第163話 真打ち登場
時は少しだけ遡り―――
メルトール王国軍の本陣に猛攻を仕掛けたバックス隊は、しかし敵の分厚い隊列を前にして勢いを失いかけていた。
個の練度、連携、戦術への理解度、全て勝っているのに、ただ一点圧倒的な人数差が絶望的。
どれだけの隊列を突破しただろうか。その度にどれだけの味方を失っただろうか。数え切れない死線を潜った果て、未だフィエーロの姿は遥か遠くにある。
「隊長!後ろの包囲網が!」
「なに!?もう囲まれたのか!?」
「い、いえ、ですが完成間近で」
部隊の先頭で戦うバックスは、部下の報告を受けて顔を歪めた。
作戦通りなら仲間達が包囲網の左右を咎めているはずなのだ。妨害が機能していないとなれば、その役を請け負った彼らはもう―――
「構わん!進め!進むのだ!」
恐怖、悲しみ、怒り、迷い、全ての感情を剣に乗せて正面の敵を断ち切る。そうして敵陣に隙間を抉じ開けたバックスは、自ら退路を断つようにそこへ飛び込んだ。後続がそれに続き、小さな綻びを徹底的に押し広げていく。
「我らの手で閣下に勝利を!!後ろは振り返るな!!」
「「「応ッ!!」」」
前後左右を敵に囲まれた陣中で逃げ場などない。止まれば続く味方の勢いに踏み潰され、左右には無数の敵。そして前方にも敵軍の隊列。
最早進むしかないのだ。
ゆえに部隊は決死の猛攻を続ける。
最小限の傷は許容し、致命傷だけを弾き、戦術のために数十年寝食を共にした戦友の命を取捨選択し―――バックスにとってそれはまさに地獄のような進撃と言えるだろう。
その全ての犠牲はこの戦争の、いや、オブライエンのため。
死と隣り合わせの地獄の最中にあって彼らが感じるのは、恐怖ではなく憤りであった。
―――何故オブライエンなのか。
誰よりも英雄を志した男に、何故神は優れた肉体を与えなかったのか。
どうせなら頭脳すら与えなければ良かったのだ。
人は見えない頂点に焦がれたりはしないから。
目の前に見えて、あと一歩、あと少し、手を伸ばせば届く場所に頂点があったから、オブライエンも、自分達も、それを求めて狂いに狂った。
そうした闘争の果て、武と智を揃えた真なる英雄の前に破れた時の絶望感は、今でも忘れられることはない。
許せない。
なんで、どうして許せないのだろう。バックスは自問してから微笑む。
―――ああ、そうだ。あのお方は私を救って下さったのだ。
事業に失敗した実家が多額の借金を抱えた。家を取り潰してもまだ返済が叶わず、一族郎党奴隷送りとなってようやくといった所だったか。
当時、まだ若かった妹や姉は泣いて嫌がり、そんな彼女らを見て自分は絶望したものだ。
けれどオブライエンが自分達をまとめて救ってくれた。
『どうせ終わるなら私について来ないか?』
鉱山送りも戦場も同じ地獄、されど後者には一攫千金のチャンスがあった。
だからバックスはオブライエンの手を取り、そして知る。
後に人生の主となる男は、自分と同じ後が無い者達を集めて己が部隊としているのだと。
妻子を失った者、家を勘当された者、貴族家の三男、前科持ちまでいたのには驚いたものだ。
最初は全く勝てなかった。
それはそうだろう。全員出自がバラバラで、連帯感などなく、個々の技量だけで戦うしか脳がなかったから。
けれど寝食を共にし続けると前科持ちだろうと関係なく情が沸いて、少しずつ、不器用ながらも連携なんかを意識し始める。
始めて勝ち星を拾った時のことは今でも覚えている。
メイザーと密かに練習していた付け焼き刃の戦術が偶然ハマって敵を蹂躙したのだ。
戦功を挙げた自分等はそのまま幹部に抜擢されて、いつしか部下を持つようにもなって―――
本当に、懐かしい。
あの頃は毎日が楽しかった。
鍛えただけ上がっていく実力。
互いに仲を深め、それが部隊としての強さにも繋がり、どこまでもやれるという全能感すら抱いていた。
