手を取り合って(5)【完】
私はクラリスの手でパーティー用のドレスに着替える。
この日のためにレイジがデザインしたとっておきのドレスは、艶やかな深緑を基にした落ち着いた色調で彩られており、それが刺繍や装飾によって彩られている。
なにより、このドレスにはいざという時に脱ぎ捨てて動きやすくする機構が搭載されていない。『この会場で、お前に剣を向けようという者はもういない』というレイジのデザインに、私は一切の不満を持たなかった。
「とてもよくお似合いですよ、お嬢様」
「ありがとう、クラリス」
クラリスはこれまでただひとりの侍女として私を支え続けてくれている。
だけど、近いうちに侍女を増やす予定だとレイジが教えてくれた。
クラリスにも自由な時間が必要だというのはもちろんだけど、私の侍女になりたいという令嬢もちらほらいるのだという。
「あなたが支えてくれなかったら、今の私はなかったわ」
「ふふっ、そう言っていただけて光栄です」
クラリスはネックレスを付け終えると、満足そうにうなずいた。
「殿下から伺いました。今後はお嬢様の侍女を増やし、私に休みをくださると」
「私のためにクラリスの時間を奪っていたのだから、クラリスも社交界に出ていい結婚相手を見つけてほしいの」
「お心遣い、感謝します。どんな侍女が来たとしても、私が一番お嬢様のことを尊敬しているということ、忘れないでくださいね?」
「ええ、もちろんよ」
私がぽんぽんと頭をなでると、クラリスは頬を赤らめて目を細めるのだった。
「よく似合っているな」
「ありがとう。レイジもよく似合っているわ」
パーティー会場の皇室用控室で、私とレイジは顔を合わせる。
同じ皇太子宮にいるはずなのに一緒に来なかったのは、急ぎで決定したい事項があるからとレイジが先に皇宮へ向かい、用事を済ませてからこちらに向かってくる手はずになっていたからだ。
レイジは皇族の礼服に身を包み、皇太子としての威厳を全身にまとっている。
「では、行こうか」
「ええ、行きましょう」
私は差し出された腕に手を添えて控室をあとにする。
「それで、フランツの処遇はどうなったの?」
会場への道すがら、私はレイジに疑問をぶつける。
「……ステラ。パーティー会場でまでそんなことを考えなくてもいいんだぞ?」
「それはそうなんだけど、気になってそれどころじゃないわ」
私が顔を背けながらそう告げると、レイジはため息をついて。
「奴は当面、別宮で軟禁されて相談役として働いてもらう。ある程度の働きが認められたら解放することになるだろうな」
「へえ、解放するのね」
利益を搾り取るだけ搾り取って処刑する可能性も考えていたので、少し意外に思う。
「奴の戦力を削ぐために食事を弄って時間もかける。そう簡単に戦線に戻ろうとは思わんだろう」
レイジは意地悪な笑みを浮かべる。
その笑顔は久しぶりに見たなあと思って、私は頬を緩めた。
会場に入ると、私たちはまず上位貴族たちに挨拶してまわることになった。
「レヴァンタル公爵。参加いただきありがとう」
「殿下。この度は戦勝おめでとうございます」
レヴァンタル公爵はレイジの呼びかけに応じ、次いで私にも視線を向けた。
「戦争の折、イクリプス王国に参戦を求めて自ら先頭に立ち、国境の防衛に貢献されたと聞き及んでおります。帝国のためにご尽力いただいたこと、レヴァンタル公爵家として感謝申し上げます」
「ありがとうございます、レヴァンタル公爵。帝国を守るため、私にできる限りのことをしたかったのです」
「本当は危険だから先頭に立たせるつもりはなかったんだがな。止められなかった」
レイジが愚痴をこぼすと、それに応えたのはレヴァンタル公爵の背後にいた人物だった。
「本当ですわ。自ら軍の先頭に立つ皇太子妃なんて聞いたことがありません」
「アリアンヌ様……」
「ですが……無事に帰ってきてくれてよかったですわ」
そう言って、アリアンヌ令嬢は私の手を握る。その手は小さく震えていた。
一年前、この場所で私がレイジの婚約者となることに反対していたアリアンヌ令嬢が、今では私を心から心配してくれている。なんともむずがゆい気分になった。
「あのときは、急に出てきてレイジ殿下を奪っていくなんて許せるはずがない、と思っていたのですが」
次に挨拶した先、リシャール公爵家のラドニス令嬢は、眉を吊り上げて私をにらむ。
「あれから一年でその考えを自発的に曲げることになるとは思ってもいませんでした」
吊り上げた眉を戻して、ラドニス令嬢はため息をつく。
