第60話千夜の神条母娘介護 〜琴音の相談〜

「ごめんなさい」

「…は?」


殺気を飛ばし、明確な敵意を持ってお母さんを睨みつける私に返ってきた言葉は謝罪だった。


「琴音は、私が千夜ちゃんの家に居るから怒ってるのよね…私が、千夜ちゃんを取ってしまうかも知れないから…」

「……それが分かってるなら今すぐ千夜の家から出ていって。千夜は私のもの。それを邪魔するのなら…例えお母さんでも殺す」


私の冷めきった言葉に、お母さんは俯いたまま立ち上がり奥の部屋に戻ろうとした。

その時、


「何やってんの!!この大馬鹿野郎が!!!」


私とは比べ物にならないほど強烈な怒気と殺気を放つ千夜が私の胸ぐらを掴み、顔を思いっきり殴ってきた。

胸ぐらを掴まれてるせいで、後ろに飛ぶことは無かったけど、服がミシミシと嫌な音を立てた。


「琴歌おばさんがどれだけ苦しんでたのか知ってる!?琴音があんな事を言ったせいで、心にどれだけ深い傷を負ったと思ってるの!?それでもまだ琴歌おばさんを傷付けるの!!?」

「ッ!!……それは、」

「言い訳は聞きたくない!!!出ていくべきは琴音。あなたの方よ!!!」


千夜は私と違い、怒るときは怒鳴りながら言いたいことを言う。

息を荒くして、相手の胸ぐらを掴みながら大声で責め立てる。

殺気を飛ばしながら冷ややかに怒る私とは大違い。

でも、今はそんな事はどうでもいい。


「千夜、私は…」

「…なに?言いたい事があるならはっきり言って」

「その…私は千夜を守りたくて」


私がそう言うと、千夜は歯ぎしりをして私の胸ぐらを掴む力が強くなる。

そして、見るだけで人を殺せそうな殺気を目に乗せて睨んできた。


「私を守る?足元にも及ばない程度の力しかない琴音が?……不快にも程があるよ。琴音が守るべきは私じゃなくてお母さん…琴歌おばさんじゃないの?」

「それは…」

「もしかして、琴音の中の私はさ、あなたに守られてないと生きていけないような雑魚なの?そんな雑魚を倒す事を目標に掲げてるの?」

「…」


私は何も言い返す事が出来ず黙り込んでしまった。

そして、千夜が溜息をついで何か言おうとした時、


「千夜ちゃん…私は大丈夫だから」


お母さんが助け舟を出してくれた。


「大丈夫って…自分がどんな目に合ったか自覚してますか?少しくらいは怒っても……」

「いいの。悪いのは私だから」

「……はぁ、琴歌おばさんは部屋に戻っていて下さい。私と琴音の二人だけで話してきます」


そう言って、千夜は手を離し私を東屋へ連れて行った。










琴音を東屋に連れてきた私は、空間収納に入れていた座布団を敷いて椅子に腰掛ける。


「はぁ…どうしてアレを許せるんだか」


愚痴のように本心を琴音に見せる。

琴音はまだ警戒しているみたいだけど、別にされてても問題ないから気にしない。


「琴音。どうしてあんな事をしたの?」

「…千夜は私のものだから」

「つまり、嫉妬してたって事でいい?」


琴音は私から目をそらして頷いた。


「正直、お母さんが自立してないとか、千夜に依存してたとかはどうでもいい。お母さんは誰かが支えになってないと生きてけないだろうし、私には絶縁、お父さんは浮気、榊を頼る訳にはいかない。そんな状況じゃあ、千夜に依存するのも納得出来る」

「じゃあ、どうしてあんな事をしたの?」


納得出来るならどうしてあんな事をしたのか。

そもそも、納得出来てるなら我慢出来ると思うんだけどなぁ。


「……その…私より先に千夜の家で生活するって事を出来たのが羨ましくて…千夜に三食用意してもらって養ってもらうって生活を妄想してたから…えっと、先にそれをしたお母さんが妬ましくて」


