第十五話 西部戦線異誕アリ case29
「形勢逆転だな!いや!初めから俺が負けそうになったことなんてないもんなあ!おっと止まれよ⁉︎」
思わず脚を踏み出そうとする翠を片手を前に出してクリストファー勝ち誇った笑みを浮かべながら制止する。
クリーム色の背広が肩から斜めに切り裂かれ、血が今も流れ落ちている。しかし、苦痛を高揚感が上回っているのか、余裕な態度を崩さない。
「さあ、銃を捨てろ!早く!」
「く……」
倒れる白翅に視線を向ける。白翅の頬から流れる血が、草地を濡らしていた。
白翅がかすかに首を横に振る。次の瞬間、白翅のへこんだ腹部に、強烈な踵落としが突き刺さった。
「なにアイコンタクトしてんだよっと!」
「ぐうううッ!」
「やめて!やめろ!」
「お前が俺にしたことだろ?さっき蹴ってくれたじゃないか?きっちり仕返ししたいんだよ。お前以外でな。こいつは代わりにダメージを受けたんだ。よし……んじゃ、次はストリップだ」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
クリストファーが足元の白翅に視線を落とす。小さく舌打ちが聞こえた。
「服を脱げよ。ここで全部。下着もな。そんでさ、こいつが見てる前で犯してやる。何回もな。このお友達にも見てもらえよ。お前が一番色気のあるところをさあ」
クリストファーが歯をむき出して笑った。翠はこれ以上醜悪な笑顔を見たことが無かった。
「ふざけないで……!」
「そういきり立つな。気の短さは残りの人生の短さだ」
靴の裏に力をこめたクリストファーが余裕を取り戻しながら、翠の顔を見つめた。目がぎらぎらと欲望に滾っている。
「それに俺は大真面目だよ。お前、混血なんだろ?俺さあ一回同類を犯してみたかったんだよ。混血でも、お前くらいのレベルなら純血みたいなもんだ。
いや、ヤッたことはあるけどな?でも
ぞわっと背筋に気持ちの悪い感触が走った。
目の前の男が、自分を犯そうとしている。
自らの欲望を発散するためだけに。不意に、翠は服が破れた時に、殺し屋が見せた目つきを思い出した。
その時に下着に注がれた視線が持つ恐ろしい意味を、翠は確信した。
「見た目はちょっとガキくさいけどさあ、まあほどほどに育ってるみたいだし、大目に見ようってことにしたのよ。依頼人はお前のことはどうでもいいってさ。ペットにするなりなんなりご自由にってさ!おっとこいつは言っちゃいけないことなんだったな!」
「……逃げ切れるわけがない」
「おいおいおい。俺の心配してくれてんのか?お前とこの人間を人質にして逃げるだけだ。確かにちょっとはしんどいがな。ま、お前を犯してるうちに元気になるだろ。そうそう、
クリストファーがさも愉快そうに笑いだした。依頼人?いったい何が目的で?いや、それよりもどうすればこの状況を乗り切れる?私に子供を産ませる?