「そうさせたのも、レイジが無理難題を押し付けてきたからでしたね」
「その無理難題があったからこそ、ステラは余計なことを考えずそれに集中できただろう? それを乗り越えられたのはステラが」
「レイジ……」
私がレイジの言葉に胸を高鳴らせていると、隣からわざとらしい咳払いの音が聞こえて心臓が飛び跳ねる。
「ステラリア様。私たちは確かに憧れだった殿下との結婚は諦めましたけれど、だからといって殿下とののろけ話を正面から受け止められるほど受け入れられてはおりませんのよ?」
「失礼しましたー!」
私は全力で頭を下げると、そそくさとその場を去るしかなかった。
振り返ったラドニス嬢は笑顔で手を振っていて、私はしてやられたと頭を抱えるのだった。
「久しぶりね、サブリナ」
「お久しぶりです、ステラリア。戦勝おめでとうございます」
ノーステッド侯爵家では、サブリナが私を出迎えてくれた。
「ありがとう。そうそう、今日は手袋をこれと汚れたときの換えしか持ってきていないの。このドレスも動きにくいし、これで決闘することはできないわ」
サブリナは帝国でも貴重な私が呼び捨てできる人物であり、決闘法を廃止させようと考えたときに多大なお世話になった人物でもある。
「お役に立てたのなら幸いです。今回は現地にいたので仕方ないですが、今後も戦場に飛び出したらダメですよ?」
隣にいたレイジがぶんぶんと首を縦に振っている。
私ってなにか起きたらすぐに剣を持って駆けだしそうな雰囲気でもあるのだろうか。いや、ここでそれを聞いても期待通りの返事はもらえない気がする。
「き、肝に銘じておくわ」
「そうしてください。殿下もステラリアをよく見張っておいてくださいね」
「ああ、そうしよう」
「それと殿下。いい加減、兄の結婚相手をなんとかしなければと父も気にしているのです。もう少し兄に休みをいただけないでしょうか?」
「……そうだな。ステラがセルジュの代理を担えるようになれば、セルジュの休みも増やせるだろう」
レイジの側近の役割はかなり大変そうだったけど、それだけ私を信頼してくれているのだと思うと嬉しいものがある。
「そうね。セルジュの休みが決まったらサブリナに連絡するから、例の場所に案内してあげるといいわ」
「もちろん、そうさせていただきます」
なんのことかわからずに首を傾げたレイジを見て、私とサブリナは笑いあうのだった。
あちこちに挨拶周りをしているうちに、パーティー開宴の時間がやってきた。
皇帝陛下は『外交はすべてレイジに任せている。あとはレイジから伝えることにしよう』という端的な挨拶にとどめ、レイジに挨拶の順番が回ってくる。
「俺とステラリア嬢の婚約を報告し、イクリプス王国との友好を温めるパーティーで、予想外の事態に見舞われることとなった。しかし、我ら帝国の帝都騎士団とイクリプス王国のディゼルド騎士団が手を携えることで、その困難をことごとく打ち破ることができた。戦況を切り開いた帝都騎士団、援軍に駆け付けるまで国境を守り抜いたバスティエ騎士団をはじめ、多くの者の助けがあってこそのことだ。皆よくやってくれた」
レイジのよく通る声が会場に響き、誰もがそれに耳を傾けている。
一年前、レイジがこの場で発言していたときとは、同じ静寂でもまるで雰囲気が違う。
「なにより、隣にいるステラリア嬢が両国の橋渡しとなり、イクリプス王国の援軍を帝国まで導いてくれた。時には自ら先頭に立つこともいとわず、帝国を守るために全力を尽くしてくれた。俺はこの戦いを通して、彼女が皇太子妃に足る人物だということを確信した」
レイジはちらりと私を見ると、
「一年前。この場に立ったときした質問を、あえてもう一度しよう」
小さく息を吸って。
「発言を許す。今ここで、彼女に物申したい者は申してみよ!」
会場じゅうに轟く声で、そう問いかけた。
しんと静まり返る会場。それは誰かの発言を待つようなじりじりとした沈黙ではなく、ただただ穏やかな静寂といった雰囲気であった。
「……発言はないのだな。ならば、この結婚に賛同する者はあるか!」
一瞬、困惑するようなざわめきが会場を駆ける。そして、
「申し上げます」
そう声を上げたのは、セルジュやサブリナの父であるノーステッド侯爵だった。
「ステラリア様は我が娘サブリナと協力し、当家の発展に向けた具体的な道筋を立ててくださいました。セルジュという後継者がいるためあまり家のことをさせてこなかったサブリナが嬉しそうにその計画を話し、自ら実践しようと意気込んでいるのを見ると、ステラリア様がサブリナをよい方向へと導いてくださったことには感謝しかございません。我がノーステッド侯爵家は殿下とステラリア様の結婚に賛同いたします」
