10.月は照らさない

迷宮の入り口には門番の兵と、入る前にはいなかった騎士鎧を着た男たちがいた。

何事かを話しているようだった。


「こちらです」


後ろから付いて来ていた竜車の御者が、先導していたスヴェンに変わり、前に出た。


「新しい竜車を用意しております。今度は竜車酔いされることはないかと」

「……そりゃあ、ありがたいな」


どうやら、行きの竜車でジェーンが酷く酔ったことを知っているらしい。

ここまで来た時に乗ってきた質素な竜車とは、比べ物にはならないほど豪勢な装飾が施された竜車が外で待っていた。

蜥蜴竜リザード4頭立てって、貴族の送迎でしか見たことないやつだ。


……いや、貴族の送迎なのだから当たり前か。


「姫さん。俺は先に戻って報告しておくから、こいつでゆっくり来てくれればいい。……一応念のため言っとくが──」

「この期に及んで逃げ出そうなんざ思っちゃいない」

「……すまん、分かっているならいいんだ。護衛として4人付けてある。あいつらも腕利きだ」

「分かったから、さっさと行け」


鬱陶しそうに手払いしながらジェーンが竜車に乗り込んだ。


「レイル、すまんが姫さんを頼む。……これが最後になるかもしれないからな」

「……分かった」


返事をした時には、スヴェンの姿は既にそこに無かった。

まるで闇に溶け込んだように消えてしまった。

空間転移ワープを使ったのだろう。


自分も竜車に乗り込む。

中の空間は広く、三人掛けの席が向かい合うように二つ設置されていた。

奥の窓際の方にジェーンが座って、窓の外を見ていた。


「直ぐに出ます。揺れないとは思いますが、一応席に座っておいてください」


御者の男がそう言ってドアを閉め、無音になった。

さっきまで聞こえていた、虫の鳴き声すらも聞こえない。

なんらかの魔術が使われているのかもしれなかった。


なんとなくジェーンの側には近寄りがたくて、向かいの席の反対側に座った。

やたらと座り心地がよくて、なんだか落ち着かない。


完全な静寂。

ジェーンと二人きり。

何を話せばいいのか分からない。


いや、そもそも話すことが間違いなのかもしれない。

彼女と俺はそのくらい身分に差がある。


「……おい。なんでそんな離れてるんだ。近くに座れよ」

「え? あ、お……はい、分かりました」


ジェーンに呼びかけられて、慌ててしまう。

ジェーンの正体が王女ということは、今まで通りに接するのはマズイのではと思い、言葉づかいを丁寧にしたのだが……。

ものすごい嫌そうな顔をされた。


「……やめろ! 普通に喋れ!」


ジェーンが立ち上がって怒声を上げた。

どうにも気に食わなかったようだ。

でも、こういう怒っているところを見ると、今までと何も変わらない感じがして少し安心した。


「お、おう! 分かった」

「……ふん」


恐る恐るジェーンの前に移動すると、ジェーンは不機嫌そうに再び椅子に座り直した。


そうして、再び静寂。

窓の外を見ると、景色が流れるように過ぎていった。

振動が何もなかったので分からなかったが、いつの間にか竜車は動いていたらしい。


話したいことは色々とあったけど、何も口から出てこない。

いつもならどうでもいいことばかり出てくるのに、なんでだ。

……きっと、俺の頭が展開に追いついていないんだ。


ジェーンが実は王女だった。

王族の立場から逃げ出して冒険者になっていた。

俺たちはずっと監視されていた。

そして、ジェーンは、王女としての立場に戻らないといけない。


恐らくもう、冒険者ジェーンとして過ごすことはないだろう。

俺たちの冒険はこれで終わりなんだ。


──『これが最後になるかもしれないからな』


最後。

その言葉の意味が分からない程、馬鹿ではないつもりだ。

この竜車が王都に着いた後、どのような手続きがあるのかは知らないけど、恐らくジェーンとはそこで別れることになる。

二度と会うことはできないだろう。


「レイルは」

「え?」

「レイルは、オレの正体を聞いて、どう思った?」

「それは……」


ジェーンは窓の外を見ながら、俺にそう問いかけた。

彼女の正体を知って、俺がどう思ったか。


「そりゃあびっくりしたけど、……でも、王女様って聞いてどこかで納得した気持ちもある」

「……それは、なんで?」

「やっぱり外見が一番の理由かな。ジェーンは、とっても綺麗だったから」

「……」

「でも、それだけじゃない。姿を隠していた時から、育ちの良さを感じるようなところがあったし」


ジェーンの事になるとすらすらと俺の口から言葉が出てくる。

ジェーンは無言のまま俺の言葉に耳を傾けていた。


「気品というか、……オーラっていうのかな。そういうのがジェーンにはあった」

「……」

「俺と会って最初の頃は、今思えば苦労してたんだな。色んなことを知ってるくせに、常識的なことを知らなかったし」


そう、色々とあった。

宿の取り方が分かんなくて外で凍えてたのを偶々発見して、取り方を教えてあげたり。

宿の設備の使い方が分かんなくて、わざわざ俺の部屋まで聞きに来たり。

わざわざ俺に聞きに来るのがめんどくさいから同じ部屋に泊まる! って言いだして、そこから2人用の部屋で寝泊まりするようになったんだっけ。


……もしかしてそのことも監視されてたのか……?

いや、されてるだろうな。

うん。きっとされてるに違いない。

性別すら知らなかったとはいえ、一国の王女と寝泊まりを共にしていたという事実は変わらないだろう。


あれ……?

俺、殺されるのでは…………?


「めんどくさかったよな。オレみたいな奴の相手するの」

「! そんなことない。めんどくさいなんて思ったことは一度だってないぞ!」

「……そっか。確かに、オマエはそういうヤツだよな。底抜けに優しくて、誰にでも分け隔てなく接してくれる」


ジェーンが窓の外を見つめながら、ふっと微笑んだ。

憂いを帯びた横顔がまるで絵画のように美しかった。

まるで、ジェーンがジェーンじゃないような気がした。

胸を締め付けられる感覚がする。


「巻き込んで、ごめんな。レイル」

「……巻き込んだとか言わないでくれ。さっきも言ったけど、俺が選んだことなんだ」

「それでも、オレが最初にレイルに声を掛けたんだ。事の発端はオレだ」


翡翠色の瞳が俺を真っ直ぐに見据えている。

こんな状況じゃなかったら思わず見惚れてしまうくらいに綺麗だった。

けれど、ジェーンの表情は見たことのない程に悲嘆さに溢れていた。


「オレは、自分が嫌いだ。子供の論理でものを考えて、他人の都合なんて考えずに、自分のやりたいようにやる。その結果がこれだ」

「ジェーン……」

「みんなに迷惑ばかりかけて、一人じゃ何もできやしない。その癖にプライドだけは高くて……本当に嫌になる」


ジェーンの身体が小さく震えていた。

今まで抱え込んでいたものが一気に決壊したようだった。


「なんで、こうなんだろうな、私は。……全部捨てて、逃げ出して。逃げても解決することなんか何一つないって分かってたのに」


膝を抱えて俯いたジェーンは、そう呟いた。

普段のジェーンからは想像できないほど弱々しい姿だった。

まるで、子供だ。

親に叱られて、泣き出す直前の子供のようだった。


「俺は」


何か言わなければいけないと思った。

ジェーンが悲しんでいる姿を見ているのが嫌だからという理由だけじゃない。

その言葉がおかしいと思ったから。

だって、間違ってる。

今までの全てが誤りだったみたいなこと、勝手に思わないでほしい。


「俺は、ジェーンが城を抜け出してよかったと思う」


ジェーンがどう思っていようが、俺の気持ちは変わらない。


「そのおかげで、俺はジェーンに出会えた。俺は何度もジェーンに助けられた。……ジェーンと出会えなかったら、きっと俺はどこかで野垂れ死んでたと思う」


俺はジェーンを待っていたんだ。

いつ出会えるかも分からないのに、ずっと待っていて。

ようやく出会えた、相棒とくべつと呼べる存在。


「俺はジェーンと出会えて、幸せだった。それだけは、ジェーンにも否定してほしくない」

「……っ」


言いたいことは言えた。

もうすぐお別れなのだとしても、これっきりになってしまうのだとしても、これだけは伝えたかった。


ジェーンはそれから暫く黙ったままだった。

膝を抱えていて、表情は分からない。

けれど、身体の震えは止まったようだった。


ふと、窓の外を見上げた。

月のない、新月の夜。

光のない、闇だけの空。

闇の龍が支配する夜だった。


黒一色に染まった空を見るとなぜか安心した。

誰にも見られていないという安堵感があるからだろうか。


「手」


ジェーンが声を発した。

膝を抱えたままだったけど、右手を座席に投げ出していた。


「手、握って、ほしい」

「……あぁ」


ジェーンの隣に移動して、放り出されていた右手を、両手で包み込んだ。

とても小さくて、とても冷たかった。

すこしでも、俺の無駄な体温が役立てばいい。


それから俺とジェーンは一言も喋らなかった。

月のない夜を竜車は進む。


王都アウルムに付いたのは、夜が明けて陽が出た頃だった。

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