「ほおら、脱げ。それとも脱がしてほしいのか?」
「翠、だめ……絶対だめ!」
白翅が憔悴しきった顔で叫ぶ。いつもの無表情がそこには無かった。
翠は自分の姿を改めて認識する。穴の開いた戦闘服のところどころから見えている肌着に下着。むき出しになった白い肩。滴り落ちる血液。
人質になっている白翅が心配で、銃は下ろしたままだ。
「お前は喋るなよ。興味ないんだから!」
「いっ……!!あああああああッ!」
「やめてえ!」
溶解液が白翅の腹部の同じ個所に何滴もボタボタと垂らされた。白翅がついに、痛みをこらえられずに叫ぶ。
翠の中で怒りが煮え滾る。悔しさで涙が零れた。痛みに叫ぶ白翅と目が合った。
紫色の瞳が涙に濡れていた。
滅多に涙を見せない白翅の涙に含まれた苦痛が、翠の胸に突き刺さる。
どうしよう、どうしたら。どうしたら……
不意に翠の中に違和感が生じた。
クリストファーはさっき白翅をいたぶった時、溶解液を使った。脚で最初は踏みつけたのに。
翠は今の敵の姿を睨みつける。
クリストファーはいつの間にか、白翅が痛みに怯んだ隙に脚を入れ替え、白翅の腹を左足で踏んで抑えていた。
(あいつはどうして、右足を使わないの……)
白翅を踏みつけた後、舌打ちするクリストファーの顔が頭に浮かんだ。
翠は思い出す。あることを。
大江クリーニングでの戦闘の際、自分は相手の攻撃を食らいながらも弾丸を撃ち込んだ。それが、殺し屋の右足を削ったこと。
PB加工弾は化物の治癒を遅らせる。
やつの負傷は完全には治っていないのだ。
白翅はそのことに気づいているだろうか?気づいていないのかも知れない。そう、今は。
翠は異誕生物の治癒の速さを知らない。そして、PB加工弾がどの程度治癒を阻害するのかも。
白翅は、自分達の武器で傷ついた味方を見たことがないからだ。彼女は異誕ではないからだ。翠は悟る。
どうあがいても、自分一人では勝てないことを。
それならば……
「わかった……」
翠はうなだれる。もう打つ手を無くし、諦めきっているかのように見せかけるために。
「脱ぐ、から、白翅さんに何もしないで……」
声が震える。演技ではない。この瞬間に敵が白翅の身体に溶解液をうっかりでも垂らしたら自分を抑える自信が無い。
自分の気持ちを必死に制御した。気持ち悪いほど動悸が激しくなる。胃がひっくり返りそうな激しい吐き気が襲ってくる。
「お前にお願いする権利なんてないんだが……まあ、いいだろ。おっと早着替えするのだけは勘弁しろよな。ストリップにならないだろ?ゆっくり脱ぐんだ。お前の服の下をもっとしっかり見せてくれ。さあ、愛しのスイちゃんよ。お友達にも見せてやりなよ。自分が
両手の拳銃を地面に静かに落とす。軍用ナイフを、ホルスターから抜いて、足元に放った。
それらをまとめて爪先で蹴った。
そして、破れかかった戦闘服の襟元に指をかけた。少しずつ、内側から破くようにして前を開いていく。白い胸元が、ブルーの可憐なブラジャーと、その下のささやかだが形の良い膨らみが、外気に晒されていく。
白翅の顔が悲壮に引き攣る。翠はかすかにうなずきながら、目で合図を送る。
そして、急に怖気づいたかのように手を止めて見せる。
「や、やっぱり、上は、嫌だ……」
「ああ?なんだよ今さら。俺は命令してるんだ!脱げ!」
「下なら、下から脱ぐ、だから……」
「へえ。へえ。下から犯して欲しいわけだ。なら、そっから頂くとするかな」
上手くいくどうかわからない。余裕が無いのは、けっして演技では無かった。
声が掠れてきた。恥辱と不安のあまり、目の奥から涙が零れ落ちる。
相手が自分を、性欲を満たすためだけの物体として扱おうとしている。その悪意で身も心も汚されそうだった。
クリストファーが犬歯を剥き出して笑みを浮かべる。
そして翠は黒い戦闘服のズボンの右足の踵を上げて、ブーツを脱いだ。
そして、右足の膝を軽く何度か擦った。
白翅の目に小さく光が灯るのを、たしかに翠の翡翠色の瞳が捉えていた。
白翅は、宿泊先のホテルで翠の書いた報告書を何度も読んでいた。敵の攻略方法を見つけるために。この状況で、内容を思い出してくれるだろうか。
