第25話

 美術の授業を終えた俺は、再び氷岬のもとへ向かう。


「ずいぶんと楽しそうだったわね」

「見てたのか」

「それは見るわよ。恋敵と楽しそうにしているんだもの」


 あくまで口調は茶化す感じ。冗談のようだ。


「安心して。ふたりの仲を邪魔するようなことはしないから。それはルール違反」


 氷岬はそう言うと、俺に体を預けてくる。


「だからこうして私にかまってくれる時間にアピールするわ」


 柔らかな感触が伝わってくる。氷岬とはよくこうして密着することが多いが、いまだに慣れない。


「どうかしら」

「……柔らかいです」

「正直ね」

「嘘言ったってしょうがないだろ」


 俺は赤面しながらゆっくりと氷岬を支えながら歩く。周囲から舌打ちが聞こえるが、そんなことも気にならないぐらい、いい匂いがした。

 教室の氷岬の席まで氷岬を誘導し終えた俺は、自分の席に戻って一息つく。

 授業が進み、放課後になった。クラスメイトたちは部活にバイトに赴いていく。


「それじゃ、私も先に帰ってるわ」

「遠慮するな。タクシー乗るまではついていく」

「でも、あなたは日直の仕事があるでしょ」

「汐見がやっといてくれるってさ。汐見にも礼言っておけよ」


 俺はそう言うと、氷岬に体を貸す。氷岬は微笑むと、俺に体を預けてきた。

 氷岬を校門前まで連れて行く。タクシーが来るのを待っていると氷岬が話し掛けてくる。


「汐見さん、可愛いわね」


 氷岬はこちらを見ずにそう呟いた。どんな感情でそう言ったのか、俺にはわからない。


「だろ。俺も可愛いと思ってる」

「でしょうね。羨ましいわ、汐見さんが。あなたに想われて」

「お前だって十分可愛いじゃないか」

「でも、君の心には届いていないわ」


 氷岬が正面から見据えてくる。その眼差しは真剣で、俺に有無を言わせない。

 馬鹿を言うな。俺がどれだけ普段から自制していると思っている。


「まあいいわ。もっと可愛くなるよう努力するだけだわ」


 健気だ。男として、こんなに思われて嬉しくないはずがない。


「お前のその前向きなところは見習いたいよ」

「私は前向きじゃないわよ。どちらかというと後ろ向き。でも、そうね。君のことは別」


 そんな話をしているうちにタクシーが着いた。氷岬をタクシーに乗せ、手を振る。


「また後でな」

「ええ、また後で」


 タクシーが走り去っていく。俺も帰るとするか。

 帰り道、俺は考える。たまにはひとりで考えたいときもある。


 汐見のことを考える。胸が高鳴る。幸せな気持ちになる。


 氷岬のことを考える。胸が高鳴る。ほっとけない気持ちになる。


 俺が2人に対して抱いている感情は、限りなく近しい。俺は無自覚のうちに氷岬のことも意識していたのか。

 ため息を吐く。自分が情けない。あれだけ汐見一筋だと心に決めていたのに、俺は少し揺らいでいる。優柔不断だ。自己嫌悪に陥る。

 汐見のことが好きだ。付き合いたいと思う。恋人になってあんなことやこんなことがしたいとも思う。


 氷岬とはどうだろう。一緒に住んでいる所為か、氷岬とは恋愛という感じはしないか。それでも目が氷岬を追う。放っておけない。実際に世話を焼かれているのは俺だが、目を離したら遠くへ行ってしまうような、そんな儚さがある。


「どうしちまったんだ、俺」


 頭を抱える。氷岬の俺へのアピールは確実に効果が出ていた。

 正直、2人に対して抱いている気持ちが、どっちが本物なのか俺にはわからなくなってきた。


「わからないなら、確かめるしかないか」


 まずは汐見。今度のデートで汐見への気持ちを確かめる。俺が本当に氷岬より汐見が好きなのかを。




 それから週末までの時間がやけに長く感じた。汐見とのデートを楽しみにするあまり、夜も眠れない日が続いた。これやっぱり汐見のことが好きですね。デートに行く前から答え出ちゃってますね。

