第46話 だから、それ、だれ?

 「じゃ、さ」

 結生子ゆきこが言う。

 「いちおうきくけどさ。玉藻姫たまもひめ伝説って言われて、ああ、あのことか、ってわかる? あ、狐の玉藻たまもまえじゃなくて、玉藻姫って」

 「ぜんぜん」

 昔の流儀で、正直に、正直すぎるほど正直に答える。だいたいその「狐の玉藻の前」もわからないのだから、それしかしようがない。

 「そうか……」

 でも、結生子は、昔みたいにそこで固まってしまったりはしなかった。

 「瑠姫るきのお父さんやお母さんは、それ、伝えないようにしたんだね。下の世代に」

 瑠姫は何か思い出しそうになる。でも、それが何かを思い当たる前に結生子が言った。

 「小さいころさ、わたしと瑠姫と幸織さちおはいっしょに遊んだけど、ほかのおんなじ学年の子ってなかなかいっしょに遊ばなかったでしょ? 遊ぶとしてもあのホテルのところまでか、あとは学校の子がみんな来る海岸とかさ。家に行ったり来たりってなかったじゃない?」

 「ああ」

 たしかにそうだ。海岸でいっしょに遊んだり、あのルーローファンというのをいっしょに食べたりまではしたけれど、村のなかでは遊ばなかった。

 そのころはふしぎとも何とも思わなかった。瑠姫と幸織と結生子がとくに仲がいいだけだと思っていただけだ。

 「あとさ、瑠姫のとこ、もしかして、お隣とあんまり関係よくなかったか、すくなくともあんまり近所づきあいしなかったんじゃない?」

 「あ」

 たしかに「村のほうが人間関係が濃密」とかいう常識と違って、瑠姫の家は東京に引っ越してからのほうが近所づきあいが濃い。

 そうだ。

 東京に移ってからの両親には、村で近所の人に声をかけるときにいつも感じていた、ぴりぴりした、そうでなければ気取った、あらたまった感じがなくなっていた……。

 「それさ、瑠姫の家が帰郷家きごうけだからだよ。わたしたちの学年の女子では、わたしと瑠姫と幸織が帰郷家、ほかは還郷家かんごうけだった。瑠姫の家のあたりって、だいたいまわりみんな還郷家じゃないかな」

 そう言われても、わからない。だから、昔と同じように、ぶしつけに正直にきくことにした。

 「だから、それ何?」

 結生子は、まじめに瑠姫の顔を見つめてから、笑った。

 「ま、いいか。瑠姫のお父さんお母さんは、瑠姫に、それ、伝えないようにって苦心なさってたんだろうけど、ま、わたしたち、大人だからね。知っといてもいいでしょ」

 背筋や肩から力を抜く。

 「この村の家で、明治になったあとによそから入って来たんじゃない家は、帰郷家と還郷家の二流派に分かれるんだ」

 あのころ、結生子は、勉強のわからない瑠姫や幸織にこんな感じで教えてくれたものだった。

 「うん」

 いまも同じように教えてくれるのだろう。

 「そして、基本、帰郷家と還郷家は仲が悪い」

 「うん……」

 だから、あのころと同じように、「うん」とうなずいておくしかない。

 結生子は続ける。

 「だって、わたしたちが生まれるちょっと前まで、漁協も二つあったんだよ。それに、還郷家は玉藻姫、あ、いや、神様だから玉藻姫命たまもひめのみことって言ったほうがいいのかな。その玉藻姫命を信仰するけど、帰郷家は無視する」

 「だから、それ、だれ?」

 ここは無神経にあつかましく行こうと思う。

 学校で習ったことと違って、瑠姫が知らないのにはそれだけの事情があるのだ、たぶん。

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