翠はゆっくりとガンベルトを外し、意を決したように、ズボンを下ろし始めた。
ブルーの小さな下着がゆっくりと露になり始め、相手の視線がそこに、そしてのその奥を見通そうとするかのように釘付けになる。
敵が最も興味がある場所。自分の子孫を植え付け、少女を孕ませるために必要不可欠な場所がそこには隠されている。
「いいぜ、そのまま……!!!!!!!!!!ああああああああああああああああああああああああ!」
次の瞬間、クリストファーが絶叫した。
ば、っとズボンを貫通した穴から血が噴き出し、小便でも漏らしたかのように足元の草を汚していた。
白翅の細い指が、クリストファーの右脚の膝を貫いていた。
クリストファーが小さく舌打ちをした理由は、戦闘の際に無茶な動きを繰り返した際に傷口が開いたからだ。
白翅が傷口の場所を正確に攻撃できたのはそのためだ。溶解液の匂いが立ち込めていても、肉体の過剰な活性化による五感の強化によって、白翅は血の匂いを嗅ぎ分けていたのだ。
翠の右脚をさする動きに気づいて、嗅覚を最大限に活かして、負傷箇所の見当をつけた。
そして、敵の視線が翠に釘付けになった瞬間を狙って攻撃を放った。そして、その一撃は完全に殺し屋の不意を突いていた。
「て、、め」
白翅が背中に反動を付けて、渾身の力で起き上がった。
クリストファーの
白翅が大きく息を吸い込む。そして。
大きくクリストファーの身体が動いた。相手の右脚を掴んだまま、自分よりも上背のある身体を片手で地面に、木に、無茶苦茶に振り回しながら叩きつけていく。
鈍い音がそこらじゅうで響き渡り、短い叫び声が後に続いた。
白翅は走り出しながら、太い木の幹に敵の身体を容赦なく叩きつけ、反動で跳ねあがった体を振り回して、さらに後ろの木に叩きつけた。そのままさらにすぐ隣の木の太い枝に顔面を叩きつける。枝がクリストファーの右の眼球を貫通した。獣のような唸り声が林道中に響き渡る。翠は強い既視感を覚えた。白翅の動きは何かに似ている。
そうだ、あの時。怜理さんが殺された夜。
ミミ、という四つ目の化物が白翅を手ひどく痛めつけた攻撃と。その動きは殆ど同じだった。
木片と、折れた枝が、突風を受けたように舞った。頭に何度も衝撃を受け、右目を潰されたクリストファーは、あまりの痛みに狙いを付けることすらできていない。
けれど、翠は違った。白翅が反撃してくれることは予期できなかったことではない。
自分のサインに気づいてくれることも信じていた。彼女がクリストファーの負傷箇所を報告書を読んで知っていたことも。
そして、翠は動く的を撃つことが大の得意だった。
さっき蹴りつけた銃に、乱れた服のまま、なりふり構わず飛びついていく。
拳銃を抱えるようにしてキャッチ。
動く視界の中、照星に目線を合わせた。一気に引金を絞る。
高速で動くクリストファーの身体をPB加工弾が貫いていく。銃創から血が撒き散らされた。
弾倉が空になり、排出される。ついに体力に限界を迎えた白翅が勢いをつけて、木立の向こうにその体を叩きつけるように放り投げた。
翠はその瞬間、大きく動き、宙を移動する。そして、次々に幹を蹴りながら強引に自分の身体の進行方向を変え、加速し、林の中を突き進んだ。
そして、最後にダンッと太い幹を蹴り、空中で横向きに体を回転させる。その勢いを利用して、吹き飛んだクリストファーを追い抜いた。
身体を捻り、両脚のバネを最大限に活用して、その背後に向かって飛び出していく。
血に濡れて、引き裂かれ、汚れたクリーム色の背広が目の前の視界に飛び込んでくる。
「や、め……ろ…おあああああ!」
跳躍して、背中を渾身の力で軍用ナイフを突き刺す。
大きく手首を捻って傷口を引き裂いた。そのまま首の後ろを切り裂き、傷口を抜き身で捻って抉る。相手の肩越しに右手を動かし、胸を切り裂きながら、最後に肺を貫いた。
仕上げに、後ろから膝で相手の股間を思いっきり蹴り上げる。
さらに大きく跳躍すると、飛び上がりながらナイフを振り下ろした。鳩尾を貫かれたクリストファーが、地面に叩きつけられ、大きく痙攣した。
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