オブライエンの大将軍になるという夢を全員で叶えたいと思い始めたのも、確かその頃だったか。
始めの内は自分を含めそれぞれが人生をやり直すための戦いだった。
必死に生きて、笑って、泣いて、そしていつしかオブライエンを慕うようになって、彼の夢が全員の夢になっていたのだ。
けれど、幸せな日々は長く続かなかった。
世界最高峰の頭脳を持っても、その肉体は貧弱の極み。並の軍人にも劣る虚弱体質であったオブライエンでは打てる戦術に限界があり、そして彼を支える自分達もせいぜいが一流止まり。その先に至る人材は一人もいない。
だから登り続けた果て、自分達と同じく死線を潜り抜けてきた猛者達とぶつかって、当然のように負けた。
ガルディアスやアイザックが先陣を切って戦う姿に、何度嫉妬したことだろう。
前に立って味方を鼓舞できないオブライエンが必死に考え、試行錯誤を繰り返してようやく会得した零度の雰囲気を、ただ馬鹿みたいに先頭を走るだけで熱く塗り替える奴らには、いっそ憎しみすら感じていた。
何故自分達なのか。
何故、何故、何故。他になにも求めなかったのに。ただ皆と頂点の景色を見たかっただけなのに。それさえあれば良いのに、何故その唯一を奪うのか?
その感情を周囲に向けるのが間違いであることは分かっている。当たり前だ。勝手に抱いて勝手に敗れた夢。他人からしたらいい迷惑だろう。
けれど、それでももう一度だけ、何をしてでも仲間と頂点へ駆ける瞬間を味わいたかった。オブライエンを最強にしたかった。
だから―――今度は奪わせない。
大将軍を巡る争いに敗れてから数十年、これまでの悪行は全てこの瞬間のためにあったのだから。
○
フィエーロは信じられないモノに向ける目でバックスを見つめていた。
一体どれほどの死線を越えてきたのだろう。全身を自らの血と返り血に染め、片目は潰れ、左腕は砕け、脚も震えている。
ただ立っているだけで足元に血溜まりができている。どう見ても満身創痍、指先で押せば倒れそうな状態だが、それでも彼は絶望的な戦力差を突き破ってメルトール王国軍の本陣奥までやって来た。
「フィエーロ様!」
「狼狽えるな。ここに来られたのは想定外だが、負ける道理はない」
フィエーロは冷静に状況を見切ってそう断言する。
バックスに付き従う部下は僅か数十人のみで、そのほとんどが同じく既に致命傷を受けているのだ。
対してフィエーロ側はこれまで英気を養ってきた精鋭が二百人。
それらで壁を作っているだけでも相手は勝手に死んでいくだろう。まともに戦う必要もない。
「ここまで詰められる展開は予想外だぞ、オブライエンの副官よ」
「はぁ、はぁ、ぁ、こ、これから、まだ予想外に、なる」
「これ以上はさせんよ―――お前達、磨り潰せ」
「「「はっ!」」」
フィエーロの命を受けた精鋭が弾けるように動き出す。一瞬でバックス達は包囲され、最早抗うことすら難しくなった。
「さあここからどうする?」
じっくりと料理するように戦況を支配するフィエーロ。消極的だが圧倒的な差がある現状であれば、それは下手を打たないという点で手堅い強さだろう。
長い時間を掛けてじりじりと包囲網が狭まっていく。
全身から血を流すバックスは、朦朧とする意識を奮い立たせて剣を構えた。
「俺が包囲網に突撃を仕掛ける。必ず穴を空ける。誰でもいいからそこに雪崩れ込め」
「いえ、それでしたら私が死に役を勤めましょう」
「は?」
オブライエンにバックスという副官がいたように、その声の主はバックスにとっての忠臣である男だった。
「この中で最も突破力があるのはバックスさんでしょう?それに僕たちの中で一番貢献してきた。最後に美味しいところ、持ってって下さいよ。ねえ?」
彼がおどけたように周囲に問い掛けると、皆が異口同音に賛成を示した。
