美術室4

 『分かった。その代わり、私に絵を描いてくれる? 塗り絵をやってみたいの』


 それが彼女が要求した、協力者になるための条件だった。ただそれだけだった。

 後日、その約束は守られた。

 「ありがとう……」

 「はい?」

 「だから……あの絵。エリザベートちゃんの絵」

 自分が描いた絵のことなどすっかり忘れていたフリをしたロイは、首を傾げた。

 「ああ、あれですか。それがどうしたんですか」

 「色を塗ってみたの」

 「そうですか。よかったですね。塗り絵ができて」

 淡々と応じるも、それは概ね本心だった。

 「絵の作者はロイくんだし、見せた方がいいのかなと思って」

 そう言って、カレンが画用紙を差し出してきた。

 が、真緑に塗られている。

 なぜその色にしようと思ったのか、皆目見当もつかなかった。

 「……新種ですね」

「……うん。ロイくんにあげるよ。ロイくんの絵だし」

 「いいえ、結構です。」

 「でも私、家に持ち帰れないし」

 そういうことならと、ロイは渋々了承した。

 「あと、これ」

 ロイは一枚の絵を渡された

「これは………芋ですか?」

 カレンは気まずそうに答えた。

 「猫。エリザベートちゃんのつもり、なんだけど」

 「は?」

 芋のような図太い物体から芽のような線が四本、上に向かって突き出ている様にしかロイの目には見えなかった。

 「あと、向きはこっち」

 カレンはさらにぎこちなくなって、絵の向きを訂正した。

 だが、芽が生えている方向が変わっただけで、「芋」は「芋」のままにしか見えない。あまりの出来に、ロイはカレンがわざと下手を演じているのではないかとさえ疑った。


 「………」

 「やっぱり、下手だよね」

 カレンは、「えへへ」とぎこちない照れ笑いを浮かべて言った。

「練習すれば誰でも描けます」

 お世辞のようなロイの文句に、カレンはもう一度にっこりと笑った。

 初めて見る彼女の笑顔だった。


**********


 自室のドアを開けると、灰色がかった青黒い塊が窓際に丸くなって固まっていた。

優秀な三角の耳が二つも付いているのにも関わらず、窓の外を見つめたままロイの帰宅に一切の反応を示さない。

 筋肉質な胴体から伸びる手足は太く短く、その上に乗っている頭は横長で大きい。

 「なるほど、『芋』に見えるのも仕方ない」と人は言うかもしれない。

 ロイがその真後ろに立つと、ようやく面倒臭そうな顔をむくっと上げて、ロイを振り返った。

 その顔は、胴体に劣らずムッチリとしていて、左右の頬がぷっくりと膨れ上がっている。まるで、頬を膨らませて親に反抗している時の、不機嫌な子どもの顔である。カレンの『芋』の絵を見た後では、大きな芋(胴体)の上にさらに小さな芋(顔)が乗っている様にも見えてくる。

 「これが君だって」と、その金色の細長い瞳の前に例の塗り絵を差し出してみると、絵のモデルは『ニャー』と不機嫌な声で鳴いたきり、相変わらずの顰めっ面で床に降り、ロイのベッドに飛び乗ると、ど真ん中を陣取った。

ロイは端に腰掛け、その頭を撫でてやった。

 『ありがとう』

 その間も、頭の中で反芻していた。

 最後に『ありがとう』と言われたのはいつだっただろうか。

 この仕事をしていて、心からの礼を言われたことなど無い。

別れの挨拶すら、まともに交わした記憶が無い。

 自分の意思とは関係無く、見知らぬ人間と会っては消え、会っては消え、工場の流れ作業のようにそれを捌いては、また次も現れては消えていくのがいつものことだ。

 あの女の場合、多少は長い付き合いにはなるかもしれない。だが、全て終われば、そこで終わりだ。終わらせなければならない。いつもと同じように。

 ロイはそんなことを考えながら、例の塗り絵を破り捨てようと両手を掛けた。だが、ふと何の気なしに手が止まってしまった。

代わりに、その奇妙な絵の出来具合をぼんやり眺めた。

 考えても無駄だと分かっているのに考えてしまう。それでも、最初から変わらない、今後も変わらないであろう事実は有る。

 (あんたに利用価値があるうちは、絵でも何でも描いてやる)

 そう改めて決意すると、それを丁寧に二つ折りにして本棚の上段に収納している分厚い辞典の間に挟んでおいた。

事情を知らない人間が見れば、「間に合わせのために適当に作った栞」、もしくは「ロイが気まぐれで描いた絵」にしか見えないだろう。

 ロイはそうして、カレンと創る奇妙な共同作品を集めることになるのだった。

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