第十五話 西部戦線異誕アリ case30

 ハサンにとって、戦場の記憶とは人生そのものだった。身に着けるもの、装備、生活、その全てが戦いと関係のあるものだった。

 ハサンはそのことについては何の後悔も持っていなかった。

 ただ、意外な心持ちだけがあった。すなわち、ここで自分のこれからが無くなってしまうということについての。


 喉が酷くいがらっぽい。肋骨が折れて肺を突き刺している。口から血が噴き出している。全身が熱かった。両手に握っていたはずの剣が無い。一本は折れて、もう一本はどうなった?

 かすんだ視界の向こうに、目元のきつい、すらりとした女の姿が映った。

 ツバキ、という女だった。依頼人からは自分と同じ魔術士だろうと伝えられていた。

 腰から立ち上がろうとしたが、視界が定まらない。後頭部が割れてしまったらしく、びちゃびちゃと血が絨毯に滴り落ちた。

 焦げたような匂いがする。どこからだ?ああ、そうか。

顔のすぐ近くに大鎌が突きつけられた。これは自分の匂いなのだ。


「俺の負けか」

「その通りよ」

「俺はどうなる?」

「とりあえずこのまま拘束するわ。そのあとの処遇はうちの部署が決める。けれど、とりあえず傭兵はもう廃業ね。あんたがそれで報酬をもらうことはできない」

「……」

「一生ムショから出れないってことよ。ご愁傷様」


 反撃のチャンスを伺う。ダメだ。隙が無い。自分が動こうとすれば、鎌を持った少女がいつでも自分の喉笛を掻き切るだろう。それとも、同時に攻撃が来るのか?

 女がぶっきらぼうに言葉を投げかけてくる。乾いた声だった。


「教えてくれるんだったわよね」

「何がだ」

「アンタは、なんでこの国に来たの。よりにもよってこの国で仕事をしようと思ったの?」

「……頼まれたからだ。奇妙な依頼だった」


 答えても答えなくても、結果は同じである事は分かっていた。自分はここで殺されるにしろ、生かされるにしろ、二度と戦えないということだ。


「……お前たちを殺すように依頼された……。上海の連中は隠れ蓑だった……警察を足止めできるし、何より、この国でオカルト関連の事件を解決するにはお前たちだ……だから確実に来ることは分かっていた……」


 女の目が驚きに見開かれた。まじまじと化物の少女がこちらの顔を見つめた。

 自分のまだ力は残されているだろうか。最低限の力が。

 話しながらも、ハサンはそればかり考える。


「それだけ……だ。依頼人はどうやらお前たちを殺したくてたまらんらしい」

「どうしてよ!理由は⁉何者……」

「さあな。どんな恨みがあるのかは知れないが……。俺を雇う以上、どうしても殺したいんだろう。それだけだ。後は分からん。動機については何も聞かされていない。待ち合わせの場所に奴は現れた。そいつは……」


 そして、再び身を起こした。戦闘服の内側に隠し持っていたナイフを取り出す。

 即座に二人は反応した。炎弾が飛び、脇腹に突き刺さる。体が傾いた方向から大鎌の刃が迫り、腹の真ん中に容赦なく食い込んできた。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。それだけのことがわかった。生かされても待っているのは、永久に戦うことも何もできずに死ぬという地獄だけだ。だったらそうなるよりかは。


 ハサンは、取り出したナイフで、自らの喉を掻き切る。目の前の二人が息を呑んだ。

左から切り、震える手で更にもう反対側も切りつける。

噴き出した血で前が見えなくなった。


依頼人の情報だけは漏らさなかった。

万策尽きた以上、ハサンがやれる抵抗はこれくらいだけだった。

と言っても姿すら知らない。ハサンが前の仕事を終えたすぐ近くの国のホテルに、なじみのネットワークを経由して依頼が来た。指定された部屋に行くと、携帯電話が二つ置かれていた。一つは今後の連絡用。

