101 棟梁にお風呂の重要性を説く

「お嬢様、悪い顔になっていますよ」


 あら、いけない。

 アラベルの指摘に、お嬢様らしい可愛い笑顔を作る。


「……僕は、まだまだですね」

「ジョルジュ様、自分を卑下する必要なんてありませんよ」


 ガックリと肩を落とすけど、今の説明をまだ八歳で多少なりと理解出来たのなら、十分すごいと思う。

 きっと地頭はとてもいいのね。


 所詮私は、前世の記憶と知識があるおかげに過ぎないのだから。


「いつもお手紙に書いてあるから知っています。ジョルジュ様、お勉強をとても頑張っているって。だからきっとすぐに私なんて追い抜いちゃいますよ」


 励ますように、にっこりと微笑む。


 途端、何故かまたジョルジュ君が固まってしまった。

 人見知り、克服したと思っていたんだけど……。


 私にはまだ十分慣れてくれていないみたいね。

 ちょっと残念。


「ようこそ旦那方。お嬢ちゃん、坊ちゃんも」


 話の区切りが付いたところで、筋肉隆々の四十歳前後に見えるはげ頭のおじさんが、ニッカリといい笑顔で近づいてきた。

 船大工達の棟梁だ。


 棟梁の呼びかけに、ジョルジュ君が、はっとしたように再起動する。


「どうだいこの船は。まだ途中だが、大したもんだろう?」

「ああ、実に立派な船だ。大きさを目の当たりにして驚いているよ」


 テンション高く自慢げな棟梁に、お父様が満足げに頷くと、棟梁がそうだろうそうだろうとご満悦だ。


「どうだいお嬢ちゃん?」

「はい、とても大きくてすごく素敵です」

「そうかそうか、がはははは!」


 棟梁ったら、船が褒められて子供みたいに嬉しそう。

 本当に船が好きなのね。


「これほどでかい船なのに、何倍も早く、あっという間に出来上がっていく。それもこれも、旦那方が用意してくれた、あのクレーンと運搬車、そして台車のおかげだ。うちのモンも、こんなに早く楽に作業が進むなんてと、張り切って使ってるぜ」


 私の作った魔道具が大活躍しているみたいで、ちょっと誇らしい。


「魔道具なんざ、大砲か拳銃か、お貴族様の贅沢品だけだとばかり思ってたが、まさかこんな便利な道具を用意してくれるたぁ、思いも寄らなかったぜ」

「つまりそれだけこの船に、そして次に作る本命の船に、我がゼンボルグ公爵家が期待を寄せ必要としている証だ」

「心得てまさぁ、旦那。ただでかいだけじゃねぇ。見たことも聞いたこともねぇ工夫と道具が満載の、これまでにねぇ全く新しいタイプの船だ。オレらもこの船が颯爽さっそうと海を走る姿を、是非見てみたいんでね」


 お父様の言葉にも力強く答えてくれて、これは本当に期待出来そう。


「ただなぁ……」


 ところが一転、棟梁がなんとも腑に落ちない顔になって、頭をガリガリと掻く。


「オレらが作ってるのは交易船であって、お貴族様の船遊び用じゃねぇんだが、風呂なんざ付ける意味あんのかねぇ? しかも貴重で贅沢な魔道具でなんてよ」

「あります!」


 棟梁の方へ一歩踏み出して食い気味に主張する。


「お、おう、お嬢ちゃん?」

「船員も清潔にしておかないと、病気は怖いんですよ」


 給湯器を作ったときに開発チームにも説明した、未知の病気を持ち込む、持ち込まれる、その怖さを説明する。


「ああ、そういやアグリカ大陸を発見した後だったかに、なんか聞いたことのねぇ病気が流行ったとかなんとか聞いた気がするな」

「そう、それです!」


 ヨーラシア大陸の国々の人達もアグリカ大陸の国々の人達も、お互いに免疫がない病気が流行してしまった。


 前世でも、十九世紀までに世界中で三回も大流行した悪名高い黒死病ペストも、二回目に大流行した中世では、中央アジア起源説、中国起源説などがあり、そこのネズミとノミを媒介に、モンゴル帝国の支配のおかげで安定したシルクロードを経由した交易で、ヨーロッパへと広まっていったそうだから。


 現代になってすら防疫は完璧じゃないのに、医学も原因究明のための科学も発達していないこの世界では、なおさらそれを完璧に防ぐのは難しい。

 だから、出来る範囲で出来ることをやるの。


 防疫として、人も船も清潔にして、肌や衣服への病原菌の付着を許さない、そして病原菌を媒介するネズミやノミが繁殖する環境を作らないことが大事なのよ。


 とくとくと説明して、引き気味に唖然とした顔をしている棟梁に気付いて、はっと我に返る。


 お父様はそんな私に苦笑を浮かべていた。

 顔が熱くなるのを覚えながら、前のめりになっていた姿勢を正して、握り締めていた拳を降ろす。


「コ、コホン。とにかく、そういうわけで必要なんです」

「……あ、ああ。小難しくてよく分からねぇが、とにかく病気にならねぇために、身綺麗にしとけってこったな?」

「そういうことです」

「お嬢ちゃん、まだちっこいのに小難しいことを知ってるんだな。大したもんだ」


 前世で、晩酌で酔った父と兄に散々聞かされたからね。


「……」


 ふと、棟梁が難しい顔で考え込みながら、じっと私を見つめてくる。


「……あ、あの?」

「まさかたぁ思うが……この船のとんでもねぇあれやこれやの工夫も、もしかしてお嬢ちゃんが?」


 さすがにこれは、答えていいのかな?

 チラッとお父様を見ると、仕方ないって顔で微笑みながら私の隣に立つと、頭を優しく撫でてくれた。


「発想の大本はマリーだ」

「おおっ、そいつぁすげぇな! オレらを説得してみせたことといい、本当に大したお嬢ちゃんだ!」

「そうだろう。うちのマリーは天才だからな」


 お父様ったら得意満面に私の肩を抱き寄せて、また親バカ全開よ。

 ちょっと恥ずかしい。


「とんでもないあれやこれやの工夫……ですか?」

「おお、坊ちゃん、気になるかい?」

「う、うん」

「私もそれらの完成具合が気になるな。せっかくだ、もっと近くでの見学は可能か?」

「建造中の船に素人を近づけるのは危ねぇんだが……」


 棟梁がお父様に答えながら、チラッと私を見る。


 見たい!

 すごく見たい!

 建造中の船をじっくり見学できるなんて、そんなチャンス滅多にないもの!


「マリーなら大丈夫だ。これでも分別がある子だからね」


 すすっと静かに、お父様とは反対側の隣に立ったエマが、当たり前のように私の手を握った。


「……仕方ねぇ」


 これで納得されるのは、やや不本意だけど。

 間近で見学させて貰えるなら、この程度、なんてことはないわ。


「ただし、オレの指示には従って貰う。触るな近づくなって言った場所や物には絶対に行かねぇ触らねぇ、って約束出来るならだが」

「約束します!」


 元気よく手を挙げて約束する私に、棟梁はやれやれって顔で苦笑した。


 建造中の大型船ツアーの始まりね。


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