45 地図と測量とやり過ぎる覚悟
「困ったことに、地図は作る者によって精度がまちまちでして。歩きやすい道がある陸の上でならともかく、海の上ではロープを張ったり、歩いて距離を測ったり出来ませんからね。もっとも、プロの技術者が作っている地図でそれですから、素人が作った物など目も当てられません。なので、より精度が高い地図を探し、買い求めるしかないのです」
船長さんは仕方なさそうに言うけど、仕方ないで済ませていい問題じゃない。
だって、慣れている近海や地形を把握している場所ならともかく、初めて行く場所では地図はほとんど役に立たないわけでしょう?
「船長さん、地図はどうやって作るんですか?」
「う~ん、それは……」
船長さんが困ったように唸る。
地図と違って、測量技術までは軍事機密じゃなかったはず。
観測作業自体を船員に任せるにしても、航海中に船の現在地を観測して針路を決めないといけないわけだから、伯爵家に雇われている身元がハッキリしている船長さんなら、その辺りのことを知らないことはないと思う。
ああ、それとも、五歳児に説明したところで理解出来ないだろうって、そういうことかしら。
船長さんが困った顔のまま、お父様達を振り返った。
「構わない、教えてやってくれ。無邪気な好奇心からくる興味本位ではなく、何か思案げな顔で尋ねているからね。やはりマリーには何か考えがあるのだろう。もしそれで何か不都合が起きれば、責任は私が持とう」
あら、お父様はそういう風に私を見ていたのね。
自分では気付かなかったわ。
お父様の隣でお母様も同じように頷いているから、本当にそうみたい。
公爵令嬢としては考えが顔に出てしまうのはマイナスだけど、お父様とお母様が私のことを理解してくれていて、ちょっぴり嬉しい。
「船長、公爵閣下の
対してシャット伯爵は楽しげに、船長さんをからかうように助け船を出してくれた。
「はあ……そこまで仰るのでしたら」
五歳児に地図の作り方を教えて一体どんないいことがあるのか、と言いたげな、さっぱり分からないって微妙な顔でだけど、船長さんはようやく頷いてくれた。
「おい、あれを取ってきてくれ」
「へい」
地図を取ってきてくれた若い船員さんが側で控えていて、またしても船長さんの指示で船内に走って行って、それを取ってきてくれた。
若い船員さんが抱えてきたその二つの道具を見て、すぐさま理解した。
やっぱり、って。
父と兄から聞いた通りだったみたい。
すでに答えを確信した私には気付かず、船長さんは丁寧に説明を始めてくれる。
「これは
四分儀は、半円の分度議をさらに半分にした、四半分の扇形をしている。
円の四分の一の角度まで測れるから、四分儀と呼ばれているわけね。
分度議と同じく弧の部分に角度の目盛りが刻まれていて、直角の部分に
「四分儀の使い方ですが、まず、この目盛りを下に向けて持ちます」
船長さんが、切ったスイカを食べます、みたいなポーズを取る。
スイカはアグリカ大陸原産で、ゼンボルグ公爵領では滅多に出回らないし、高価すぎてまだ食べたことないけど。
是非、アグリカ大陸への直通航路を開拓して、スイカを食べたいわね。
「次に目印になる物、この場合は主に星や月、太陽ですが、そっちを向いて四分儀を目の前に
船長さんは説明しながら実演して、直角部分を太陽へ向けて四分儀を構えて、四分儀を持つ角度を調整する。
「最後に、こうして自分の目と太陽を結ぶ直線上に、四分儀の直線部分が重なるように構えるわけです。すると垂れ下がっている錘付きの紐が、弧に刻まれた角度を指し示します。つまり、その角度が自分の現在位置になるわけです」
そう、その角度が緯度だ。
つまり四分儀は、緯度を測る道具と言うわけね。
この四分儀は構造が単純なだけに使い方も簡単で、記録では二世紀頃にはすでに使われていて、さらに十八世紀に
だけど四分儀は単純な分だけ、誤差もそれなりに大きくなってしまう。
しかも陸の上で使っているならともかく、揺れる船の上で使えば当然誤差はより大きくなる。
「こうすれば、今自分が地図上の南北どの位置にいるのか分かると言うわけです」
船長さんが海図の上で指を南北方向に動かした後、一点を指さした。
四分儀を使って求めた緯度からその地点を指さしたんだろうけど、緯線も経線も書かれていないし地図が不正確だから、本当に現在位置がその地点かは正直疑問だわ。
「お分かりになりましたか?」
「はい、大丈夫です」
笑顔で頷いたのに、船長さんは本当だろうかって半信半疑のままだ。
「次に東西の位置や距離の測り方についてですが、まずはこちらへ。落ちないよう気を付けて下さい」
船長さんが右舷の船縁へ案内してくれる。
お父様もお母様も、シャット伯爵もジョルジュ君も、みんな興味があったのか、話を一旦止めて一緒に付いてきた。
もちろん、私はエマと手を繋いだまま、後ろにはアラベルが控えている。
「おい」
「へい」
船長さんの指示で、若い船員さんがもう一つの道具を海へと放り込んだ。
「あっ」
驚いた声を上げたのは、ジョルジュ君とお母様だけみたい。
声を上げなかっただけで、エマとアラベルから驚いた気配はしたけど。
その海へと放り込まれた道具、木片を結びつけたロープは波間に浮かび、船の進みに従ってそのまま後方へと流れていく。
程なく、他の船員さん達がそのロープを引き上げて回収した。
「今の流れからすると、だいたい二ノットってところっす」
若い船員さんの報告に、船長さんが頷く。
「このように流れるロープの速さから船足を測ります。そうして船の速度と航海した時間から、どのくらいの距離を移動したのかを測って、現在位置を調べたり、地形を地図に書き込んでいきます」
船長さんが海図の上で指を東西方向に動かした後、一点を指さした。
お父様とシャット伯爵は知っていたみたいだけど、知らなかったお母様やジョルジュ君達は感心した声を上げる。
私はと言えば……無言。
だって無言にならざるを得ないでしょう?
こんな測った人や波の高さや海流の速さによって大きく差が出る方法で、大体の速度を測って、大体の移動時間で、大体の移動距離を出して、それで地図を作ったり、東西の位置、つまり経度を求めたりしていたのよ?
そんなので正確な地図を作ったり、現在位置を把握したりなんて、絶対無理に決まっているじゃない。
現代の地図に比べて中世の地図が結構おかしな形をしていたのも納得よね。
こんな地図を使っていたら、新大陸の発見はおろか、アグリカ大陸との直通航路でだって、何かあればすぐに自分達の位置を見失って遭難してしまうわ。
そんな状況で送り出すなんて、死んでこいって言っているようなものじゃない。
事実、こんな精度の地図を使っていた大航海時代やそれ以前の時代では、遭難して生還出来なかった船は結構多かったらしいもの。
「説明は以上です。お分かり戴けましたか?」
「はい。船長さん、ていねいな説明をありがとうございました。とても分かりやすかったです」
にっこりお礼を言ってから、考える。
これは覚悟を決めないといけない。
「やはりお嬢様には難しかったのでは?」
「いや、理解出来たのだろう。あれは何かを思い付いて考え込んでいる顔だね」
「ほほう。今度は一体どんな発想を見せてくれることか、実に楽しみですな」
「は、はあ……そうなのですか?」
お父様達が何やらゴチャゴチャ言っているけど、私はそれどころじゃない。
私はこれから、とても五歳児が思いつけるようなものじゃない道具について、お父様にどうプレゼンするか、そしてそのことでお父様にどう思われるか、覚悟を決めないといけないんだから。
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