83 初めてのお馬さん
午前中のお勉強が終わって、昼食を食べた後の午後。
「おおっ! お馬さ~ん!」
鎧甲冑の騎士を乗せるずんぐりとした大型の馬じゃなくて、サラブレッドのようにすらりとした立派な馬が目の前に連れて来られて、私のテンションはまたしてもマックスだった。
私の家――丘というか小山の頂上にある、大きな防壁でぐるりと囲まれたこの敷地全てをそう言っていいのか疑問だけど――の敷地内にしっかりとした広い馬場があったのには、ちょっと驚いたけどね。
ともあれ、馬術の稽古が出来る設備がちゃんと揃っているそこへ、お父様とアラベルに連れられてやってきた。
服装は、さすが乙女ゲームの世界だけあって、軍服っぽいズボンの乗馬服。
しかもいい感じにお洒落で、それだけでもテンション上がっちゃったわ。
「普段はここで、騎士や兵士達が馬術の訓練を行っているんだよ」
「そうなんですね。それじゃあ、アラベルも?」
「はい。お嬢様の護衛がない時は、わたしもこちらで訓練しています」
そんな会話をしながら待つことしばし、連れて来られたのが、赤茶色い
馬車
もっと言えば、身近で動物と触れ合う機会がほぼなかったのよ。
おかげで、見上げるほど大きな馬にこれから乗るんだと思うと、テンションが上がっちゃって上がっちゃって。
「本当にお嬢様は物怖じしませんね。馬車を引いている姿を見たことがあっても、初めて乗ろうとする時には、改めて間近にその大きさを目にして、腰が引けてしまうご令嬢も珍しくありませんよ」
「そうなの? アラベルはどうだった?」
「そうですね……わたしも、腰が引けたと言う程ではありませんでしたが、実を言うと最初は少し怖かったですね」
言われてみれば確かにそうかも知れない。
ご令嬢の多くは、基本的に深窓のご令嬢だものね。
私達の雑談が一段落したところで、進み出てくる貴族が一人。
「お初にお目にかかります、マリエットローズ様。ブランローク伯爵家前当主、エドガール・ジョベールと申します」
丁寧に挨拶してくれたのは、五十手前くらいの初老の紳士だった。
白いものが交じった亜麻色のさらさらくせっ毛に、鋭い眼光の藍色の瞳。
細身で、背は真っ直ぐに伸びていて、年を感じさせないキビキビとした動きをする武人然とした人だ。
「初めまして、マリエットローズ・ジエンドです。ブランローク伯爵家と言えば、北方に領地があって、寒さに強い作物の栽培や、馬が特産でしたね」
それで確か、一族揃って武人気質の家系で、代々優秀な軍人を輩出している武門の名家だったはず。
「おお、我が領地のことをご存じでいて下さいましたか。これはありがたき幸せ」
本当に、じんと感動したように胸に手を当てて笑顔になる。
ブランローク伯爵家も、シャット伯爵家に負けず劣らず、ゼンボルグ公爵家への忠誠心がすごい家の一つなのよね。
それに、知っていて当然。
浮いたスパイス代を使って各地でどんな産業を振興するか、お父様と一緒に資料を作った時、ブランローク伯爵領はあまり雨が多くない気候だから、私がテンサイの栽培とテンサイ糖の精製を推奨したのよ。
テンサイの搾りカスは、そのまま飼料にもなるから。
ちなみに、これは後日聞いた話なんだけど、そうしてお父様の名前で指示を出して貰ったときに、隠居して当主交代を決意したんですって。
領地が栄えてブランローク伯爵家が、そしてゼンボルグ
「せっかく楽隠居したかったエドガールには悪いが、マリーの乗馬と剣術の指導をお願いしようと思ってね。本人の実力もさることながら、その指導力に定評がある人物だ」
お父様がそう紹介すると、前ブランローク伯爵……ジョベール先生とお呼びするべきかしら? ジョベール先生が
「過分な評価を戴き、恐悦至極に存じます。まだこの老骨にもお役に立てることがあるならばと、マリエットローズ様の
「ありがとうございます、お父様の推薦なら安心です。ご指導よろしくお願いします、ジョベール先生」
「畏まりました。お任せ下さい」
本当に、私の役に立てるのが嬉しそうに笑顔を見せてくれる。
是非、ビシビシ鍛えて欲しいわ。
「実は私の孫娘の一人がマリエットローズ様の一つ年下でして。少々お転婆ですが、すでに馬術と剣術を学び始めております。こうして早くに学ばれ始めるマリエットローズ様とはお話が合うかも知れません。ご挨拶に伺う機会があれば、是非仲良くして戴ければと思います」
「まあ、それは是非。お会いできる時が楽しみです」
いつか、ブランローク伯爵領の視察にも行きたいわね。
「では早速本日の指導内容ですが、マリエットローズ様は初めての乗馬ですから、馬術における礼儀や作法については後日にしまして、まずは護衛の騎士と共に乗って戴きましょう。そして馬に乗せて貰ったご褒美をあげて、馬に慣れ親しんで戴くところから始めたいと思います」
「はい、ジョベール先生」
元気よく答えると、実に嬉しそうに笑う。
それから、馬は繊細で臆病だから、後ろ足で蹴られないよう後ろから近づかないとか、側で大声を出して驚かせないとか、諸々簡単な注意を受けてから、いざ、実際に乗ることに。
「あなたも、今日はよろしくね」
背伸びをして馬の顔を撫でると、嬉しそうに私の手に顔を押し付けてきた。
なにこれ可愛い!
「仲良くやっていけそうですね。それではお嬢様」
まずアラベルが先に乗って、それからお父様に抱き上げられた私をアラベルが受け取ると、アラベルの前に座らせてくれた。
「わぁ~! 高い! 馬の背中ってこんなに高いのね!」
想像していたよりも遥かに視点が高くなって、一気に視界が開ける。
もうそれだけでテンション爆上がりよ!
「マリー、くれぐれもはしゃいで落ちないように」
「はい、お父様!」
「
「はっ、旦那様! お嬢様から決して目も手も離しません!」
……ドボン未遂が、まだ尾を引いているみたいね?
これは一生言われるかも……。
でも今は脇に置いておいて、初めての乗馬を楽しまないと。
「それでは最初はゆっくり、
「はい」
ジョベール先生も別の馬に乗って、隣に並ぶ。
「ではお嬢様、いきます」
アラベルが手綱を握って、馬の腹を軽く蹴ると、馬がゆっくりと歩き出す。
「わっ、わっ!?」
それだけで大きく揺れて、あまりの不安定さに鞍にしっかりしがみつく。
「大丈夫ですよお嬢様。わたしが支えていますから」
アラベルは片手で手綱を握りながら、もう片手を私の腰に回してしっかりと支えてくれている。
肩越しに振り返って見上げれば、いつも以上に凛としたアラベルの顔があった。
「アラベル、格好いい!」
これぞ女騎士って感じ!
「ふふ、ありがとうございます、お嬢様」
はにかむアラベル、可愛い!
こうして、私の馬術の稽古が始まった。
軍事大国オルレアーナ王国の貴族は、男女共に馬術は必須技能なの。
いずれ、馬上で剣や槍を振って戦う訓練も始めることになる。
もっとも、戦争ばかり繰り返していた昔と比べて近年は、特にご令嬢の場合、嗜み程度にそこそこの腕さえあればそれでいいのだけど。
でも私は、がっつりと戦えるように鍛えるつもり。
だってバッドエンドの中には、古参貴族達とゼンボルグ公爵派の貴族達とで戦争になるルートがあるから。
当然、とは言いたくないけど……そうなれば悪役令嬢のマリエットローズはその戦争で死亡してThe ENDよ。
そうならないためにも、自分の身くらい自分で守れるようにならないとね。
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