84 初めての女剣士気分
初めての馬術の稽古は、まず私が馬に慣れるため、一通りの馬の速度を体験するだけで終わった。
具体的には、ゆっくり歩く
アラベルに支えられながらだから絶対に安全だったのだけど、さすがに全力疾走の襲歩は怖かったわ。
馬から下りた時、その場にへたり込んじゃったくらい。
「大丈夫ですかお嬢様?」
「……うん、ちょっとビックリしちゃっただけ」
心配そうに私を気遣うアラベルを見上げる。
怖かったけど、アラベルの腕に守られているって安心感もあった。
きっとアラベルは、こうして私を守りながら馬を駆る訓練を積んでいたんだわ。
いずれ私も、そのくらい出来るようになりたいわね。
もうじき生まれてくる弟か妹を、いつか乗せて走れるように。
馬のお世話については後日改めてと言うことで、今日はお礼にカットしたリンゴをあげるだけ。
「ふわぁ~♪」
だけど、私の手の平からリンゴを食べてくれて、それがとっても可愛かった!
「マリーがもっと大きくなって一人で馬に乗れるようになったら、マリーのための愛馬を用意しよう」
「ありがとうパパ!」
抱き付いて、頬にお礼のキス。
その時が楽しみね!
そんな風に、初めての馬術の稽古は無事におしまい。
少し休憩して、それから場所を騎士団の訓練場に移動。
次は剣術の稽古だ。
先生は、引き続きジョベール先生。
手渡されたのは子供用の小さく短い木剣だった。
「それではマリエットローズ様、まずは正しい剣の握り方からご教授しましょう」
「はい、ジョベール先生」
これも当然、剣を握るなんて初めてだ。
やっぱり、授業のソフトボールでバットを握るのとは全然違うわね。
握る位置、指の位置、力の入れ方から始まり、腕、肘、肩の角度、姿勢、スタンスの取り方、顔の向き、視線の向き、などなど、事細かに指導されて、ようやく正眼の構えと言う、切っ先を正面に向ける中段の構えを教わって木剣を構えた。
ムフー!
と、テンションがまたしても爆上がりよ。
まるで魔物がいるファンタジー世界に転生して、冒険者の女剣士になった気分。
幸いなことに、この『海と大地のオルレアーナ』の世界には、魔物なんて存在は伝承の中にしかいないから安全だ。
「それでは構えを解いて下さい。では、もう一度構えて」
ジョベール先生に言われて、何度も構えて解いてを繰り返し、そのたびに握り方や腕の角度、姿勢を注意されて、正しい構えを身体に覚え込ませていく。
それがある程度形になったら、ようやく素振りだ。
「まずはゆっくり振り上げて下さい」
言われてゆっくり振り上げて、またしても腕や姿勢を注意されて。
「次はゆっくり振り下ろして下さい」
言われてゆっくり振り下ろして、同様に注意されて。
それをまた何度も繰り返して、正しい剣の振り方を身体に覚え込ませていく。
そしてそれがようやく形になったら、初めて繰り返し素振りだ。
「えい! えい! えい!」
気合いを入れて、何度も何度も素振りを続ける。
「脇が開いてきています、脇を締めて」
「はい! えい! えい! えい!」
「顎が上がってきています。背中も丸まってきていますよ」
「はい! えい! えい! えい!」
時には言葉で指摘され、時にはストップをかけられて姿勢を正されて、何度も素振りをする。
「馬術の稽古と比べて、剣術の稽古はきっと面白くないでしょう。ですが、正しく剣を握り、正しく振った回数だけ強くなれると、それを忘れずに励んで下さい」
「はい、ジョベール先生! えい! えい! えい!」
延々繰り返す素振りは単調で、腕も足も疲れるし、手の平も痛くなってくるし、確かに決して楽しいものじゃない。
でも、私はちゃんと知っている。
基礎を
勉強も、仕事も、馬術も、剣術も、まずは基礎を繰り返し、しっかりと学んで自分の中に強固な土台を作らないとね。
そこに積み上げていくのは、それが出来てからの話よ。
