第19話

「あらあらどうしたの」


 保健室に辿り着いた俺は氷岬をベッドまで運ぶと優しく下した。保健の先生が心配そうに駆け寄ってくる。


「ちょっと転倒して足を痛めたみたいで。見てやってもらえますか」

「ええ」


 そう言うと保健の先生は氷岬の足に触れ、状態を確認する。


「腫れているわね。捻挫かしら。すぐに足を冷やしましょう」


 保健の先生が湿布を取り出して氷岬の足に貼る。そしてテーピングで足を固定した。


「うっ……」

「痛むのか」

「ええ、かなり痛いわ。正直落ち込んでる」


 氷岬はがっくりと肩を落とし、声も儚げだ。この様子では二人三脚の参加は無理だろう。せっかくあんなに練習したのに。参加できなくなってしまったのは残念だ。氷岬の気持ちを考えれば、胸が痛む。


「私、運動音痴だけど拓海くんに応援されてるって思ったら、負けたくなくて。いいところ見せたいって思った。少し張り切りすぎてしまったわ。そのせいで練習を台無しにしてしまった。ごめんなさい」


 氷岬が頭を下げてくる。謝られることなんてなにもない。


「氷岬ががんばった結果事故になっただけだ。謝るな」


 俺は氷岬の頭を撫でながら、少しでも彼女の心が落ち着いてくれることを願う。本当に気にすることじゃない。


「代役を誰かに頼むよ。せっかくだから俺は出場する。それでお前が気に病むことは何もないだろ」

「うん。そうね。拓海くんが出場するならペアとして応援するわ。でも……」


 氷岬は少し残念そうに呟いた。


「拓海くんと一緒にゴールしたかったわ」


 その言葉に俺は何も返せなくなってしまう。そうだよな。あれだけ一緒に練習したんだ。本番もちゃんとやり遂げたかったよな。

 俺は無言で氷岬の頭を撫でると、保健の先生に向き直る。


「氷岬のことよろしくお願いします」

「はい、任されました。それにしても若いっていいわね。お熱いの見せつけられちゃったわ」


 保健の先生は茶化すようにそう言うと、氷岬の肩に手をやった。俺はそれを見届けて、保健室を後にした。


 応援席に戻った俺はその足で汐見の下へ向かう。


「悪い、汐見、相談したいことがあるんだが」

「なにかな」

「氷岬の代わりに二人三脚のペアになってくれないか」


 俺が声を掛けられる女子なんて汐見ぐらいだ。汐見に断られたら、俺は二人三脚に出場できないだろう。氷岬が気に病むからそれは避けたい。

 汐見もいきなりで嫌がるだろうか。


「うん、いいよ。足手まといになっちゃうかもだけど」


 俺の心配は杞憂に終わった。快く引き受けてくれた汐見に礼を言って、俺は綱引きの準備へと向かう。男子生徒は既に集まっていた。俺は少し遅れ気味にスタート地点に付いたので、点呼に遅れてしまった。