「そう、か。世話をかけるな」
「いえいえ。また皆で酒でも飲み明かしましょう」
「そうですよバックスさん。向こうで盛大に自慢してやりましょう。フィエーロを討ち取って流れを変えたのは俺たちだってね」
「ふう、そうだな」
文字通りこれが最後の突貫となるだろう。恐らくここにいる全員が死ぬ。
それでも不思議と恐怖はなかった。
絶望の中で緩やかに死ぬくらいならば、最期まで鮮烈に生き抜く方が美しい。
オブライエンの元に勝利を届けるのだ。
だから、
「全員、突撃ィイィイ!!」
バックスは人生最後の命令を下した。
瞬間、爆発的に跳ね上がる戦意。オブライエンの元で零度の雰囲気を纏っていた彼らが、その冷たさをより深めて攻め掛かる。
極限の集中。個人の限界を引き出すのがオブライエンのやり方であり、今の彼らは限界を越えた集中力を発揮していると言えた。
バックスの忠臣が包囲網の最も薄い場所に飛び掛かる。
剣を振るのではなく両手を広げた無防備な突撃。当然のように全身を剣で刺し貫かれるが、それこそが彼の狙いである。
「ぁ、がぁあ、い、ま、だぁぁ!!!」
一人でも多くの攻撃を己に集中させることで、敵の攻め手と味方への損害を同時に減らしたのだ。
彼を貫いた敵兵は、剣を引き抜く前にバックス隊のメンバーに切り殺される。そして包囲網に綻びが生まれたところに真打ち登場。残る力を振り絞ったバックスが、渾身の一撃で脆い包囲を完全に打ち破った。
「いけぇ!!」「フィエーロを殺せ!」「これで我らの勝ちだぞ!行け!」
今の突撃に全霊を賭したバックスが動けない横で、彼の部下がいっせいにフィエーロ目掛けて走り出す。
幾人かが追い縋る敵兵に足止めを食らっていたが大部分は目標まで到達した。
それを見たバックスは勝利を確信してようやく安堵の笑みを浮かべ―――
「私の首も甘く見られたものだ」
フィエーロの身が爆ぜるように動いた。
綺麗に無駄なく首だけを狙った鋭い斬撃が無数に閃き、次いでバックスの部下達の首が舞う。
僅か数瞬の間。それが過ぎた頃には、包囲を抜けた者たちが全滅していた。
「で、お前の策はもう終わりか?」
「あ、あぁ」
バックスの身を浸す絶望感。それはオブライエンが夢敗れた時に味わったのと同じモノ。
卓越した頭脳と肉体を両立する、『本物』になる条件を満たした化物がここにもいた。
アイザックやガルディアスを見慣れているバックスからすれば、フィエーロの強さはまだまだ完成には程遠いが、いつかは間違いなく同じ領域に至るだろう。
「ふざ、けるなッ」
「遺言はそれでいいか?」
「ふざけるな、こんな、これでは、我らの思いはどうすれば―――」
「知らんよ。誰もが何かしら覚悟を持ってここにいる。勝てばそれを成し遂げ、負ければゴミ同然に踏みにじられる。それだけの話であろう?」
そう。負ければ全てはゴミとなる。だからこそバックスたちは手を汚してでもこの地で力を蓄えてきたのだ。
それを無駄にはできない。無駄にするには進みすぎた。無駄にするには多くを失いすぎた。
ここに来る道半ばで散っていった仲間達、周囲に倒れ伏す仲間達、オブライエンの方に付き従った者達も大勢死んだのだろう。
ここで死ねばその全員の死が無駄になる。
「ああああああああああああああああ!!!」
満身創痍の老体に鞭を打って、バックスは高く剣を振り上げて走り出した。
背後から敵兵に背中を突き刺される。
痛い。
だからどうした。
進め。
血反吐をぶちまけ、腹からは臓物を垂れ流して、それでもなお彼我の間合いを駆け抜ける。
「死ねぇえ!!」
「断る」
されどその覚悟は無情に切り捨てられた。振り下ろした剣を利き腕ごと切り離され、唖然とそれを見送るバックス。
フィエーロは返す一閃でさらに左腕まで切断し、バックスから抵抗の術を完全に奪った。
「ぁぁぁぁぁあ!!!!」
