第7話

 放課後になった。クラスメイト達は皆一様に部活やらアルバイトやらに向けて教室を出て行った。しばらく待つと、教室には俺と汐見の2人だけが残った。


「それで、話ってなにかな」


 汐見と向かい合って椅子に座る。昨日の今日だ。汐見もどんな話を持ち掛けられるのか想像もできないだろう。


「実はだな。昨日のこととも関係してくることなんだが」

「あー、もしかして氷岬さんと付き合ってるって話かな。だったら心配しなくていいよ、私誰にも言いふらしたりしてないから」


 食い気味に否定してくる汐見。どうやら俺が噂は汐見の所為だと疑っていると勘違いしたらしい。心外だ。そんなこと微塵も思っていないのに。


「もちろんそんなことはわかっているぜ。汐見がそんなことする子じゃないっていうのはわかってるっつーか、それと今からする話は別っていうか」


 汐見は頭にクエスチョンマークを浮かべている。俺が何を言いたいのかわからないのだろう。俺もこんな話を他人が受け入れてくれるかどうか不安で、正直テンパっている。


「藤本くん、落ち着いて。私は最後までちゃんと話を聞くから」


 そうやって優しい言葉を掛けてくれる汐見に心の中で感謝しながら、俺は勢いよくまくし立てた。


「汐見、よく聞いてくれ。俺と氷岬は付き合っているんじゃなくて、一緒の家に住んでいるんだ」

「ひぇっ⁉ 一緒に、住んでる⁉」


 素っ頓狂な声が汐見から飛び出した。そういう驚いた声も可愛いとか感じている場合じゃねえ。俺は今言い方というものをとんでもなく間違えた気がする。


「いや、違う。違わないけど、これには深い事情があってだな。一から説明するから聞いてくれ」

「う、うん、わかった。最後まで聞くって言ったのは私だもんね」


 汐見は尚も驚きが収まらない様子で、しきりに俺と氷岬の席との間とを視線を行き交わせている。

 汐見は深呼吸を繰り返すと、その柔らかそうな胸を叩いて言った。


「よし、どんと来い。もうどんな話が来ても驚かないようにする」


 それから俺は汐見に氷岬と一緒に暮らすようになった事情を一から説明した。汐見は時々目を丸くして驚いている様子だったが、とりあえずは俺の話を最後まで邪魔をせずに聞いてくれた。

 全てを話終えた俺が深く息を吐くと、汐見は小さく吹き出すと虚空を見つめた。


「ふふっ、やっぱり藤本くんは優しいね」

「そうかな。自分ではそんなつもりはないけど、氷岬にも同じこと言われたよ」

「氷岬さんも感謝してるからこそだよ。中学の時から見てきたけど、藤本くんってそういう誰にでもできない優しさがあるよね」


 汐見に言われると100倍嬉しい。まさか汐見が俺のことを見てくれていたなんて。こんなに嬉しいことはない。だが、俺の口からはつい照れ隠しが漏れてしまう。


「そうか。そんなことなかったと思うけど」

「ううん、そんなことない。たくさんあったよ。たとえば、クラスでちょっとしたいじめに遭っていた子がいたじゃない。ちょっと掃除の当番押し付けられてたりとか。ちょっとぐらいだから誰も問題にはしなかった。でも、藤本くんは一緒に掃除を手伝ってあげていたよね」

「あーそんなこともあったな。俺はただあのまま放置したら後々担任がクラスの議題としてあげるんじゃないかって面倒に思っただけだよ。それに掃除なら汐見だって手伝ってくれたじゃないか」

「私は藤本くんが最初の一歩を踏み出してくれたから参加できたんだよ。誰かに先駆けての最初の一歩ってとても勇気がいることだと思うから。だから……かっこいいなって思ってたよ」


 語尾だけ少し声を潜めて囁いた汐見だが、何と言ったのかはばっちりと俺の耳に届いていた。超嬉しい。想い人にかっこいいと思われていたなんて。たとえお世辞でも死んでもいいぐらいだ。


「まあ、なんだ。そんなわけで俺と氷岬は付き合っているわけじゃないんだ。親父を説得する為に恋人の振りを即興でしてはいるんだが」

「そっか。……良かった」


 またも蚊の鳴くような声で囁いたのでよく聞こえはしなかったが、汐見は今「良かった」と呟いたように聞こえた。もしそうなら――俺の心臓が早鐘を打つ。

 今ここで告白してしても、ひょっとして成功してしまうのでは。いやいや、早まるな拓海。勘違いだということも十分に考えられる。もし汐見が「良かった」と呟いていなかったら俺は負け戦に身を投じることになるんだ。

 押すべきか、引くべきか。俺が慎重に判断を検討していると、汐見が思い出したように言った。


「あっ、でもこんな大事な話、私にして良かったの」

「へっ? ああ、確かに重い話だよな。けど、さっきも言った通り氷岬にも許可はもらってるから」

「そうじゃなくて、私と藤本くんって中学からの同級生とはいえただのクラスメイトだよね。どうして私には話してくれたのかなって」


 告白を踏み止まって良かったあああああああああああああああああああああ。

 汐見は俺のことただのクラスメイトとしか見ていない。ここで突っ込んでいたら玉砕必至だった。まだまだ好感度が足りないようだ。

 それに冷静に考えれば氷岬のこともある。告白なんてできる状況じゃない。

 それよりもまずいことになった。突っ込まれたくない部分を突っ込まれた。そうなのだ。本来ならこの話は俺に最も近しい人間、駿に持っていくべき話なのだ。駿を差し置いて汐見に話したのは俺が汐見にだけは勘違いされたくなかったからなのだが、それを素直に伝えてもいいものか頭を悩ませる。

 これもう告白も同然じゃないか? だがなんと言い訳する。ダメだ。言い訳の言葉が思いつかない。沈黙が場を支配する。


「藤本くん?」

 怪訝な表情を浮かべた汐見が、俺の顔を覗き込んでくる。俺は額に汗を滲ませながら、思い切って言葉を紡ぐ。


「なんでだろ……汐見には勘違いされたままなのは嫌だって思ったから、かな」

「え?」


 結局、言い訳の言葉は思いつかず、素直に心情を吐露する結果に終わった。だが、これが1番良かったんじゃないかと思う。なぜなら、汐見の反応が目に見えて良かったからだ。

 顔を真っ赤に染めた汐見は、目を見開いて口をあわあわさせて固まった。汐見の返答を待つこと30秒ほど、ようやく口を開いた汐見は満面の笑みで言った。


「そっか……嬉しい」


 はにかむ仕草は本当に可愛く、俺の心臓を一瞬で射抜いた。この笑顔をずっと見守っていたいという願いは儚く消え、汐見は普通の顔に戻ると拳を握った。


「藤本くんの信頼に応える為にも、私この秘密は絶対に守り通すね」

「ああ、頼む。まあ、汐見なら心配いらないと思っているけどな。本当は恋人の振りも親父の前だけにするつもりだったんだが」

「その割には昨日あんな学校の人がいる前でいちゃいちゃしていたのはどういうことかな」


 少し汐見の声に棘が混じる。やはりあんな人前で恋人繋ぎなんてかましていたら、そりゃ噂にもなるだろう。あれは完全に油断した俺のミスだった。


「いや、あれは親父の前でリアルな恋人を演じられるようにと思ってしていただけで深い意味はなかったよ」

「本当かなー。本当は氷岬さんの手の感触とか楽しんじゃったりしてたんじゃないのかな。一緒に住むってことはそういうアクシデントも起こるかもしれないし、油断はできないよ」


 これは既にそういうアクシデントが起こったとは言えないな。汐見には一緒に住むことになったと言っただけで、一緒のベッドで寝ることになったり、風呂で背中を流してもらったりっていうことは当然ながら秘密にしている。


「安心しろ、誓って他意はない」

「よろしい。……ふふ、おかしいね、なんだか」


 この汐見からの追及を少し楽しみつつ、放課後の時間は過ぎていく。

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