第十五話 西部戦線異誕アリ case32

 荒れ放題になった林道の中では現場検証が着々と進められていた。

 鑑識員たちに交じって不破と波多野管理官が分室のスタッフ、そして捜査本部のメンバー達とともに現場検証に立ち会っている。

 翠と白翅は防火マントに身を包んで、体を寄せ合っていた。もう六月だというのに、痛みのせいか、露出した肌がひどくが粟立った。


 椿姫達と連絡を取った後、不破が捜査本部の応援を連れて林道に突入してきた。


 椿姫達や、小夜香、叶はまだ邸内での検証に立ち会っているらしく、ここにはいない。


『羅と焦はなんとかしょっぴけたよ。ほっといても死刑だろうが捕まえないわけにはいかん。とりあえず情報だけは引き出せそうだ』

 とのことだ。


 そうして、二人を他人の視線から隠すように防火マントをかけてくれた。非常用に積んであったものらしい。


「……痛くない?翠」

「え?うん。大丈夫だよ。白翅さんの方が、平気?」

「わたしは……うん」

「そっか」


 大丈夫であるわけが無かった。それでも、翠は強がっていたかった。たくさんの厄介ごとが頭の中で渦を巻いていて、何から手を付けたらいいかわからない気分だった。

 次の言葉をなんとか探し出そうとする。何か言わなければ。


「……これはなんでしょう」


 その声に顔を上げると、波多野管理官が白い手袋を嵌めた手で、何かを掴みだしていた。翠達が敵を倒した場所。

 クリストファーの空っぽになった服だけが残されていた。傷だらけのクリーム色の背広。その内側のポケットから、取り出したらしい。

 それはカーキ色をした、折り畳み式の携帯電話だった。









「……ふうん。ダメだね。死んだみたい」


 明かりを落とした部屋の中で、高く澄んだ声が響き渡る。

 その声には、声の質とは裏腹に嘲りと軽い失望が込められていた。

 声の主は、手にした小型のタブレットを操作し、画面の光を消す。

 両耳にはめておいたイヤホンを引き抜き、背中を金のかかった柔らかな座椅子にもたせかける。小柄な体が沈み込んだ。


「結構いいところまで粘ったほうみたいだけど……もういいか。いいだろ?」


 一通りの家具が揃ったセーフハウスの中には彼女と……そしてもう一人。

 今はその全てが完全な闇の中に沈んでいた。


「いつもみたいにあいつらのことは、モニターできないからなあ。ああ、面倒だった」


足元のダッフルバックに視線を落とす。藍色の髪が、さらっと音を立てた。

二十種類以上の連絡用プリペイド携帯がその中には収納されている。まだ補充は必要ないだろう。こういう秘密の連絡には念を入れるに越したことはない。依頼人である自分達の追跡を困難にさせるために、定期的に連絡する端末を廃棄して、別の物に変えていた。


 ハサンとクリストファーの連絡用電話には、渡す前に小型の盗聴器を内部に仕込んでおいた。だから、通話はもちろん、その周囲の音もかなりの範囲拾うことができる。

向こうの様子は筒抜けだった。

 ハサンに渡した一個目の電話はいわばブラフだった。用心深い者が調べようとしたときのための。それにだけは盗聴器も何も仕込まなかった。

 もし二個目の携帯電話が調べられたら、その時点で依頼を打ち切って殺すつもりだった。思い通りに動かない殺し屋なんて必要なかった。傭兵も殺し屋も、ただ依頼を完遂し、報酬を受取って殺すことだけ考えていればいい。

 そんな生き物たちで構成されている社会のことを、彼女たちはよく知っていた。

 それもできない生き物はただの出来損ないだ。





「準備は整えてある。時間との勝負になるが……隙を突くには充分だろう」


 部屋の奥に立つ人影が短く答えた。低い声はけして大きくはない。しかし、それは闇の中でも大きな存在感を放っていた。


「信号を傍受される心配もない。記録を調べられても面倒だ」

「じゃあ、そうするか。いっせーので」


 そして二人は同時に、折り畳み式の携帯電話を取り出した。そして競い合うように特定の番号を入力する。


「さよなら。役に立ったよ」











「………………!」

「どうし、」


 うずくまるようにして座っていた白翅が唐突に立ち上がった。驚いた翠は言葉を続けることができなかった。

 更に驚くことが待っていたからだ。

 カーキ色の携帯電話が着信音を鳴らしていた。それはまるで周囲の者達をせかすかのように鳴り続けている。


「どういうことだ……」

「殺し屋に電話をかけてくるやつなんて、一人しかいないでしょう」


 不破が強い口調で続けた。


「逆探知の準備すらしてないんですよ、こっちは!」

「とりあえず出て下さい。通話を引き延ばしましょう。あるいは、殺し屋の仲間のふりをするか」

「相手は何語で喋るんです⁉」

「とりあえず相手に喋らせてください。スピーカーモードにして。私なら、こいつらの文化圏の言葉なら話せます」


 鳴り続ける携帯電話を片手に波多野が落ち着きを失っている。

 その手が通話ボタンを押した。それを耳に押し当てようと手を上に上げていく。


 立ち上がった白翅が拳銃を片手で目にもとまらぬ速さで抜き、波多野の方向に向けた。

 あまりに素早い動作に、気づいた者は翠しかいなかった。

そして翠は、白翅と同じ方向に拳銃を向けた。

 轟音と共に、弾丸がマズルフラッシュと共に飛んでいく。


弾丸が波多野の手から携帯電話を貫き、吹き飛ばした。

 そして宙を回転しながら舞う携帯電話めがけて二発撃ち込んで、更に遠く、高く吹き飛ばす。


「みんな伏せてください!」


 翠はできるだけ大きな声を出し、白翅と突き飛ばしながら伏せる。

 銃声よりももっと大きな音が林道に響き渡った。吹き飛んだ携帯が空中で爆発したのだ。

 燃えた小さな部品が回転しながら、木々の間を飛び、そのいくつかは地面に突き刺さった。


 腰を抜かした波多野管理官が真っ青な顔で膝をついた。そのすぐそばでは捜査員たちの誰よりも先にその場に伏せた不破が、苦々しい表情を浮かべている。


「……やってくれたな」


 翠は安堵のあまり、大きく息を吐いた。ふう、と呼吸を楽にした白翅が片手の拳銃をゆっくりと下げた。




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