◆◆
「マリエットローズ様の集中力は大したものですな」
素振りをするお嬢様を眺めて、ジョベール殿が顎を撫でながら感心したように呟く。
「普通、子供はすぐに素振りに飽きて、男の子だと打ち合いをしたがったり、技を教えろとせがんだり、女の子だと腕が疲れたと剣を投げ出したり、ほどほどでいいんだからと素振りをしなくなってしまったり。そうなる場合がほとんどなのですが」
「私も驚いているよ。早く習いたいと言い出したのは確かにマリーだが、ここまで熱を入れて稽古をするとは思っていなかった」
旦那様も、驚きと感心と、ほんの少しの戸惑いを交ぜた顔で、お嬢様を眺めている。
わたしも驚かなかったと言えば嘘になるが、ある意味で納得していた。
「お嬢様は本気でお強くなりたいのだと思います」
「ほう?」
わたしの言葉に、旦那様が興味を惹かれたように振り返る。
ジョベール殿も、その言葉の真意を尋ねるように、わたしに目を向けた。
「先ほどの馬術の稽古の時、お嬢様が馬を怖がらないため、ジョベール殿が『せっかくですから今の内に襲歩も体験しておきましょう』と
「えっ? いや、ですがそれは、まさか……」
ジョベール殿が戸惑うのも無理もない。
飽くまでも念のため、それも真意を隠しての発言だったのだから。
しかも、お嬢様はまだたった六歳だ。
普通、分かるわけがない。
「
旦那様の確認する言葉に、正直に答える。
「襲歩の最中、お嬢様は始め怖がって目を瞑り下を向いていました。ですが、わたしが『大丈夫ですから顔を上げて、目を開いて前を見て下さい』と言うと、恐る恐るながらもそうされました。それは、とても真剣な横顔でした」
「それは振り落とされないように必死だったのでは?」
旦那様はもう分かっているだろうに、それでもわたしの思い違いではないかと確認してくる。
「お嬢様は、一度たりとも悲鳴を上げていないのです」
「言われてみれば……しかしそれは、怖くて声が出なかっただけでは?」
ジョベール殿の疑問ももっともだろう。
わたしもお嬢様との付き合いはそれほど長くない。
だから未だに、その発想や思考を理解出来ないことが多々ある。
だけど、わたしはそうではなかったと、話しながら確信していた。
「お嬢様は必死に鞍に、そしてわたしの腕にしがみついていましたが、そのお姿は、取り乱したり悲鳴を上げたりしてわたしの邪魔をするまい、そう必死に我慢しておられるように見えました。きっとお嬢様には、視察の道中か、王都でか、追っ手に追われている光景が、その時自分がすべきことが見えていたのではないでしょうか」
「なんと……!」
絶句するジョベール殿。
そして、納得した顔で頷く旦那様。
「マリーならあり得るだろう。この先、マリーの才能が広く世に知られた時、自衛手段は必須だ。そして、それを身に着けるのは早ければ早い方がいい。マリーもそれを感じているからこそ、ただでさえ学ぶことが多く仕事が忙しいのに、さらに馬術と剣術を早々に学び始めることを望んだのだろう」
騎士を目指すなら、このくらいの時期から本格的に稽古を始めた方がいい。
わたしもそうだった。
でも、お嬢様が目指す先は騎士ではない。
しかもご令嬢の多くは、嗜み程度の乗馬はともかく、貴族学院に入学するまで剣を握ったことすらないのが普通だ。
それでも、力を、技術を求めるのなら、きっとそういうことだろう。
「……感服致しました。非才の身ながら、全力でマリエットローズ様のお力になることを、ここに改めて誓いましょう」
お嬢様が素振りをする姿を見て、ジョベール殿が敬服したように感涙する。
それはわたしも同じだ。
「お嬢様には本当に頭が下がります」
わたしは、そんなお嬢様の剣と盾になる使命を、改めて胸に刻んだ。
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