「野郎ども、絶対勝つぞ」


 男子のリーダーがクラスメイトを鼓舞する。気合を入れる男子たち。俺も体育祭に参加できなくなった氷岬の分まで頑張ろうと気合を入れる。

 綱引きは圧勝という結果に終わった。クラスメイトの団結力の差がもろに出た感じだった。女子たちにいいところを見せようという男子たちの気持ちが勝利へと誘ったらしい。

 沸き立つ応援席の女子たちにガッツポーズをしながら、男子たちは意気揚々と引き上げる。


「凄かったね、男子。始まった瞬間に勝負が着いちゃった」


 汐見が興奮気味に話し掛けてくる。


「うちのクラスの男子の気合は凄かったからな。気持ちで勝ったって感じだな」

「拓海くんも、その……かっこよかったよ」

「お、おう……サンキュ」


 汐見に褒められると心の内がぽかぽかとする。


「そうだ、お昼ご飯一緒に食べようよ。氷岬さんも呼んで」


 思わぬお誘いに俺は心の中でガッツポーズを決める。


「おう。それじゃ氷岬に声掛けるわ。あ、それと駿も呼んでいい?」

「うん、いいよ。男子1人じゃやりにくいもんね」

「まあ、そういうことだ」


 俺は笑いながら心の中で涙した。これぞ青春。好きな女子と一緒に弁当を食べるのなんて幸せ以外の何物でもない。

 午前の部が終わり、昼休憩に入る。氷岬も応援席まで戻ってきていた。足を引きずる形で戻ってきたので、すぐに支えにいく。


「待ってたら迎えに行ったのに」

「そこまで拓海くんに面倒をかけるわけはいかないわ」


 そう言う氷岬の様子は痛々しく、見ていてこちらが辛くなる。


「そんな寂しいこと言うなよ。困ったときはお互い様だろ」

「私ばかりあなたに頼っているわ」

「そんなことないさ。俺だって氷岬のこと頼ってる」


 氷岬がいなきゃ、俺の家は今頃ゴミ屋敷だろうしな。家事をしてくれているのは本当に助かっている。


「そうだ。汐見が一緒に弁当食おうって。いいだろ」

「ええ。かまわないわ」


 氷岬の了承も得られたので、駿にも声を掛ける。駿も二つ返事でオーケーしたので、俺たちは昼休憩を一緒に過ごすことになる。


「こっちこっち」


 教室に戻ると汐見が場所を取ってくれていた。俺たちはそれぞれ向かい合って座ると、弁当を広げた。


「うわー、藤本くんと氷岬さんのお弁当同じだ。彼女の手作り弁当?」


 汐見が俺と氷岬の弁当を見て、羨ましそうに聞いてきた。


「ええ。私が拓海くんのことを思って作った愛妻弁当よ」

「誰が愛妻だ。誰が」

「この果報者め。氷岬さんの手作り弁当なんて食べたい男子は大勢いるんだからな」


 駿が憎々し気に俺に突っかかってくる。


「それはそうだろうな」

「というわけで、おかずを一品拝借」


 そう言って駿の箸が俺の弁当箱に伸びてくる。なんとメインのおかずのハンバーグを持っていきやがった。


「かーっ、うめえ。こんな美味いハンバーグ弁当で食えるとは思わんかったわ。お前に氷岬さんに文句を言う資格はない」

「誰も文句は言ってねえだろうが」


 そう言って俺は駿の弁当箱からハンバーグの代わりにからあげを拝借した。取られてばかりでは割にあわないからな。


「ね、ねえ。私ともおかず交換しない」


 出し抜けにそう言ってきたのは汐見だ。俺たちのやり取りを見て羨ましくなったのだろうか。

 汐見の弁当が食える。俺はそのことに舞い上がり二つ返事で了承した。


「ああ、いいぜ」

「やったー。じゃあ、私はこの卵焼きをもらおうかな」

「じゃあ俺はこのピーマンの肉詰めを」


 互いにおかずを交換した俺たちは、同時に口に入れる。


「うん、美味しい。どうやったらこんなふわふわな卵焼きが作れるの」

「氷岬に訊いてくれ。このピーマンの肉詰めも美味いな。これって汐見の手作り?」

「ううん、お母さんが作ってくれたの」


 手作りじゃないのか。ちょっと残念。でも汐見とおかずの交換ができたことが重要だ。この流れを作ってくれた駿には感謝しかない。そう思って駿の方を見ると、サムズアップしていた。


「私も拓海くんとおかずの交換したい」


 俺たちのやり取りを見ていた氷岬が出し抜けにそんなことを言い出した。


「いや、俺とお前の弁当同じじゃん」

「いいじゃない。その行為を楽しみたいの」

「わかった。わかった。何が欲しいんだ」

「私はミートボールをもらうわ」

「じゃあ俺はその卵焼きをもらうよ」


 そう思って氷岬の弁当箱に箸を伸ばしかけた俺の手を、氷岬が制した。


「待って。私が食べさせてあげる。だから拓海くんも私に食べさせて」

「はあ⁉ 食べさせるって今ここでか?」

「ええ。はい、あーん」


 そう言って氷岬が卵焼きを差し出してくる。俺は硬直したまま動けない、これを食べると関節キスになる。いくら恋人の振りをしているからってこれはさすがにやりすぎじゃないか。それとも俺が気にしすぎなのだろうか。


「ほら、あーん」


 どちらにせよ、俺が食べないことにはこの時間は終わらないらしい。俺は覚悟を決めて、氷岬の箸から卵焼きをぱくついた。


「どうかしら」

「恥ずかしすぎて、味がわからん」


 俺は耳まで真っ赤になりながら、卵焼きを咀嚼する。羞恥心が限界まで高まり、俺は自分を落ち着けるのに苦労する。


「じゃあ、次は拓海くんが食べさせて」

「ああ、わかったよ」


 俺はミートボールを箸で掴むと氷岬の口に差し出した。小さく口を開けた氷岬は俺の箸からミートボールをぱくつくと、幸せそうに咀嚼する。


「うん、美味しいわ」

「ひゅー、さすが拓海―、お熱いねー」

「あわわわ、藤本くん大胆だよ」


 駿と汐見がそれぞれの反応をする。


「「「死ね」」」


 気が付くとクラスメイトからは殺気が向けられていた。

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