第8話

「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」

「ああ、一緒に帰ろうぜ」


 俺と汐見は同じ中学出身である為、帰り道も途中までは同じだ。だから一緒に帰る口実になる。

 外に出ると、雨が降っていた。そういえば午後からは雨になると天気予報で言っていたな。俺は傘を取り出し開くと汐見を見る。汐見は固まっていた。


「どうした、汐見」

「ああ、うん。ちょっと失敗しちゃって」

「失敗?」

「うん」


 汐見は天を指差すと、恥ずかしそうに「雨」と呟いた。


「もしかして、傘忘れたのか?」

「うん。今日は寝坊して天気予報見る暇がなかったから」


 がっくりと肩を落とす汐見に、俺は自然に声を掛けていた。


「だったら入ってけよ。家まで送る」


 俺は自分の隣を開け、汐見を呼ぶ。汐見と相合傘ができる。その下心は当然ある。だが、それ以上に汐見が困っているのだから助けてやりたいと思った。このまま放置して帰ったら、汐見は雨が止むまで学校で雨宿りするか、雨の中を走って帰らなくてはならなくなる。前者はともかく後者は単純に心配だ。そんなことをさせるぐらいなら、一緒に帰った方がいい。だが、汐見は驚いたように声を震わせた。


「え、でも……いいの?」

「何を遠慮してるんだよ。そりゃ、ちょっとは恥ずかしい思いをするかもだけど、風邪引くよりはいいだろ」

「そうだね。うん、わかった。じゃあ藤本くんと相合傘しちゃおうかな」


 微笑んだ汐見は遠慮がちに傘に入ってくる。俺の傘は大きめなので汐見の小柄な体はすっぽりと入ってしまった。


「それじゃ、帰るか」

「うん、お願いします」


 汐見とこうして並んで下校するのは、人生で初めてかもしれない。昨日のはノーカウントだ。大きめの傘とはいえ、2人入るとなるとどうしても距離を詰めなければならない。汐見の肩と、俺の二の腕が触れそうで触れないこのもどかしさは、相合傘ならではだろう。


「ほら、言った通りだったでしょ。藤本くんは優しいって」


 会話が途切れていたのを気にしてか、汐見が話題を振ってくる。いきなり褒められて、俺は少し照れが入り頬を掻く。


「あの状況なら誰だって傘入ってけよって声掛けると思うぜ」

「それは藤本くんがそう思うだけだよ。きっと他の大勢の人は見て見ぬ振りだと思う。それが当たり前だと思うし、そういう当たり前じゃないことができるのが藤本くんのいいところだよ」

「なんだか今日は汐見に褒め殺しにされてるな、俺」

「今だって自然に車道側を歩いてくれているし、私が雨に濡れないように傘を私の方へ傾けてくれてる。そういうちょっとした気遣いができる人って、意外に少ないと思うんだよね」


 そうなのだろうか。俺はただ相手が汐見だから、好きな相手だから好感度を上げようとそういうことをしているだけかもしれない。他の人間相手にも同様な気遣いをするとは限らない。


「私、藤本くんならいい旦那さんになると思うな」

「ちょっ、何言いだすんだいきなり」


 汐見にからかわれ、俺は顔を真っ赤にする。汐見の口から旦那さんなんて紡がれるなんて。幸せすぎる青春の1ページだ。


「ふふ、冗談だよ。そんなに照れないで」

「照れるって、汐見みたいな可愛い子に言われたら」

「…………ありがと」


 頬を朱に染めた汐見が俯きながらそう呟く。少しは仕返しができたようだ。

 記憶を辿りながら、汐見の家へと向かう。別に汐見と親しかったわけではない。中学の頃に1度プリント類を届けたことがあるぐらいだ。家が近いこともあって教師から頼まれたのだ。まあ、汐見が学校を休んだことなんてその1回ぐらいだったが。