琴音は恥ずかしそうにもじもじと話してくれた。

コレを聞いてきた私が思ったことは、『馬鹿らしい…』だった。

いくら羨ましかったからと言って、ただでさえ精神的に苦しんでる実の母にそんな事する?普通。

始めてみたよ、母親の傷口に濃塩酸を塗りたくる人。

…まあ、ちょっとセクハラしただけで、親友に途轍もない激痛を感じる毒が塗られた針を刺す時点で、普通じゃないのは分かってたけどさ。


「はぁ〜〜……琴歌おばさんはそんな事で蹴られたの?そして、そんな理由で私の家の壁を凹ませたの?」

「それに関してはごめんなさい。後で弁償するよ」

「いや、それが普通なの。それと琴歌おばさんに謝ってこい。一体いつまであの下らない喧嘩を続けるつもりなの?」


私が琴音に謝るよう言うと、琴音は嫌そう顔をして私の方を見てきた。


「謝るつもりではいるんだよ?でも、いざお母さんの顔を見るとイライラしてくるというか……何だろうね、今のお母さんを見ると無性に腹が立つんだよね」

「何その理不尽な理由。というか、その無性に腹が立つ理由を作ってるのは琴音じゃないの?自分の播いた種だよ、自分で摘んでね」


琴音がイライラしている理由は、琴歌おばさんのあの覇気の無さだろう。

前では反射的に避けたくなるような覇気を纏ってたけど、今は違う。

精神的疲労で弱りきってる。

人間、支えを失うとあそこまで弱くなるのかって思うほど弱ってる。

あの琴歌おばさんを元に戻せるのは琴音だけなんだから、しっかりしてほしい。


「私の播いた種、か……お母さんは、元からこんなに弱い人だったのかな?それとも…」


それとも……まあ、何が言いたいかは予想がつく。

琴歌おばさんが弱くなった理由は、琴音があげた両方のせいだろうね。


「両方じゃない?元々誰かに依存して生きてきた事と、琴音が中途半端に仲良くなったあとに裏切ったから」

「だよね……今更謝ったところで、お母さんが許してくれるとは思えないんだよね」


はぁ…琴音はどうしてそんなネガティブな事ばかり考えるんだか。

少しは琴歌おばさんの事を信じればいいのに。


「まあ、一回謝ってきたら?あそこで琴歌おばさんが覗いてるよ?」

「それは知ってる。でも、私が一方的に酷いことを言ったのに、許してなんて言える資格があるのかな?」


はあ?

何が言いたいの?このお馬鹿さんは。


「琴音が謝らないで、誰が謝るの?琴歌おばさんは悪くないんでしょ?だったら、謝る必要があるのは琴音だけじゃない?」

「…そうだね。でも、今は謝る勇気が湧いてこないんだよね」

「まあ、さっき殴ったばっかりだからね。明日学校休んで付き合おうか?琴音が謝るの」

「え?いいの?」


琴音は目を丸くして確認してきた。


「別に一日くらい休んだところで成績に響いたりしないよ。それより、琴音がまた変なことして、謝れなかったなんて状況になるんじゃないかって事の方が心配だよ」

「私、そんなに信用無い?」

「いきなり母親蹴って人様の家を破壊しておいてよく言うね?」

「ごめんなさい、確かに信用ありませんでした」


今は壁が凹むくらいで済んだから良かったけど、穴が空いてたら普通にキレてたと思う。

『何してくれとんじゃー!!』って。


「あれでも十分怒ってたと思うけどなぁ」

「あん?なんだって?」

「なんでもないです」


私は何も言ってないのに、表情と勘だけで考えた事を言い当てる。

変なところで本家らしい事しないでほしい。

…まあ、私も同じ事出来るけどね?


