28 船と港の視察 本番 1
すぐに馬車の所まで戻ると、そこにはお父様達と、四十半ば過ぎくらいの貴族とその護衛の騎士達がいた。
「お父様」
エマと手を繋いだまま声をかけて手を振ると、お父様があからさまに安心したように微笑む。
さっきのドボン未遂があるから、そんな顔をされてしまうのも甘んじて受け入れるしかないけど。
「どうだいマリー、港と船は楽しめたかな?」
「はい!」
元気よく答えると、お父様が満足そうに頷く。
それからエマの手を放して、お父様の隣に立つ貴族にカーテーシーをした。
「ごきげんよう、シャット伯爵。ごぶさたしております」
「これはこれはマリエットローズ様、ご無沙汰しております。ご丁寧なご挨拶痛み入ります」
軽い返礼じゃない、心の底から敬意を払っているのが伝わってくるくらい、
紅茶色の髪は艶やかで、ヘイゼルの瞳は穏やかで理知的な色を湛えている。
「いやはや、以前にも増して気品が感じられるようになりましたな。とてもまだ五歳とは思えない。実に将来が楽しみだ。ゼンボルグ公爵領は安泰ですな」
ドボン、しそうになっちゃったけどね。
謙遜するのも子供らしくないし、そんなの可愛げもないと思うから、嬉しそうににっこりと微笑んでおく。
私にはいつもそんな愛嬌のある顔と穏やかな眼差しを向けてくれるけど、お父様と政治向きの話をするときは眼光が鋭くなって、ガラッとイメージが変わるやり手貴族だ。
六十年前、ゼンボルグ王国がオルレアーナ王国に敗北を喫したとき、まだ先々代のシャット伯爵がこの地を治めていた。
だから、現シャット伯爵は当時を知らないわけだけど、先々代、先代から色々と聞かされてきたのか、言葉の端々や表情から、お父様に対する態度は王族に対する態度よりも丁寧で恭しく、尊崇の念を抱いているんじゃないかって思うくらい、家臣としての振る舞いが洗練されている。
それは当然のように私に対しても同じで、まるで本当に王女に対する態度みたいだ。
こういうところを見るといつも、ゼンボルグ公爵領の大多数の貴族が同じように、未だにゼンボルグ公爵家を王族として頂いているんだろうなって思う。
そして王国の中央は、そんなゼンボルグ公爵派の貴族達の未だ衰えないゼンボルグ王家への忠誠心と結束力を内心では恐れていて、力を持たせたくない、削いでいきたいと考えているんだと思う。
でなければ、公爵令嬢マリエットローズを王室に取り込んで、ゼンボルグ公爵派の貴族達を臣従させる方が得策のはずだし。
でもそうしたら、ゼンボルグ公爵派の貴族達の忠誠心は王妃マリエットローズ個人に向いて、国王にも他の王族にも向かず、政治が乱れる原因になる。
だから、王室はマリエットローズを王太子レオナードの婚約者候補にすら挙げたくない。
きっと、ゼンボルグ公爵派の貴族達もそれを肌で感じているんだと思う。
だから、王国を乗っ取る陰謀を企てて、マリエットローズを婚約者に仕立て上げようとしたんじゃないかな。
そんな風に色々と想像してしまうくらい、シャット伯爵の態度は、徹底的に臣下のそれだった。
そんなシャット伯爵だからこそ、お父様は『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』の全貌と狙いを伝えて、私がその発案者だと言うことまで明かしている。
おかげで、私に対する態度が一層恭しくなっているのよね。
もう、五歳に対する態度じゃないから、本当に。
「これより港湾施設を拡張している工事現場と建設が終わった大型ドッグの視察に、公爵閣下をご案内する予定ですが、マリエットローズ様もご同道されますか?」
ほら、丁寧に私にもどうするかを聞いてくる。
子供なんだから一緒に付いてくるだろうとか、途中で飽きて大人しくしていないだろうから、視察の間、町でも港でも船でも好きなだけ見て回っていてどうぞとか、私を軽く見る向きがない。
「はい、ごいっしょさせていただきます」
もちろん計画の進捗状況は気になるから、見たいに決まっている。
だからそう答えた私に、シャット伯爵はさすがとばかりに頷いた。
「ですが、その前に」
一拍溜めてから、さっきの孤児の子供達の方へ目線を向けた。
「さきほど、こじの子供たちと出会いました。まだ幼いせいで、仕事がもらえずに、こんきゅうしていたようです」
「それは……」
シャット伯爵が焦ったように難しい顔になる。
「マリー」
お父様が、お前が口を出すべきではない、と言わんばかりに私の言葉を遮る。
統治に問題あり。
だから孤児が困窮している。
そう私が指摘したことになるから。
「シャット伯爵も、お父様も、ごかいなさらないで下さい」
シャット伯爵には申し訳ないけど、それでも話を続けさせて貰う。
別にシャット伯爵を糾弾する意図は欠片もないから。
「あのような子供たちを、じぎょうとして教育し、やとえませんか?」
「マリー?」
「マリエットローズ様、それはどういうことでしょうか?」
私の後ろで、エマが戸惑って、アラベルが狼狽えている気配がするけど、そっちは今は気にせず、話を続ける。
「計画では、船員のぞういんがふかけつです。それも、これまでの比ではなくらいおおぜいです。例の物がかんせいしてから船員をぼしゅうしているようでは遅いですし、どんな者が集まってくるかも分かりません。下手な者をやとい、きみつがろうえいしては目も当てられませんから」
「ふむ、つまりマリーは今からゼンボルグ公爵家に忠誠を誓うよう教育し、信頼が置ける者達を選別して、優秀な船員を確保しておこうと言うわけだね?」
「そのとおりです。船上での白兵戦もできるようになれば、なおいいです」
貴族はただでは動かない。
たとえそれで慈悲をかけるにしても、慈善事業をするにしても、必ずなんらかの形で利があることしかしない。
世が世なら国王だったはずの公爵であるお父様が、私の父親としてどれだけ優しくても、それが他者にまで同様に優しいと思うのは大きな間違いだ。
だから、相応の利を示さないと、きっとお父様は動いてくれない。
これは良い悪いの話じゃない、それが貴族の生き方だから。
「なるほど、そういうことでしたか」
「ごかいをまねく言い方をしてしまい、もうしわけありません」
「いえ、とんでもございません。頭をお上げ下さい」
シャット伯爵が慌てて止めるから、素直に頭を上げる。
上の者が臣下に軽々しく頭を下げるのは良くない、と言う理屈は分かるけど。
妙な勘ぐりや遺恨を残すのは、計画の遂行上、良くないからね。
「いやはや、周到な方だ。五歳とは思えないその発想力。本当に感服致します」
心底感心したって顔のシャット伯爵に、お父様がこれでもかって自慢げに微笑む。
本当に親バカよね、お父様は。
「ではマリー、その件については後ほど改めて検討するとしよう。今は視察がある。それでいいね?」
「はい、お父様」
忙しいお父様のスケジュールを変更するわけにはいかないしね。
この位置からは見えないけど、ジャン達に頑張れって心の中で声援を送って、お父様に抱っこされて馬車に乗せて貰った。
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