「そういえば今日寝坊したって夜更かしでもしてたのか」

「うん、まあ。布団には早く入ったんだけどなかなか寝付けなくて」

「何か悩みでもあるのか。俺でよかったら相談乗るけど」

「ううん、大丈夫。悩みはあったけど、今日解決したから」


 そうか。解決したのか。汐見がどんな悩みを抱いていたのか気になるが、詮索はよそう。藪蛇になりかねない。

 そんな会話をしているうちに、汐見の家に着いた。汐見は何度もお礼を言って家に入っていった。その後ろ姿を見送りながら、俺の心は高鳴っていた。俺も帰ろうと踵を返そうとすると、汐見が家の中から出てきた。


「待って、藤本くん」

「どうした、そんなに慌てて」

「うん。やっぱり何もお礼をしないのはどうかと思うから、今度何かお礼させて」


 汐見が手のひらを合わせて懇願してくる。


「いや、送っただけだしそんなに気にしなくても大丈夫だよ」

「お願い、お礼させて。私の気がすまないの」

「そこまで言うなら、楽しみにしてるよ」

「それで、ね」


 汐見は指を絡ませながら俯くと、蚊の鳴くような声で囁いた。


「その連絡をしたいから、連絡先、教えてほしいなって」


 連絡先の交換。それは願ってもないことだ。まさか汐見の方から切り出してくれるなんて。この5年間、聞きたくても聞けなかった汐見の連絡先が、ついに手に入る。


「おう、わかった」


 俺は興奮を気取られないように冷静を装いながらスマホを差し出した。レインのアプリを開き、お互いのIDを交換する。これで汐見とメッセージのやり取りや通話が楽しめる。


「また連絡するね」

「ああ、待ってる」


 そう言って今度こそ汐見と別れる。汐見の家が見えなくなってから、俺は雨に濡れるのもかまわず全速力で家までダッシュして帰った。


「ただいま」

「あら、おかえりなさい。ずぶ濡れじゃない。傘持って行かなかったの」


 家に帰ると氷岬が俺を出迎えた。既に夕食の用意を始めているのか、キッチンからはカレーのいい匂いが漂ってきている。


「いや、傘は持って行ってたんだけどな。なんだか濡れて帰りたい気分だったんだ」

「おかしな人」


 氷岬は訝しみながらも、追及はしてこない。今日、俺たちの関係を汐見に話すことは氷岬も知っている。何か勘付いているのかもしれないな。


「先にお風呂に入ってきたら。話したいこともあるし」

「わかった」


 俺は玄関で水気を落とすとその足で脱衣所へ駆け込んだ。今日は前回のような失敗をしない為に、脱衣所の鍵をしっかりと掛けておいた。これで氷岬は入ってこれまい。

 湯船に浸かり、汐見とのやり取りを振り返る。総じて悪くない感触だった。少なくとも好感度が下がったなんてことはありえないだろう。物事は積み重ねが大事だ。これからも汐見に好かれるように小さなことからコツコツとだな。


「それにしても、連絡先ゲットか」


 にやにやが抑えられない。そりゃそうだ。5年経った今でも(何のアクションも起こせずヘタレていた俺が悪いのだが)連絡先を手に入れていなかったのだから。それがこんな形で手に入るとは。善行は積むものである。


「いきなりメッセとか送ったらきもいかな」


 そんなことを考えていると、すぐにのぼせそうになった。慌てて風呂を出ると、氷岬がリビングでスマホを手にして待っていた。


「私、スマホは回線が止まってるんだけど、この家のネットでレインは使えるの。だから連絡先交換しとかない」

「回線止まってるのか」

「そりゃそうよ。親が支払い踏み倒してるもの」

「まあ、そうか。家にいる間しか繋がらないだろうが、ないよりはマシだな」

「ええ、あなたがどこかで遊んで帰るだとか晩御飯はいらないだとか、そういった連絡をしてくれたらいいわ。私は基本的に学校が終わったら家に直帰しているし」

「俺は今までそんな非行少年みたいなことしたことはないが、わかったよ。連絡先は交換しておこう」


 なんだか本当の夫婦のやり取りみたいだなと思いながら、俺は氷岬と連絡先を交換した。

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