第83話 蒼太のあのね帳

「俺か? そうだな……あのね帳に何も書くことがなくて困って、だいぶ前のページをそっくりそのまま書き写したら、先生がしっかり覚えてて怒られたのが一番の思い出かな?」


「……え?」

 俺の答えを聞いた優香が、ポカーンって感じのちょっと間の抜けた顔をした。


「そうそう、あれは朝から雨が降りしきる梅雨の頃のことだったな。雨のせいで友達と遊べなくてさ」


「あの、蒼太くん?」


「あのね帳に何も書くことがなかったんで、どうしようもなくなってついつい誘惑に負けて、コピペしちゃったんだよな」


 懐かしい記憶が、俺の脳裏に鮮やかに蘇ってくる。


 でも、あのね帳のコピペは、小学生男子なら一度はやると思うんだよな(もちろんバレて怒られる)。

 そうでなくとも文章を書くのって、まだまだ日本語能力が低い小学生じゃ地味に難しいしさ。


「もぅ、蒼太くんってば。あんまり美月に悪いことを教えないでよね?」

 優香がメッ!って感じの顔をした。


「おっと、悪い」

 そうだった。

 ここには美月ちゃんがいるんだった。


「美月も今のは聞かなかったことにするのよ? 悪い子になっちゃうから、絶対に真似しちゃダメだからね?」

「はい! 嘘はつかないってさっき約束しましたので」


 元気よく素直な返事を返す美月ちゃん。


 ごめん優香。

 こんなにも素直で純真無垢な美月ちゃんがもし悪の道に堕ちたら、まちがいなく俺のせいだよ……。


「それで、美月はあのね帳にどんなことを書いてるの?」

 俺にこれ以上話を聞くのはあまりよろしくないと思ったのか、優香が今度は美月ちゃんに話を振った。


「美月は学校であったこととか、おねーちゃんのことや、蒼太おにーちゃんのこととかを書いてます」


「え、俺のこともか?」

 まさか美月ちゃんのあのね帳に俺が登場しているとは、思いもよらなかったぞ。


「一緒にプールに行ったこととか、お家で遊んだこととか、いっぱい書いてますよ。えへへ」

 美月ちゃんがなんとも嬉しそうに笑う。


「ふうん、そうだったのか。美月ちゃんがどんな風に書いてくれてるのか気になるな。ちょっと見てもいいかな?」


 美月ちゃんの視点からは俺はどんなふうに見えているのか、興味が湧いてしょうがないぞ?

 しかし。


「ごめんなさい、蒼太おにーちゃん。でも、あのね帳はプライバシーの塊なので、他の人には見せられないんです」


「プライバシーなんてまた難しい言葉を知ってるな。でもそうだよな。あのね帳は結構、秘密のことも書くもんな」


 そして先生との内緒の話だと信じていたら、実は家庭訪問とかの機会に割とガッツリ親まで伝わっていることを知るのは、もう少し大人になってからのことだろう。

 あのね帳に書いていた秘密を親が知っていることを知った時は、俺は先生に裏切られたと思ったね。


 それはさておき。


 その後は、優香と一緒にゆるーく英語の勉強をしながら、美月ちゃんの宿題を見てあげた。

 教科書を持って律義に起立して、一生懸命に音読をする美月ちゃんは、控えめに言って天使のように可愛かった。


 その流れで俺と優香も音読をすることになったんだけど、


「おおっ、すごい! もう一回読んでみてもらってもいいかな?」


 優香の音読はアニメの声優のように流暢で、感情が乗っていて上手だった。

 思わずアンコールをお願いしてしまったよ。


 そして俺はというとその全く逆で、


「あの……蒼太おにーちゃん、棒読みです。もっと登場人物の気持ちになりきらないとです」


「蒼太くん。セリフのところはもうちょっと感情を込めて読まないとダメだよ? ゆっくり動画の真似をしてるんじゃないんだからね?」


 姫宮姉妹から揃ってダメ出しをされてしまったのだった。


「いやその、読み間違えないようにしながら同時に感情も込めるって、結構難しくてさ……」

 それとも俺が下手なだけなのか?


「だから音読の宿題があるんですよ」

「ド正論過ぎる……!」


 えー、わたくし紺野蒼太(高校2年生)は、小学3年生に完全論破されてしまいした。


「あはは……」

 美月ちゃんに論破された俺を見て優香が、ひきつった笑いをした。



 そして美月ちゃんの宿題が全部終わったところで、今日の勉強会はお開きになった。

 優香と美月ちゃんが、玄関まで見送りをしてくれる。


「蒼太おにーちゃん、またね!」

「ああ、またな美月ちゃん」

「次までに、ちゃんと音読の練習をしてきてくださいね。できるようになったかどうか、試験をしますからね」

「が、頑張るよ……」


 デデン!

 蒼太の試験が1教科増えてしまった!


「途中からなし崩しになっちゃったけど、蒼太くん、また一緒に勉強会しようね」

「えっと、いいのか?」


「もちろんだし。蒼太くんが留年しないように、私が責任もって面倒をみてあげるんだから」


「成績優秀な優香に面倒を見てもらえるのは、ありがたいな」


 とはいうものの、家事だのなんだので忙しい優香にあまり迷惑はかけられないし、ある程度は自力で頑張らないとだ。


 俺は今日の勉強会によって、中間テストに向けて今までになくモチベーションを高めることができたのだった。


 待ってろよ中間テスト。


 俺はやるぞ!

 ウォォォォォォォォ――!!

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