの口から飛び出てきたのは、思いもよらぬ言葉だった。
エドワードはそれまでの思考を放棄し、瞬時に頭を切り替える。
「どういうことだ?」
「経緯は分からねえ。
ただ昨日の夕方に眠って、ついさっき起きたら、街の外を取り囲むように魔物の気配がした。
……今はもう、街の中に入りこんできてやがる!」
「確かか?」
「間違いない!」
即座にエドワードは思考する。
何をするべきか。
信じがたいことだが、こいつがそう言う以上。
魔物に包囲されているのは、事実なのだろう。
しかし魔物が秩序だって一つの国を襲うなど、聞いたこともない。
何が起こっているのか。
「衛兵っ!!」
エドワードが叫ぶと、数秒後に兵士が2人駆けつけてきた。
「街が、魔物の群れに攻撃を仕掛けられている!
住民を城下に集めるよう伝えろ!
兵は総員戦闘配備! 隔壁に防衛陣形を敷け!
火急だ!」
「「はっ!」」
兵士達は慌てて去っていく。
「俺も加勢に行く!
指揮はまかせたぞ、エド!」
アルバスもそう言い残し、急いで部屋を出ていった。
この城に、王族用の脱出路などはない。
この城が墜ちるときは、王が死ぬとき。
なぜこの国が魔物に狙われるのかは、全く分からない。
しかし。
「――所詮は魔物の群れだろう。
ヴィルガイアの誇る魔装兵団。
その力を見せてくれる」
一人残った部屋で。
窓の外の暗闇を睨みつけるように、エドワードは言った。
―――――
その男は、1人で酒を飲んでいるところだった。
妻と子どもは夕食後にすぐに寝てしまうので、自室で1人、本を読みながらちびちびと酒を飲む。
この時間は、男にとって最も幸福な時間だ。
自分の仕事をよりよくする方法や、娘の将来などについて、ぼんやりと考える。
別に真剣に考えているわけではない。
真剣に本を読むわけでもない。
そんな時間が、男の人生に潤いを与えていた。
いい具合に酔っ払い、そろそろ寝ようかと思った時。
窓の外がやけに明るいことに気がついた。
夜中だというのに、煌々と照らされている。
部屋のランプよりも、外の方が光が強いくらいだ。
(……火事だろうか)
男は外に出てみた。
男の予想は当たっていた。
目に飛び込んできたのは、渦巻く炎。
しかしその規模は、想像よりも遥かに大きかった。
周囲の家のほとんどが、焼けている。
火の粉が舞い、男の顔に熱風が吹きつけた。
「なんだこれは!?」
男は慌てて家に入り、寝室へと向かう。
早く妻と娘を起こして、避難させなければ。
何が起こってるのかは分からないが、とにかく避難だ。
どこへ向かうべきか。
とりあえずは、王城へ行こう。
根拠はないが、最も安全そうだ。
そんなことを考えて、急いで寝室に向かうと。
悲鳴が鼓膜を貫いた。
娘の名を叫んでいる。
聞こえたのは、目の前のドアからだ。
急いで開けると、そこには――。
血走った眼。
角の生えた頭。
蝙蝠のような羽。
鱗に覆われた肌。
――見たこともない邪悪な存在が、その爪で妻の胸を貫いて、嗤っていた。
赤く染まったベッドには、首のない娘が寝ている。
妻はゲホッと口から血を吐いて、自分に向かって何かを呟いた。
そんな妻を、まるでゴミでも捨てるようにベッドに放り、そいつは男の方を向く。
男は、逃げた。
振り返ることなく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
こんなことはありえない。
今日も普段と変わらない一日だった。
仕事をして、家に帰って、夕食を食べた。
妻は仕事の疲れを心配してくれた。
娘は寝る前に、お休みのキスをしてくれた。
――それがまるで、別の世界の出来事のようだ。
何だこれは。
何なんだ、これは!
混乱する頭で玄関へと走り、扉を開けた時。
男の意識は消失した。
外にいた何者かが、男の首を切断したためだ。
それは男の家にも火を放ち、去っていった。
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