忘れじの祠

前編

 ある晴れた、秋口ぐらいの土曜日。


「へえ、こんなところにほこらが」

「ここを通るときに見た、という人がいるそうでね」


 私は、全てを事象の果てに飲み込んでしまうような瞳をした、性別から何もかもが謎の先輩・水地みずち夜見よみと、古くて低めのビルの隙間にある裏路地の前にいた。


 そこは人1人分の幅しか無くて、路地の更に奥まった所にあるからか、真っ昼間なのにかろうじて顔が見えるぐらいに薄暗かった。


 なんでわざわざこんな所にいるかというと、


「まあでも、いかにも怪異に遭遇しそうな雰囲気ですねっ」

「たしかに」


 商店街の七不思議の1つである、〝誰も思い出せない祠〟の調査にきているからだった。


 それは、大昔にこの辺りで多分自然ダムが壊れたせいで起きた鉄砲水があって、その祠が有る所の丘に逃げて住民が助かって、その事を忘れない様に、と建てられたものらしい。


 早速、スマホのライトで照らしながら、私が前になってその裏路地に突入していく。


 風通しが悪いらしく、足元の古いコンクリート舗装には、獣道になっている所以外にびっしりとコケが生えていた。


「結構大事ないわれがあるのに、なんで忘れちゃったんでしょうかね」

「人間とは忘れる生き物だからねぇ」


 大概はわざわざ探そうともしないものさ、と言う先輩の声は余り変わらない様でいて、ほんの少しだけ寂しそうに聞こえた。


「私みたいな物好き以外は、ですね」


 ちょっとはにかんで振り返ると、先輩はその濃紺の瞳を伏せがちにしていたけど、


「……だねぇ。自分の存在を知られたいのは、何も人間だけじゃあないからね」


 まあ、よろしくない事もあるから気をつけたまえよ、と、一瞬目を見開いた後、大きな口を三日月みたいにする、神秘的過ぎてやや不気味な笑みを浮かべて忠告した。


「……。うわっ」

「おっと。後ろを向いて歩くと危ないじゃあないか」


 それに見とれていたら、転がっていた空き缶を踏んづけて転びかけて、先輩がとっさに伸ばした手をつかんで転ばずに済んだ。


「ありがとうございます――って、ゴミだらけじゃないですか」


 胸をなで下ろした私が前を向き直ると、足元に缶やらペットボトルやら、口を結んだコンビニの袋やらがあちこちに転がっているのに気が付いた。


 特に、少し先にある裏路地の丁字路の角辺りが一番酷いことになっている。


「一応、駅からの抜け道になっているからね。誰も見ていないと思って捨ててしまうんだろう」


 せっかく機嫌が良くなったのに、先輩は物憂げにため息を吐いて首を横に振ってそう言った。


「先輩。祠探しの前にゴミ掃除しません?」

「私は構わないけれど、また急だね」

「祠ってことは一応神様がいるんですし、やっぱり通り道がこんなだと嫌だと思うんです。それに、丁度2人ともジャージですし」

「そうかい。うん、良い心がけだ。では、私の友人に色々持ってきて貰うとしよう」


 私が眉間に力を入れて力説すると、先輩は満足そうに頷いて誰かに電話をかけた。


 ちなみに、ジャージを着ているのは趣味じゃなくて、この後に商店街の七不思議〝猫の集会所〟探しをするために、動きやすい格好で来たからだった。


「じゃあ頼む。――なんだい?」

「先輩って、スマホ持ってるんですね」

「私はこれでも現代人だよ?」

「あと、友達いるんですね」

「君は少し、歯に衣を着せておいた方が良いと思うんだ」

「あっ、すいません……」

「私は許すけれどね?」


 ちょっと怒られちゃった。


 ご機嫌斜めになって、唇を尖らせてしまった先輩をなだめすかしていると、先輩を探すときに話を訊いた、たき火同好会のクセの強い先輩が火ばさみと軍手、20枚入りの45リットルゴミ袋2袋とヘッドライトを持って、駅の方から現われた。


「はいお待ちどおさま。また貴殿は酔狂な事をやっているようだねぇ」

「助かる。酔狂こそ我が人生と見付けたり、さ」

「そうかね。じゃあ、終わったら連絡したまえ。ゴミを回収しに来るからな」

「ああ」


 軽く会話を交わしたあと、その先輩は私にたき火同好会へ勧誘しつつ、ライダースジャケットを翻して颯爽と去って行った。


「さて始めようか」

「はい」


 それを見送った後、私と夜見先輩は黙々とゴミをかき集めて、6袋埋まった辺りで直進方向のゴミが全て無くなった。


「ふう」

「達成感に水を差すようだけれど、本番はこれからだよ」

「はい? うわっ」


 角に立っている先輩が楽しげに親指で指す道を覗き込むと、2倍ぐらいのゴミがやや奥の方に溜まっていた。


 その道は15メートル程先で右に折れ曲がっていて、その向こうから少しだけ明るい光が差し込んできていた。


「……」

「別にこれで止めても誰も文句は言わないだろうけれど、どうする?」

「いいえ、やり始めたからにはしまいまでやります!」

「そう来なくっちゃね」


 呆れてついフリーズした私だったけれど、結果が分かっている様子の先輩からにこやかにそう訊かれ、私は気合いを入れ直して続行した。


 合計2時間ぐらいかかって、曲がり角の手前ぐらいまでのゴミも集め終えた。


「さてと、まだありますかね?」

「どうだろうねえ」


 額を拭った私は、屈んでいたせいで凝った上半身を反らしてから、更に奥へと進んで突き当たりを曲がると、


「あっ、夜見よみ先輩! ほこらありました!」


 その先には2畳ぐらいの広さのスペースがあって、その奥にくぐれそうな位の鳥居と元から質素だったっぽい、石造りの崩れた祠を発見した。


 その周りも若干ゴミが落ちていて、祠の前にはややふやけた段ボール箱が横倒しになって転がっていた。

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