 そうだよな。俺の長年の片想いがぽっと出の感情に負けるわけないよな。

 俺は私服に着替えて家を出ようとする。


「出掛けるの」

「ああ、ちょっとな」


 氷岬は俺の格好を見て、小さく頷いた。


「うん、その格好なら汐見さんに受けも悪くないと思うわよ」

「なんだ知ってたのか」

「それだけ気合入ってれば好きな子とデートに行くんだとわかるわ」


 氷岬はそれだけ言うと奥へ引っ込む。少しへそを曲げてしまっただろうか。

 あまり機嫌を損ねてないといいが。

 結局、氷岬の見送りはなく、俺は家を出た。今日は14時に近場のカフェで待ち合わせだ。

 時間より10分前に現地に着く。汐見はまだ来ていない。汐見はどんな格好で来るのだろうか。お洒落してくるのだろうか。


「あ、藤本くん、待った」


 汐見の声がしたので振り返ると、笑顔でこちらに向けて手を振っていた。


「ああ、全然今来たとこ」


 汐見と合流した俺はその格好を確認する。黒のベレー帽に白のシャツ、それから黒のロングスカート。化粧もしており、学校で見る姿より可愛く映った。長い付き合いだが、汐見の私服姿は初めて見たな。


「その、学校で見るより可愛いよ」


 俺はお世辞じゃなく、本音でそう言った。


「ありがと。気合入れた甲斐があったな」


 汐見ははにかんでそう言うと、俺の手を引いた。


「お店入ろ」


 汐見に手を引かれてカフェに入店する。中は落ち着いていたお洒落な雰囲気のカフェだった。近場だが来たことはなかった。そもそも女子が好きそうなカフェだし、男1人では入り辛い。


「藤本くんは何食べる。今日は私の奢りだから、好きな物頼んでね」


 メニューを見る。夏限定のメニューが並んでいる。せっかくだし、この夏限定のメニューでも頼もうか。


「じゃあ、この『夏限定マンゴーパフェ』で」

「おー、いいねえ。限定品はやっぱり外せないよね」


 汐見はそう言いながら、自身も別の夏限定メニューを頼んでいた。それからドリンクは無難にコーヒーを注文し、俺たちは席に着く。


「改めてお礼。この間は傘に入れてくれてありがとう」


 汐見がそう言って頭を下げてくる。


「言っただろ。気にしなくていい。それに今日奢ってもらってるしな。それで十分だ」

「ふふ、藤本くんらしいね。実はあれ、人生で初めての相合傘だったんだ。だからただ傘に入れてもらったってだけじゃなくて、貴重な思い出にもなったよ」

「確かに相合傘とかいかにも青春って感じだもんな」

「うん。高校生の間に体験したかったんだ。好きな人と相合傘できたらなあって……あ、いや、もちろん藤本くんが好きな人ってわけじゃないよ、うん」


 わかっていますよ。そんなに強く否定しなくても。


「藤本くんは別に好きな人じゃないけど。けど、凄く嬉しかった。だからあの時傘に入れてくれてありがとう」

「俺も汐見みたいな可愛い子と相合傘できて嬉しかったよ。だから俺も得してる。ぶっちゃけお礼をされることじゃないんだよな」

「もう、そんなに褒めても何も出ないよ」


 あー楽しい。やっぱり好きだわ、汐見のこと。はにかみながら俯くその顔が好きだ。少し照れた横顔が好きだ。テンパるとあわあわするところが好きだ。中学の時遠ざけられていた俺に話し掛けてくれた汐見が好きだ。

 汐見への好きの想いが溢れてくる。ああ、俺はやっぱりこの子が好きなんだ。

 答えがようやく出た。悩む必要なんてなかったんだ。俺はやっぱり汐見が好き。

 そう思うとその言葉は自然に出てきた。


「なあ、汐見。俺がもし汐見のこと――」


 だが、俺は最後まで言い切ることができなかった。

 着信があったからだ。

 見るとレイン通話だ。相手は氷岬。あいつ、俺が汐見とデート中だと知って邪魔するつもりか。

 俺は腹を立て、電話を切ろうとする。だが、氷岬の言葉を思い出す。


 ――ふたりの仲を邪魔するようなことはしないから。それはルール違反。


 妙な胸騒ぎがする。


「悪い、汐見、ちょっと電話だ」

「うん、私に気にしないで出ていいよ」


 俺は汐見に断ってから電話に出る。


「……もしもし」

「…………拓海くん、助けて」


 氷岬のか細い声が聞こえたかと思うと、電話はそれきり途絶えた。

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