第49話

 火葬は滞りなく済んだ。費用は親父に事情を説明して捻出してもらった。氷岬は両親の骨が入った小箱を持って自分の部屋に引きこもった。

 今はそっとしておいてやるのがいいだろう。

 俺は晩飯をインスタントラーメンで済まし、風呂に入って自分の部屋に戻る。ベッドに入って眠りに落ちる寸前、部屋のドアが開いたのに気付く。

 ネグリジェ姿の氷岬が、俺のベッドに入ってくる。


「おい、氷岬、勝手にベッドに入ってくるな」

「…………」


 氷岬は無言で、俺のベッドに潜り込むと俺の隣に寝ころび、俺と向かい合う。顔と顔がくっつきそうな距離まで詰められる。


「私と結婚して」

「……は?」

「結婚してくれないなら、今ここで拓海くんの純潔を貰うわ」


 そう言って氷岬は俺の体に指を這わせる。そして、不意に俺の頭に手を回すと自分の方へ引き寄せた。

 唇と唇が接触し、柔らかな感触を味わう。どうだっていいじゃないか。氷岬は傷ついている。それを慰めてやるぐらいいいんじゃないか。そんな考えが脳内を支配氏はし始める。

 違う。これは俺の欲望だ。氷岬を抱ける。目の前にそんなおいしい状況ができあがっていて、それを俺は受け入れたいだけなんだ。その言い訳をしているに過ぎない。

 俺は咄嗟に氷岬を押し返し、唇を離す。


「悪いが初めてはもう捧げたんだよ」

「かまわないわ」


 氷岬はためらいなく俺の頭を引き寄せ、唇を奪ってくる。俺は無理矢理引きはがそうとするが、キスの味は心地よく、だんだんと受け入れてしまう。舌と舌とを絡ませ、濃密なキスを氷岬と繰り広げる。

 体に指を這わせてくる。ぞくぞくとした感覚が体を襲う。俺の息子は素直な反応を示し、欲望を忠実に表現している。


「体は正直ね」

「…………」


 俺はなんの反論もできずに、氷岬の行動を受け入れる。パジャマを脱がされ、上半身が裸になる。氷岬もネグリジェを脱ぎ捨て、下着姿になる。そして、氷岬は俺の手を自身の胸に誘導し、誘惑してくる。


「どうかしら」

「どうかしらじゃねえだろ。こんなことやめろ」

「あら。私は本気よ。本気で拓海くんに抱かれる気でいるの。だからお願いだから抱いてちょうだい」


 そういう氷岬だが、俺の手を掴んだ手は震えている。俺は溜め息を吐きながら、氷岬に覆いかぶさる。氷岬は目をぎゅっと閉じて、唇を引き結ぶ。


「そんな震えて力も入ってるのに、抱いてだと? 馬鹿も休み休み言え」

「…………」


 俺は氷岬にチョップをかました後に頭を撫でる。


「俺はお前とそんな関係になりたいわけじゃないんだ。こんなことしなくても俺たちはもう家族だろ」

「……そう言ってくれるのは嬉しいわ。でも、私にはもう誰もいないの。本当にいなくなってしまったわ」


 氷岬の目に涙が浮かぶ。俺はその涙を拭いながら、頭を撫でてやる。


「約束する。俺はお前の家族であることをやめることはない。だからこんな自棄を起こすなよ」

「でも、それは偽りの関係でしかないじゃない。本物の関係じゃないわ」

「結婚したりこういうことをすることが本物の関係なのか? 俺はそう思わない。お互いに絆があれば、俺はそれこそが本物だと思う」

「詭弁よ、そんなの」


 氷岬が納得する様子はない。家族に捨てられ、その家族をも失い、この世に絶望してしまった少女。その少女を救うには、俺が結婚することが正しい選択なのか。いいや、違うだろ。それは俺を犠牲にしている。そんな自己犠牲の果てに得られるものなんて、正しいはずがないんだ。

 だから言おう。俺の想いを。この胸に抱いている感情を。氷岬に伝えよう。俺ができるのはそれだけだ。


「氷岬。よく聞いてくれ。俺は渚が好きだ。だからお前と結婚はできない。でも、お前のことも好きなんだ」

「何言って……」

「正直、凄く悩んだ。俺は二人の女の子を同時に好きになっちまったんだって。とんでもねえクズだよな。笑ってくれていいし罵ってくれていい」


 氷岬は笑わないし罵らない。ただ真剣な眼差しで俺の話を聞いている。


「でも、気付いた。俺は渚が一番好きなんだって。だから俺は恋人としてお前を選べない。でも、家族としてなら、愛せる。だからさ、家族としてじゃダメか? 正直、お前俺に恋したりしてないだろ」

「っ⁉ そんなことはないわよ」


 氷岬の声がどもる。こいつが求めているのは家族という関係だけ。その為にこいつは体を張っているのだ。


「これは親父と相談しないとわからないことだけど、親父とおふくろの養子になったらどうだ」

「え?」

「そうすれば、お前の言う本物の家族になれるぞ。誕生日は俺の方が早いからお前は妹になるな」

「…………」


 氷岬は頤に指を当てて思案する。


「悪くない話だろ」

「……そうね」

「だからこんな真似やめろ。お前が自棄を起こすのはまだ早い。本当の家族になるのに、こんな関係になっちまったらやりにくいだろ」


 氷岬に止まってほしくて、俺は必死で説得する。ここで氷岬が引いてくれなければ、俺は自身の欲望に抗える自信がない。当たり前だろ。俺は氷岬が好きだし、魅力的だと思ってるのだから。


「……わかったわ」


 氷岬がネグリジェを身に着ける。

 良かった。立ち止まってくれて。俺はほっと胸を撫で下ろす。

 その瞬間、氷岬が俺の耳元に口を寄せ、そっと囁く。


「今日ので拓海くんに恋しちゃったわ。だから、汐見さんと別れたら覚悟してね」


 やれやれ。これはまだまだ胃が休まりそうにないな。

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