第69話 目覚め
<ハジメ視点>
……揺れていた。
景色が揺れていた。
石造りの壁。
柱、絵画、彫刻。
豪奢な絨毯。
そんなものが揺れながら、過ぎ去っていく。
しかしその中に、過ぎ去っていかないものもあった。
女性だ。
なんだか安心感を覚える顔立ちの女性。
彼女だけは、揺れる景色のなかに留まり続ける。
女性と目が合うと、微笑み返してくれた。
女性が近づいてきて、触れられる感覚。
柔らかく、幸せな感覚。
何か、大きなものに包まれているような安堵感。
しかし、それを覚えたのも束の間。
女性が離れていき、辺りが暗くなる。
暗くて、何も見えない。
ランプの灯りだけが、ぼんやりと光っている。
何かを呟く声。
男の声だ。
それが聞こえた後、地面が光り始めた。
その光で、初めて景色が見えた。
そこには、一人の男が立っていた。
その男はこちらに向かって、何かを言っていた。
やがて。
光が眩しくなって、何も見えなくなる。
何もかもが、光に包まれて消えていく……。
―――――
パチリと。
目が覚めた。
何だったんだろうか、今の夢は。
やけに鮮明な夢だった。
奇妙な感覚を覚えたものの。
しかしそんなものは、現実の疑問を前にたやすく押し流された。
……ここは、どこだろうか。
薄暗いが、なんとか景色は把握できる。
目だけを動かして、様子を確認する。
俺はベッドで寝ているようだ。
バスローブのような寝間着を着ている。
そして、両隣にもベッドがある。
右のベッドには、クリスが寝ていた。
身じろぎ一つせず、ベッドで横になっている。
左のベッドは、空いていた。
しかしシーツには皺があり、布団が捲られている。
誰かがいたけれど、今はどこかに行っているという感じだ。
……ふむ。
これはどういう状況なのだろうか。
記憶が曖昧で、よく思い出せない。
なんで俺はここにいるんだ?
確か、エルフの里を探して森の中で冒険していて。
クリスが変な気配がするとか言い出して。
魔族と戦って――。
……そうだ!
魔族と戦ったんだ。
記憶がフラッシュバックする。
表情が抜け落ちたエミリーの顔。
魔族の嗤笑。
回転する景色。
――ぶわっと。
急に鳥肌が立った。
……そうだ。
俺は魔族にぶった切られて、真っ二つにされた。
それは間違いないはずだ。
え、じゃあ今俺は上半身だけで生きてるの?
え、怖い。
恐る恐る、下半身の所在を確認する。
そーっと。
なくても驚かないように。
大丈夫大丈夫。
脚なんか飾りですよ。
偉い人にはそれが分からんのですよ。
毛布をどけたそこには。
ちゃんと、脚がついていた。
動かしてみる。
足の指を開いて閉じて。
膝を曲げて伸ばして。
問題なく動く。
……よかった。
多分エミリーが治療してくれたんだろう。
ありがたい。
本当にありがたい。
確実に死んだと思った。
身体が半分になっても生きてるとは。
プラナリア並みの再生力だ。
エミリーにはもう、一生頭が上がらないかもしれない。
……さて。
記憶の整理が終わったところで。
どうしたものか。
俺としては、現状の確認をしたい。
結局その後、どうなったのかは知らないし。
ここがどこなのかも全くわからん。
しょうがないからクリスを起こそうかと思った矢先。
ドアが開いて、見慣れた顔が入ってきた。
銀髪、猫目の美少女が。
「よぉ、エミリー」
声をかけると、エミリーは面白いように動きを止めた。
「ハ、ハジメ、気が、気がついたの?」
幽霊でも見たかのように目を見開き、口をあんぐりと開けている。
「ああ、さっそくで悪いんだけど、状況を――ぐぇっ!」
言葉の途中で、エミリーが駆け寄ってきて、抱きつかれた。
「バカ! 心配させて!
ホントに……バカ! バカ!」
俺の胸に顔をうずめ、エミリーが泣いている。
対応に困っていると、物音でクリスも起きたらしい。
彼女も俺を見るなり固まって。
そのあとすぐに、ベッドを飛び出して抱きついてきた。
「ハジメ! ……よかった。本当によかった」
クリスも、目に涙を浮かべてそう言ってくれた。
どうやら俺はよほど心配をかけたらしい。
俺自身は眠りから覚めただけ、という感じだから、感情を共有できないが。
俺が生きてたことで泣いてくれるなんて、うれしいね。
2人の柔らかい肌の感触に癒されつつ、もう死んでもいいな、なんてことを思った。
―――――
「……じゃあここは、エルフの里なのか」
2人は落ち着いてから、改めて状況を教えてくれた。
バラバラになった俺をエミリーが治癒魔術で繋いでくれたこと。
しかし心臓は止まっており、クリスが俺の教えた蘇生法を行ってくれたこと。
そこにカヤレツキなるエルフが現れ、俺を治療してくれたこと。
そのエルフの案内によって、ここにたどり着いたこと。
「ああ。
あまり実感は湧かないが、ここが我々の目的地らしい」
「いろいろあったけどなんとか、俺達は目的を達したってわけだな」
とりあえずは、喜ぶべきだろう。
この里は、エミリーすら知らないような魔術で隠されていたらしい。
当初の計画通りに闇雲に探し回っても、見つからなかった可能性が高い。
魔族と派手に争って、エルフがその様子を見に来たからこそ、この状況に持ち込めたわけだ。
俺が死にかけたのも、無駄ではなかった。
「ありがとう、クリス」
「ん? 何がだ?」
「俺が昔教えたおまじないを覚えていてくれて」
「ああ、そのことか。
いいんだ。というよりむしろ、教わっておいてよかった。
それがなければ、手段に窮し諦めていたところだった。
カヤレツキが口ぶりでは、一定の効果はあったようだな」
クリスは大したことはないというように、しかしどこか誇らしげに言った。
「……ねぇ、結局あれって何だったのよ。
どういう意味がある行為だったの?
わかってないの、私だけみたいじゃない」
エミリーがむくれて言う。
少しからかってやろうかとも思ったが、助けてもらった恩があるのでやめておくことにした。
簡単に、心臓マッサージの意味について説明する。
生命維持に最も重要なのは脳への血液供給であり、心臓はそのポンプとしての役割を担っている。
心臓が止まった時は胸を物理的に押すことで、脳血流を維持することができる、というようなことを。
「……ふぅん。なるほどね。
そんなこと、考えたこともなかったわ。
それはあなたの、『前の世界の知識』ってやつなの?」
「あぁ。以前の世界では当たり前の知識だった」
「……そう。
この世界では治癒魔術が発達しすぎて、魔術を介さない治療法は衰退したのかもしれないわね」
確かにそうかもしれない。
むしろ、治癒魔術というものは凄すぎる。
真っ二つになった神経、血管、その他組織全てを寸分の狂いなく、針や糸も使わずにつなぐなんて。
以前の世界では、考えられない神業だ。
一度切断されたはずの腰髄を通って、電気信号が今も俺の下半身を動かしている。
その治癒魔術で怪我を治せない状況なんて、稀も稀だろう。
「……ちなみに、その、もう一つのあの行為は、何の意味があるの?」
エミリーが急に、顔を赤らめて、うつむきながら言った。
もう一つのあの行為?
……なんの話だ?
分からないのでクリスを見ると。
クリスもなんだか顔を赤くして、うつむいていた。
急にどうしたんだ、こいつら。
……って、あぁ! もしかして!
「……ま、まさかお前ら、人工呼吸とか、やってくれたのか?」
「……」
「……」
質問への返答は、沈黙だった。
しかし両者とも顔を背け、赤らめているその状況は。
何が起こったのかを、如実に表していた。
「……え、え、え?
まじ?
ちょっと待って。
ちょっと。……嘘だろ?」
混乱した。
……まじかよ。
どうやら本当に、この二人が俺に人工呼吸を施してくれたらしい。
確かにクリスに蘇生法を教えた時、それについても教えた覚えがある。
……なんでだ。
なんで俺は綺麗な女の子二人とキスしておきながら、全く記憶がないんだ。
くそっ!
どうして俺は意識を失ってしまったんだ!
いやしかし、意識を失わないということは、心臓が動いているということで。
そうなると二人が人工呼吸をしてくれることもなかったわけか。
これぞまさにジレンマというもの。
くそっ。
気合で目覚めて、寝たふりをできればよかったのに……。
「すまない、ハジメ」
「……な、何がだ?」
「ほかに方法がなかったとはいえ、私のような武骨な女と接吻など、嫌だったろう」
「嫌じゃねぇよっ!バカ!」
「え?」
気付けば立ち上がって叫んでいた。
ハッと我に返る。
いかん。
この胸を焼き尽くすような後悔のせいで、冷静さを失ってしまった。
「や、すまん。何でもない。
クリス、気にしないでくれ。全然嫌じゃないから」
座ってから、慌てて取り繕う。
「……本当か?」
「この世のどんな存在に誓ってもいい。本当だ」
それは俺の、まごうことなき本音だ。
「そうか……よかった。
そう言ってもらえると、心が楽になる」
「いや、むしろこっちがごめんと言いたいくらいだ。
俺なんかとキスなんて、クリスこそ嫌だったろう?」
「そんなことはないっ!」
「え?」
クリスが急に立ち上がって、叫んだ。
そして真っ赤になり、座った。
「あ、いや、なんでもない。
……そ、その、この話題はやめにしようか」
「そ、そうだな」
その後しばらく、会話がぎこちなかった。
一応、エミリーに人工呼吸の医学的意義についても、説明しておいた。
―――――
ようやく、まともに会話ができるようになってから。
エミリーは言った。
「カヤレツキの魔術は、明らかにアルバーナより進歩していたわ。
もしかしたら、ここなら転移魔術についても、何か分かるかもしれないわね」
……そう。
もともと俺が旅をするのは、俺がこの世界に来た理由を知りたいからだ。
魔術の発展を追っても成果がなかった。
だからこの世界そのものに詳しい人物を探すことにした。
そのために、1000年を生きるというエルフの長老に会いに来たわけだが、たどり着いてみれば想定外。
魔術においてもここは、今までいた国よりも遥かに優れているらしい。
「夜が明けたら、いろいろと聞いてみよう。
教えてくれるならだけど」
「昨日の対応を考えると、すんなり教えてくれそうな気もするわね」
「ふーむ……」
エミリーの言葉に、少し悩まされる。
そのカヤレツキさんとやらは、なんでそんなに俺達によくしてくれるんだろう。
死にかけた俺を治してくれたばかりでなく。
彼女達の治療も行ってくれて、こんな部屋まで用意してくれた。
普通、1000年も外界を遠ざけておいて、たまたま見つけただけの冒険者に対して、そこまで至れり尽くせりもてなすだろうか。
「でも何か、理由がありそうな様子ではあったな」
「うん。『恩に感じる必要なんてない』って強調してたものね」
クリスとエミリーが付け加える。
ふーむ……まぁ、考えてもよくわからんな。
少なくとも、俺にとって大恩人なのは間違いないし。
事実だけを考慮して、俺達の敵であるわけがない。
全部、明日聞いてしまうことにしよう。
「……よし。
何はともあれ、ひとまずは順調ってことでいいだろ。
紆余曲折あったが、とりあえずエルフの里にたどり着けた。
エルフ達も友好的に接してくれている。
明日になったら、俺の旅の目的は解決するかもしれない。
……旅に出る前に考えた未来予想図の中では、抜群に良い方だな!」
笑顔で言ってみると、二人がしらっとした表情を向けてきた。
「ハジメが1回死んだことを除けばな」
「本当ね。それを考慮したら、上から2番目くらいなんじゃないかしら」
「私達も凍傷になったな」
「そこまで考慮すると、20番目くらいになるかしら」
「あれ? 俺が死んだことって、もしかして大したことじゃないの?」
「さぁ、どうなのかしらね」
「どうなんだろうな」
「おーい……」
二人とのくだらない会話を楽しみつつ、夜を明かした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます