第270話 恐怖の安全区画

 ティクサーにたどりついた時には保存食も小金も体力も尽きていた。そんなオレを見つけたのは森番だという人族の男だった。

「はぁーん。獣人族への忌避政策ねぇ。自国の迷宮を守れず、事後処理にも失敗した情け無い種族って嘯く連中はいるからなぁ。ま、この国も迷宮を守れてないし、国主の名の下に迷宮核を納めて迷宮を復活させたわけでもない」

 それでも、同じ森を分けあったこのアドレンス王国はまだ人の住まえる土地であり続けている。これは大きな違いだったし、今は迷宮だってある。

「芋粥と臓腑の水煮がある。まずはうわずみ口に含んで腹ぁ驚かさんように」

 特になにを聞くでもなく動けるようになるまで世話をしてくれた。人である。そう、オレだって心もある人なのだ。

『ケモノの国生まれの獣人』

 そう言われて同じ獣人にすら冷たい眼差しを向けられた。呪いや不幸の因果を振り撒くなとわけのわからないこともたくさん言われた。

 同胞ですら嫌悪した『迷宮を奪われなにもなせないケモノ』でありながら人として扱われる。それがこんなにうれしいだなんてしらなかった。

「『ケモノの国』は相変わらず魔力を求めて荒ぶり貪ってるなぁ。まぁ五年前からは女狐が魔力を注いで宥めとるから年寄りが国境を越えることも減ったんよ。森は得意ならおれの手伝いをしてくれんかね」

 森番はのんびりと生け贄をオレの故国に送りこんでいた事実を語る。迷宮核を失った国の無力さが悔しくも嘆かわしい。国境を接した国々は少なからず命を捧げているのだろう。その事実は『ケモノの国の民』が嫌悪されるのに足る理由なのだろう。

 迷宮さえあれば、国境で薄い影響域の結界が張られる。それでも滅びの地を広げたくなければ、自国の迷宮に魔力を注ぐか、飢えた『ケモノの国』に捧げるかしかないのだ。

 国境の町には少なからずその役割があり魔力の高い一族や強い冒険者を厚遇する。いざとなれば命を捧げよ。と。

 森番が語る女狐は『ケモノの国を追われたケモノ』迷宮に慈しまれながらも牙を剥いたという悪女。

 ふらりと現れ笑んだ女狐にオレは尾を抱えて尻で這いずるしかできない。女狐に声を奪われたオレを見て森番がため息をこぼす。

「あんまり無体をしてくれるな。奥方」

「だってこの身を見知っているようでしたもの。子供らに母の浅ましさを知られるにはまだ早うございますもの」

 ころりころりと笑う女狐を横目に森番の男は疲れたように息を吐く。

「この界隈を出れば声は戻ろう。弟子になるか聞くつもりだったが怖れが強ければやりにくかろう。奥方はこの町に住んでいるし」

 暗に「怖いだろう?」と囁かれたオレは自身の尾をよりきつくにぎりこむ。

 怖い。この女狐の圧倒的な強者としての存在感に威圧される。迷宮に慈しまれ数百をかぞ……威圧が増した!?

「奥方」

「あら、ごめなさい。オジ様。よろしくない事を言われた気がしましたの」

 微笑む女狐の目は笑ってはいない。

「もちろん、しばし療養し体力が戻ってから決めればいい。できる手伝いを頼むがな」

 森番の男はいい人間だった。含みがないとは思わないが自ら『生贄』になる事を受け入れた、死を受け入れた人間の深みだろうか?

 彼の元にいるのは遠い親兄弟と過ごしたあの日を思い出させるものだった。

 療養中に森番には数人弟子がいることがわかった。町の教会で生活している行き場のない孤児たち。それはいざという時、まず喰われるための生贄と同義である。

「迷宮が生まれて戻ってきた者も多い。まだ若い迷宮は慣れぬ者でも挑めると誤認させるしな」

 迷宮のある町は繁栄する。同時に孤児が増える傾向もあるのは普通のことだ。孤児にはどうしてもキツい仕事を請け負っていく将来が多いのも普通だろう。

 森番の男の弟子として学んでいるという孤児たちは総じて対人を苦手としているようだった。おかげで言葉を発せないオレもゆるく受け入れられていた。だから、弟子になると申し出れたのかも知れない。いや、故国に近く在りたかったのもあるのだが。

 もし故国が飢えて侵蝕してくるのなら、その時はオレがまず喰われよう。歳下の兄弟子や姉弟子がよくしてくれるたびにそう思う。



 女狐の『子供ら』を目にした。

 魔力巡りの良い迷宮内ではなく外で自在に暴虐の限りを尽くす『子供ら』にぞっとし、言葉を封じられていることに感謝した。

 熊の爪に弾かれて散った鮮血。戻った子供の腕の混じりもの。真っ直ぐに見つめてくる青い翅をもつドラゴン。森のあらゆるところから感じられる監視の気配。

 息があがる。鼓動が乱れる。尾を振る黒い犬は目だけが刺すようだ。一番良い部位を選んで献上する。

 そうオレにはそれしかできなかった。

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