「そもそも、いきなり母親を蹴るとかどうなの?見た目も相まって、ただの反抗期のヤンキーだよ?」

「なんの前触れもなく私の事を殴っておいてよく言うよ。あれ結構力入れてたよね?普通に痛かったんだけど」

「それはごめん。ちょっと頭に血が登って…ね?」


あー、めっちゃ不満そう。

ちょっと頭に血が登ってで済まされていい威力では無さそう…


「はぁ…まあいいよ。言いたいことは色々あるけど、先に非常識な事をしたのは私だし。そんな私に、千夜の事を『非常識だ!』って言う資格はないよ」

「……ごめんね」

「別に謝らなくてもいいんだよ?千夜のアレはお母さんのためを思っての行動なんだから。誰が聞いても千夜の味方をしてくれるはず」


琴音は私の事を気遣ってそう言っているつもりらしいけど、私には責め立ているように聞こえた。


「琴音も琴歌おばさんも優しいね」

「そうかな?」


この二人は色々と問題はあるけれど、人としての優しさはちゃんと持ち合わせてる。

捻くれた性格がそれを邪魔してるだけでね。


「とっても優しいよ…本当に」


琴歌おばさんは、旦那に浮気という形で裏切られ、娘に縁を切られ、その後突然現れた娘にいきなり蹴られた。

それでも、琴歌おばさんは怒らなかった。

浮気をした旦那を許し、娘の為を思って縁切りを受け入れ、蹴られても反撃しなかった。

そんな優しい琴歌おばさんが、私が琴音を殴った事を喜んでるとは思えない。

私は知らないだけで、琴歌おばさんは琴音の幼少期に酷いことを沢山してきたそうだ。

琴音はその事はもう水に流したとは言っていたけれど、心の奥底にしつこく染み付いた負の感情は流しきれていないらしい。

その事を負い目に感じて、こういう時は大人しく殴られてるのかも知れない。


「余計なお節介…いや、ただの自分勝手な行為だったのかなぁ…」

「は?」

「なんでもないよ。ちょっとした独り言だから気にしないで」


琴歌おばさんは、私がおばさんの為を思って琴音を殴る事を望んでいたんだろうか?

…多分、望んでないだろうね。

琴音が言っていた、『言いたいこと』というのはこの事なんじゃないかな?

そう考えると、本当に非常識なのは私の方だ。

確かに、母親をいきなり蹴るのは間違いなく非常識な行為だ。

でも、相手の事情を知らないのに勝手に助けるのは、ただのお節介なんじゃない?

そうなると、私のしたお節介もまた非常識な行為。


「ねえ、琴音」

「ん?」

「琴音はさっき、私が琴音を殴った事に対して、『誰が聞いても味方してくれる』って言ってたよね?」

「言ったね」


琴音は不思議そうな顔をしながら私の質問を聞いてくれた。


「本当に、味方してくれるのかな?」


私はコレを聞きたかった。

琴音と琴歌おばさんの関係や過去の話。

琴音の思いと琴歌おばさんの思い。

その事を考えると、私も悪くなってくる。


「……どうだろうね?そもそも、人を殴る事自体が今の社会では悪い事だからね。その部分は責められると思うよ」

「それは分かってる。でも、色々な事情を知ってると、見方が変わって私が悪くなるの」

「そうかな?見方が変わるなんて当たり前の事以前に、その『見方』自体が人それぞれなんだから、一人一人の意見を気にしてたら何も解決しないよ?共通してる部分だけ抜き取って抽象化しないと」


私は思わず目を丸くしてしまった。

半分は琴音の言っている事は正論でとても納得のいくものだったから。

もう半分は、それを言ったのが琴音だという事に驚いて。


「今ものすごく失礼な事考えてなかった?……まあ、大体想像つくし、納得出来るからいいんだけどね?」

「納得しちゃうんだね…」

「まあね。それより、私の話はまだ終わってないよ」


琴音は私に現実に戻ってくるよう手招きする。


「話を戻すね。確かにこの話をすれば、頭のいい人や想像力が豊かな人、理解力が高い人は千夜のことも責めるだろうね。でも大丈夫。私が風除けになるからそこまで責められたりしないよ」

「でも、それだと琴音が…」


それは、琴音が皆に責められて、その上私の分も責められるって事なんじゃないの?

そんなの…私が私を許せないよ。


「まぁまぁ。第一、大抵の人はその事に気付かずに私だけを責めるから何も問題ないよ。千夜が気にしてる、『自分が責められる』ってのは、そもそも気付かずに責められないか、私が風除けになるから大した事がない。何も気にする事は無いんだよ」

「……」


悪意があって言ったようには見えない。

私を苦しませたくて言ったとも思えない。

つまり、琴音は私の為にと励ましのつもりで言ったんだろう。

でも、それは私の心を深々と抉った。

『自分が責められる』

私は結局、自分が責められる事を恐れて琴音に赦しを乞うていた。

そんな自分勝手な理由で全てを琴音に押し付けようとした。


「…千夜?顔色が悪いよ?大丈夫?」

「大丈夫だよ。すぐに良くなる」


ははっ、これじゃあ琴音にネガティブ思考のし過ぎなんて言えないね。

本当に非常識なのはどっか?

そんな事を考えてる時点で私のほうがネガティブかも。


「……千夜が何をそんなに深刻に考えてるか知らないけど、嫌な事があったら相談すればいいんだよ?私でも、お母さんでも…はたまた榊や学校の先生、カウンセラーとか。相談出来る場所はいくらでもあるんだから」

「うん…ありがとう。ごめんね、これはちょっと琴音には相談出来ないかな?」

「そっか……じゃあ、ちょっと私はもう帰るね。自分の中でも少しは決着をつけておきたいから」


そう言って、琴音は東屋を出ていった。

どうしよう、私が琴音の相談に乗る予定だったんだけどなぁ。

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