そう答えると、ノーステッド侯爵は恭しく頭を下げる。
「うむ、ノーステッド侯爵の言葉、確かに受け取った。他にはあるか?」
レイジが繰り返すと、すぐにいくつかの手が挙がる。
「では私も。バスティエ伯爵家はステラリア様に大恩がある。今回の戦争で国境を防衛することができたのは、ステラリア様の協力があったからに他ならない。バスティエ伯爵家も殿下とステラリア様の結婚に賛同する」
「同じく、レヴァンタル公爵家も殿下とステラリア嬢の結婚に賛同する」
「リシャール公爵家も、殿下とステラリア嬢の結婚に賛同する」
この一年、とくに縁深かった上位貴族の家門から、次々に賛同の声が上がる。そして、それに呼応するように他の貴族からも。
一年前には、この光景は想像すらできなかった。
目に映る全員が敵のように思えて、どうすれば彼らに心から認めてもらえるか見当もつかなかったから。
これは私ひとりで成し遂げたことではない。レイジが道を示してくれたから、この光景を見ることができた。
私は心の奥に熱いものを覚え、胸のあたりをぎゅっと握りしめる。
「皆、ありがとう。これで、ステラリア嬢が我がポーラニア帝国の皇太子妃に足る人物であったと理解してもらえたと思う。残るは、俺がステラリア嬢に認めてもらうだけだ」
そう告げると、レイジは私の方へと向き直る。
そして、皆の前で、あろうことか私の足元に膝をついた。
「ステラリア嬢、俺は改めてあなたに結婚を申し入れる」
それは、あの日本当はやりたかったことのやり直し。
「俺は戦場であなたに出会い、美しく輝いていたあなたに一目惚れした。この一年、あなたと共に過ごして、その想いはますます強くなっていった。かつては無理難題を押し付けたこともあったし、危険な目にも遭わせてきた。それでもなお、それを乗り越えたあなたを前に、俺はただ想いを募らせることしかできなかった。いずれ俺は皇帝として帝国を治め、導く立場になる。そのとき、あなたが隣にいてほしいのだ。苦難もあるだろう、ときにあなたを守り切れないこともあるかもしれない。それでも、俺はあなたと生涯を共にしたい。俺と結婚してくれないだろうか」
レイジは私を見上げ、右手を差し出した。
私はすぐにその手を取ることができず、震えた声が先に出る。
「あなたは、それでいいの? 私はここにいるどの令嬢よりも令嬢らしさに欠けて、国境を守るためだけに体を鍛え上げて、帝国に多大な被害を与えたわ。そんなかわいげのない人物と結婚することになって、本当にいいの?」
「そんなあなただからこそ、俺は愛おしく思っているんだ。己を美しく着飾るだけではなく、ただ守られるだけでなく。戦場で己のすべてをぶつけ、俺に向き合ってきたその姿は、帝国で美しいとされるどの令嬢よりも美しく輝いて見えた。俺が結婚したいと願う相手は、あなたしか考えられない」
「……ありがとう、レイジ」
その言葉が私の心に留まっていたわずかな不安を解かしてしまったようで。
私はレイジの右手をそっと握り返す。
「私の生きる道を見つけてくれて。私の疑問にすぐ答えてくれて、私の意見を受け止めて意見を出してくれる、この打てば響く関係が心地よかった。私も、あなたと共にありたいわ」
「……ありがとう、ステラ」
レイジの瞳から、一筋の雫がこぼれる。
そこには、今日ここに至るまでのあらゆる想いが込められているようで。
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとう、ステラリア様」
会場じゅうに喝采が巻き起こる。私はレイジを立ち上がらせると、その肩に寄りかかった。
レイジは私の肩を抱き留めて、喝采に応えるように手を振っている。
未だ国内外に不安の種は残っていて、すべてが落ち着いたとは言い難い。
だけど、レイジとならなんだって成し遂げられると信じられる。
かつての仇敵から、これほどまでに息の合ったパートナーになれたのだから。
会場に手を振りながら、私はこれからの未来に胸を躍らせるのだった。
【完結】敗戦国の戦姫令嬢は生き残るために仇敵皇太子の婚約者になりました 鞍馬子竜 @Shiryu_Kurama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます