52 本命のアプローチ方法

 本命は月距法つききょほうにしようと思う。


 実は月距法は一時期クロノメーターと経度を測定する主流の座を争ったんだけど、計算が大変で計算間違いも起きやすいと言う理由で廃れてしまったのよ。


 でも、クロノメーターはないし、懐中時計の完成も当てには出来ない。

 だから、実現するためには手間と時間が掛かってすごく大変だけど、今はまだ月距法の方が現実的な方法だと思うから、これでいこうと思う。


「ふむ、時計が作れなかったか、作れたとしても必要な仕様を満たしていなかった時のための策だね。随分と周到なことだけど、あらゆる事態を想定して手を打つのは上に立つ者として必要なことだ。実に頼もしいよ。それで、その作りたい物とはなんだい?」

星表せいひょうと月行表、そして経度を計算する新しい数式です」


 星表は恒星の番号と位置座標が記された、天体カタログのこと。

 他にも、明るさや色、視差まで細かく書かれている物もあるみたいだけど、ここで重要なのは、位置座標ね。


 月行表は『げっこうひょう』とでも読めばいいのかしら?

 それとも『つきこうひょう』?


 正確な読みは知らないけど、太陽と月の運動、つまり太陽と月がどの時刻に空のどこにあるかの位置座標を表にした物ね。


「まずは天文学者を集めて、長い期間をかけて夜空の星と月と太陽の運動を観測してもらって、星表と月行表を作ってもらいます」


 多分、これまでも観測してきて、その観測結果や軌道を計算する数式もあるだろうから、これはそれほど難しい話ではないはず。


「これがあれば、星空の地図の上に、何年何月何日の何時に月と太陽がどの位置にあるか、予測出来るようになるんです」


 これを利用して、観測の基準点における特定の時刻の月の位置を予測しておいて、星表を参考に付近の恒星と最も近づく時刻を予め計算して知っておくの。

 そして、航海中、現地で実際にその時刻になったら六分儀を使って月を観測して、基準点で予測した時刻と、実際に現地で付近の恒星と最も近づいた時刻とのズレから計算して角度を求めれば、経度が測定出来ると言うわけね。

 だから、月距法と呼ばれているの。


「驚いたな……そんな方法があるとは。太陽や北極星を利用して方位やおおよその位置を確かめる話は聞いたことがあるが、月も含めて予めその位置を予測して、それを利用してより正確な位置を把握しようとは……」

「沿岸部を離れて外洋に出たら、太陽と月と星しか目印がないですから」

「確かにその通りだ」


 もちろん月距法もやっぱり誤差は出るし、とにかく計算が大変で、なんでも初期の月行表を使った計算では、四時間くらい掛かったらしい。

 でも後に、三時間ごとに月と太陽の位置を記した『航海暦』って本が出版されると、計算時間が四時間から三十分に短縮されたそうなの。

 情報としては、そのくらい細かく欲しいわよね。


「それは毎年更新して、常に誤差を修正した最新の情報を準備しておきたいものだな」


 だから、天文学者には是非とも気合いを入れて、正確で詳細な星表と月行表を作って欲しいわ。


 これで緯度と経度を計測出来れば、何もないだだっ広い大海原のど真ん中でも、自分達がどこにいるのか見失わずに済むようになる。

 目的地の緯度と経度が分かっていれば、都度、最適な航海のスケジュールだって立てられて、遭難する可能性がうんと低くなるのよ。


 そして利点はそれだけじゃない。


「今のうちから、せいどが高い星表と月行表を用意して、測量道具と技術を高め、せいどが高い地図と海図を作っておきたいです。そうすれば、仮に他の領地や国がゼンボルグ公爵領の造船技術を盗んで手に入れても、新大陸の存在に気付いても、アグリカ大陸との直通航路を開拓するにも新大陸との航路を開拓するにも、とても時間がかかるはずです。すぐにゼンボルグ公爵家のアドバンテージがおびやかされることはありません」

「それは……確かにとても重要だ」


 お父様がとても重々しく頷く。


「あらゆる事態を想定して手を打つのは上に立つ者として必要なこととは言ったが、その年でよくそこまで思い付くものだね……しかも思い付く方法が突飛でありながら、とても理に適っている。私は驚きすぎて、もはや何から驚けばいいか困っているよ」


 お父様が苦笑を浮かべたのは一瞬だけで、私を抱き寄せて頬にキスをしてくれた。

 それも、愛情たっぷりの。


 照れる。


「えへへ」


 でも嬉しい。


 そうだ、どうせなら。


「経度の観測の基準点を、いま決めちゃいましょう」


 この世界に緯度と経度の共通の基準はまだない。

 それ以前に、この世界にはブリテン諸島が存在しないから、絶対にグリニッジ天文台もグリニッジ子午線も登場しようがないのよ。

 だったら、せっかくだからそれを真似させて貰っても構わないわよね。


「例えば、領都の東地区、ウィーゼン地区にあるウィーゼン王立天文台にシンボルを置いてそこを基準点と定めて、そこを通る経線をウィーゼン子午線と名付けて、経度ゼロ度にするのはどうですか?」


 事実、他の国もイギリスの真似をして自国の天文台を基準にしようとしたけど、結局どの国も強いイギリス海軍が使っていたグリニッジ子午線をそのまま使うようになって、世界の基準になった経緯がある。

 こういうものは、言った者勝ちの早い者勝ち、広く浸透させた者勝ちよね。


「おお、それはいい考えだ。実に『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』に相応しい。きっと世界中がウィーゼン王立天文台とウィーゼン子午線を基準とするようになるだろう」

「はい、きっとそうなります。いえ、そうしちゃいましょう」

「ああ、その通りだ。是非ともそうなるように動いてしまおう」


 お父様ったら、もう子供みたいにワクワクした顔をして、すごく楽しそう。

 お父様のこんな顔を見られただけで、お願いしに来た甲斐があったわ。


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