もう一つには内蔵されたメモに指定の時間が記されていた。

そこにボイスチェンジャーを介した声で依頼の説明をされた。補足説明のついたメールごと、その携帯は破棄するように注文を受けた。

その通りにしたが、捨てる前にその携帯電話を調べることは忘れなかった。盗聴器の類はついていなかった。


 脳裏に様々な記憶が、ぐちゃぐちゃな順番で浮かんできた。砂漠の戦場に初めて出た時のこと、ジャングルでの潜入作戦のこと。

不意に両親の姿がぼんやりと浮かんだ。

どこかの森の中。安全を確保した数少ない場所。

焚き火をしながら、自分達は穏やかな時を過ごしている。傭兵としての活動の途中であっても、その時間は確かに穏やかだった。彼らはよく、自分達の過去の戦い話をした。


『……大変な惨状だったそうだ。戦況は確かに絶望的だったはずだ。なのに、それが覆されてしまったんだからな』

『わたしも確かに参加したが…気が付いたら敵の軍閥のトップが殺されて終わっていた。最小限の人数ではなく、できるだけ多く、遭遇した戦闘員を全て殺して終わりにしたのだからな』


 ……何の話だったのだろう。そうだ。アフリカ大陸のとある国での内戦の話。両親のそのまた両親も、アフリカで長年仕事をこなしていた。南北で貧富格差の激しい国だった。歴史的に重要な農地であり、交易路でもあった北側は豊かで、そうでない南側はいつまでも発展しなかった。

 けれど、南側はある日、多少開発が進んだ段階で、油田を見つける。それを北が奪い取ろうと軍事侵攻を行い、内戦が始まった。


 少しずつ始まった内戦は突然終わったのだという。

北の元首が側近たちも含めて皆殺しにされたのだ。軍の重要人物や、英雄的な人物も次々に殺され、内戦は半年で決着がついた。

戦闘が膠着状態になっていたというのに、何者かが重要拠点に潜入して、全てを終わらせた。両親たちは南側についていた。そして、制圧された官邸に踏み込み、その惨状を目の当たりにした。


『風の噂によると、凄腕の殺し屋が雇われたということだったらしい。もう確かめようがないが。雇い主は、南側の元首だとも、南側と協定を結んだ他国だとも言われていた。拠点はひどい有様だった。誰も彼もが……手当たり次第に殺したのだろう……四肢を裂かれ、急所を突かれ……我々でも、あの殺しを真似することなどできはしない……』


 敵として現れたならば、逃げるしかない。そんな存在なのだ、という。何人がかりでやったのか、と誰もが恐れていた。しかし、両親には確信があった。大勢の犠牲者たちは全て同じ人間によって殺されたのだと。あの手口は、複数のグループがそっくりそのまま再現できるものではない。そう断言していた。

 父の発言に気になるところがあった。それは、果たして本当にそいつは人間なのかということだった。


『人間だ。魔力の気配も感じない。ましてや、人外などではない。まぎれもなく、人間の、殺し屋だ』


 ハサンはぼんやりと思う。これは走馬灯だ。こんな時に何故思い出したのが、この記憶なのだろう。


『しかし、怖いもんだね。今どきの警察は殺し屋みたいなのを使う。特に、あの後から来た白人みたいな女。顔がじゃなくて、肌の色がな。あいつ何者だよ』


 誰の声だ。記憶を辿る。ああ、今回の相棒か。クリストファーとかいう人外。嫌な奴だった。


『ああ、そいつね。さあ?そんなやつもいるんじゃない?あんた達みたいな化物がいるんだから。無駄に丈夫な人間くらいいるでしょ。なに、気になるの?ほしいの?』


 通話口からボイスチェンジャーを介した依頼人の声だ。


 まさか、な。あれはいくら強くてもただの小娘だ。活動時期が合わない。

しかも、どう考えても自分より長生きしていない。……そして、ただの人間。

 しかし、予想が当たっていれば。

 もうクリストファーは生きてはいないだろう。


 意識が闇に沈んでいく。目の前の暗闇が更に濃くなった。

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