それでも止まらない。
これまで周囲から奪ってきたモノ、今日まで失ってきた仲間達。そして何より―――
「閣下を、我らの手でェ!!」
「くどい!!」
さらに断たれるが、倒れない、止まらない。バックスは動くほどに近付く死を度外視して全力で抗い続ける。
その異様な圧力に屈したフィエーロが無意識の内に一歩後退し、
「あっ」
背後に横たわっていたバックスの部下に躓いて、致命的な隙を晒した。
その一瞬を見逃すほど、数十年夢を追い続けてきた男は甘くない。
一瞬で間合いを詰め切ると剣を振ろうとして、しかし腕を失っていたことを思い出して咄嗟に大きく口を開く。
そしてフィエーロの首筋に深く噛み付いて、動脈ごと肉を食い千切った。
「ぎぃぁぁぁぁああああ!?!?がぁぁぁああああ!?」
さらに二度、三度、ようやく追い付いてきた敵に全身をズタズタに切り裂かれながらも、フィエーロから引き剥がされるその瞬間まで致命傷を与え続ける。
「貴様、よくもフィエーロ様を!」
最早最後の力すら振り絞ったバックスは、名も知らぬ敵兵に首を切り飛ばされて絶命した。
両手と首を失い、足も切られ、腹からは臓物をこぼし。その凄絶な死に様はまるで獣のよう。
されど、歪んで、汚れ切って、地面を這いつくばってでも貫いた彼なりの騎士道が、フィエーロの命運を断っていた。
「ひゅ―――ぁ、はぁ、あっ」
「フィエーロ様!」
「気を確かに!今救護班が来ております!」
「くそ、血が止まらない、これでは―――」
いずれアイザックやガルディアスに並んでその名を語られるはずだった英雄が、オブライエンの意思に敗れたのだ。
○
バックスが死に絶える一時間ほど前、アウシュタット要塞都市にガルディアスが到着していた。
本来であれば大軍を率いての援軍となるところを、オブライエンの要請を受けて単身馬を飛ばして大幅に時間を短縮してきたのだ。
到着した彼を迎えたのはオブライエンの忠臣である男の一人。ガルディアスもよく知るオブライエン過激派の一人である。
「状況は?」
問答は緊張感を伴っていた。
戦況次第ではすぐにでもガルディアスが全権を握って指揮を取らなければならないが、相手の機嫌次第でそれが妨害されてしまうからだ。
しかしそんな大将軍の心配は―――
「オブライエン様からの『遺言』でございます。これより全権をお前に移す。あとは好きにやれ、と」
「は?おい待て、今遺言と言ったか?」
忠義に燃える老兵は涙ながらに答える。
「はい。全ては初めから決まっていた事でした。オブライエン様とあのお方を支える過激派が死ぬことで、指揮系統をスムーズにあなた様に移行するようにと。ご安心下さい、軍を動かせるだけの人材は残しておりますゆえ」
―――そう、全ては仕組まれていたことなのだ。
オブライエンがいる限り、この地は歪んだ権力争いから抜け出すことが出来ない。
だからアイザックという強大な敵を相手に、オブライエンの手勢だけで戦い抜いて、敵に大打撃を与えた上で自分達は消えてなくなる。
そうすればガルディアスの戦いや戦後のこの地に障害はなく、全て上手く事が運ぶだろうと。
そこまで見越してオブライエンは見事その作戦を完遂してみせた。
「どうか、どうか我らをお使い下され!この怒り、悲しみ、全て力に変えて暴れてみせましょう!」
今にも決壊しそうな感情を滾らせる男がガルディアスに頭を垂れる。
「分かった。戦況を教えろ」
「かしこまりましたッ」
アルカディア最強の男が死兵と化した歴戦の勇士たちを得て、この戦場に参戦した。
―――――――――――――
前話の終わりを読むとバックスたち全滅してどうやって敵陣を取るの?と疑問を抱くかもしれませんが、そこはちゃんと次で拾います。
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