第56話その日の夜 琴歌

マンションの一室


帰ってきてからまだ五分しか経っていないのに、私は酔っ払っていた。


「うぅ……ううぁ……」


お酒が入り、堪えていた悲しみが吹き上がってきた私は、珍しく本気で泣いてしまった。

千夜ちゃんが止めてくれていなかったら、絶縁宣言されていた。

…いや、ここに帰ってきた時点で絶縁したのとほぼ一緒か。

私も親と縁を切ったから、当然と言えば当然だ。

あの子は紛れもなく私の娘なんだから。

あの人の血を継いで、興味がない人にはとことん興味がない所を除けば、琴音は驚くほど私に似てる。

…あと、チビで貧乳な事を除けば。


「琴音……ごめんね……」


涙をポロポロ流し、嗚咽を上げながらお酒を飲む。

ごめんね、苦しい時にお酒に逃げるようなお母さんで。

自分の思いばっかり押し付けて、一方的に怒り続けるようなお母さんで。

いくら謝った所で、琴音は私の事を受け入れてくれないだろう。

私が榊をいまだに受け入れられていないように、琴音も私の事を大人になっても嫌ってるはず。

『一生後悔することになる』

頑張ってどうにかしようとしてくれてたみたいだけど、もう無理だよ。

琴音は私と同じでこういうことに関しては頑固だから。


「……琴音………琴音ぇ……」


もう戻ってこない幸せな時間を思い出し、涙が止まらない。

こういう時には限って楽しい思い出ばかり出てくる。

たった一ヶ月半程度の時間なのに、これまでの人生で一番輝いてたように感じる。

そして、生きる気力を失ったかのように、心にぽっかりと穴があいた。

この穴をどうやって埋めようか…


「うぅ…ううぅ……」


あの人に縋る?

そんな事をしてもあの人は振り向いてくれないし、慰めてもくれない。

本当に紙切れ一枚の関係だから。

例え私が死んでも、あの人は涙一つ流さないだろうね。

私なんて…どうでもいい存在だから…

……やり直したい……琴音に嫌われたくない……またあの幸せな暮らしがしたい……

神に、仏に、これまで嫌ってきた先祖に願った。

“時間を巻き戻してくれ”、と。

何度も何度も願った。

時には声に出して願った。

嗚咽が混じって、聞き取れないような声で願った。

何度も何度も………



……何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も…何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……


しかし、何かが変わる感触も、視界が変わることも、幸せな日々が戻ってくる事も無かった。

変わったことは、悲しみと虚しさが増えたこと。

そして、泣きつかれて瞼が重くなってきたくらいだ。

このまま寝てしまう。

そうすれば、朝には悪い夢を見ていたとして琴音の隣で起きるはず。

ダンジョンなんて物が現れた世界だ。

きっと、神様だっている。

そんな優しい神様が私の悪い夢を消してくれる。

幸せな日々に戻してくれる。

ほら…こうやって目を閉じれば……きっと……神様が……なん、とか……してく…れる……はず………









深夜になって家に帰ってくると、出ていったはずの邪魔な女がいた。

それもかなりの量の酒を飲んで酔い潰れている。


「チッ、なんで帰ってきやがった…」


所詮榊の出涸らしである俺に、こいつをどうこうする力はない。

なにかすれば、事故に見立てて榊に処分される。

あいつらは政界に財界に裏社会に国家権力にコネがある。

それらを駆使すれば俺を始末することくらい容易いだろう。


「まったく、面倒な事になった。子供が産めればまだ価値はあったのに…」


こいつは榊の厄介者。

禁忌によって生まれた面倒な存在だ。

そして、血を薄めるために無理矢理結婚させられ、『無理矢理結婚させられたせいであまり興味はないが、一応家族として扱っている』という演技をさせられている。

しきたりを守らず、法律を守らず、暴走族なんかを率いて、働けばすぐに問題を起こしクビ。

育ててもらった恩を返す事なく縁を切った厄介者。

そして、何があったかは知らないが酔い潰れて無防備に寝ている。


「琴歌、こんな所で寝たら風邪引くぞ?」


心にもない事を言ってこの女を起こす。

ベッドを取られる訳にはいかない。

せめてソファに寝かせてタオルでも掛けておこう。

こんな女でも、甘い汁は出してくれるんだから。


「榊から送られてくる金が無ければ、すぐにでも追い出してたんだがな…この家で暮らせるだけ有り難いと思え」


俺は、この女の面倒を見るとして月に最低でも百万は貰っている。

これが無ければ追い出してた。

節約は好きだから、金に困る事は怪我病気でも起こらない限り無いだろう。

しかし、金があって困ることはない。

だからコイツの面倒を見る。

…この様子だと、何かあったに違いない。

この飲み方は自棄酒だ。

………使えるな。

『琴歌に何かあったらしい。精神的なケアのために送ってくれる金を増やしてくれ』

こう言えば、榊はもっと金を吐くだろう。

ある程度はコイツに渡して、残りで久々に遊ぶか。

厄介者にでも、少しはいい使い道があるじゃないか。


「死なないでくれよ?

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