第十五話 西部戦線異誕アリ case26

 林道の中を、二つの人影が静かに駆け抜けた。ただ対決するべき敵を見つけるために、翠は闇の中に視線を走らせる。ほとんど無音に近い奥深い林の中には、翠と白翅の極限まで殺した息遣いだけが響いていた。


生い茂る草を掻き分け、林道を中ほどまで進んだところで、翠は不意に顔を上げる。

踏みしめる土の上にも、木の陰にも、姿が見当たらない。であれば……


 周囲をうかがいながら、翠は、白翅と視線を合わせた。白翅の紫色の瞳に、同意の色が宿った。同時に頷くと背中合わせになり、銃口を向けながら木々の上に狙いを付けていく。なるべく死角を減らしておきたい。そう考えての陣形だった。

 再び進み始める。なるべく早く、敵を逃さぬように。


「あ……!」


 そびえ立つ背の高い木々。そのうちの一つに標的の姿を見つける。太い木の枝に両脚をかけた、帽子をかぶった人影。

こちらの姿に気づいたのか、右手をさっと背広の内ポケットから出す。

 以前敵対した時と同じ服装だ。こちらを見下ろすその顔に、獰猛な笑みが浮かんだ。両手をさっと前に倒し、翠達に向かって身を投げた。空中で向きを変え、助走を付けながら向かってくる。


「オイオイオイおい!なんて格好だよ!」


 クリストファー・ペンディーン。不破いわく、最低品質の殺し屋。

 中欧や、東欧が酷く荒れていた時期から存在が確認されている闇社会のフリーランサー。あちこちの組織に雇われ、専属になったことはない。

仕事をこなすスピードは、並みのフリーランサーを軽く上回る。

だからこそ、多くの顧客を獲得できていた。逆に言えば、そうでなければ誰も彼に依頼などしないという。

クリストファーは暗殺の際、手段を選ばない。


標的以外にも、近くにいただけの赤の他人をも巻き込み、多数の死者を出す。

 彼のやり方にクレームをつけた依頼人は見せしめのために殺された。

関わった全ての人間から彼は恐れられていた。ヨーロッパでは指名手配されており、懸賞金すらもかかっている。


 クリストファーの経歴が異常なのはそれだけではない。

第二次世界大戦以前、別の名前で活躍していた殺し屋と、彼は全く同じ顔を持っていた。親子にしても似すぎていたし、同一人物にしては年月のわりに見た目が変化していなさすぎた。

 しかし、一部の者だけがその原因に気づいていた。彼が人でないことに。

その一部の者達に最近、日本警察庁が加わった。


「なんて恰好なんだ!がっかりさせてくれるなよ!


 翠達が応戦する。素早い身のこなしでそれを避けた。


「あなたの気分なんて知らない!」

「つれないじゃないか!俺の気分まで台無しにされちゃあ、手加減してやれなくなるだろう?ええ⁉」


 翠の頬の近くを溶解液の飛沫が通り抜けた。思わず体をひねった翠の足元を狙うようラグビーボール状の攻撃が何発も迫る。横に跳びながら、翠は拳銃の引金を立て続けに引く。クリストファーが木々の陰に身を隠し、弾丸から身を守った。そして木の右側まで顔がはみ出す寸前まで走り、翠が銃口を向けた瞬間、いきなり後ろ向きに走って追撃をかわした。


そして溶解液を放ちながら、木の表面を駆け上がった。白翅の援護射撃を避けながら、木々の葉を蹴るようにして高速移動。

球状の溶解液を放ちながら、斜めに飛び降りた。


「危ない……」


 間一髪、白翅が翠の横からぶつかり、地面に転がった。

散らばった落葉がガサガサと音を立てる。その音が激しい銃声でかき消された。白翅が銃身を動かしながら制圧射撃を放ち、クリストファーを妨害する。溶解液の弾が立て続けに放たれた。翠の制圧射撃が加わり、弾幕が敵の攻撃を空中で粉砕し、蒸発寸前の飛沫へと変えていく。

 木々の表面を蹴り、敵が身を隠す。

 再び姿が見えなくなる。


「ボーナスがこれでパアだ!どうしてくれる?大人の仕事の愉しみを奪うもんじゃない」


 どこからか、声が聞こえてくる。声があちこちに反響していて、場所が特定できない。また木々の上に移動したのだろうか。


「ボーナス?」


 どういうこと?報酬は星未幇から出るんじゃないの?


「投降しなさい!あなたに依頼料を払う依頼人はもういない!悪あがきはもうやめて!」

「依頼人?ああ、焦のことか?あんな小粒はもういい!」


 ますます疑問が募っていく。なにかの事実が嚙み合わず、気味の悪い違和感が芽生えた。


「悪あがき?違うさ、これからだろ?ボーナスじゃない、ホンモノの報酬を受取ってないだろって言ってるんだ!」


 精一杯叫ぶ翠に、さらに不可解な言葉が返ってきた。翠は耳に神経を集中させる。声がさっきよりも少し近づいてきている。


「まだ、気づかないのか?」


 翠の背後を気にしていた白翅が弾幕を張った。横に跳び退った影が、木々を蹴りながら近づいてくる。影が飛び込んだ木めがけて詰め替えた弾丸を三点バーストで放つ。

 木の陰から何かが勢いよく飛び出してくる。パナマ帽の先端。大急ぎで引金を引いた。


「‼」


 撃たれて穴だらけになったソレが宙へ舞い上がる。それは投げつけられたパナマ帽だった。

 全力疾走するクリストファーの影が、不規則な動きで近づいてくる。


「俺の狙いは初めからお前たちだ。中国人どもの依頼はオマケだよ。殺し屋はそんな生き物さ。金を積まれたら、誰の依頼でも受ける。気前のいい奴のものも。小粒の寄せ集めのチンピラ共のものも」


 翠の頭の中で、感じ始めていた疑問が明確な形を取り始めた。

 不破から聞かされていた、立場の違う二人組の殺し屋がなぜ、縁の無かった日本にやってきたのか。


そもそも、なぜ急に都合よく上海の犯罪組織がこの二人を雇うことができたのか。この二人がいなければ、組織はすぐに潰せていただろう。


用心棒の羅だけでは到底守り切れない。

いくら日本で幅を利かせている海野会を相手にするとはいえ、雇われた人員の戦力があまりにも高すぎる。

そもそも、欧州で活躍するクリストファーと、アフガニスタン侵攻時代からアジア圏で活躍するハサンが日本での事件で組むのは奇妙だ。

警察とそのつてを辿った調査でも、二人が同時に確認されたことは無かった。

それに、二人の殺し屋の活動地域に明るくない上海の人間が、どうやってコネを作ったのか。


「本当の依頼人が、あなた達を私達特務分室が戦うように、仕向けた……?」

「気づくのが遅いよ。俺たちが本当に誘き出したかったのは、バカなヤクザどもじゃない。どちらも潰したいと思ってるお前たちの方さ。怪物モンストルに関係する事件に首を突っ込む警察の手下共を殺せば大金が入る。半金ももうもらっちまった。つまり、そういうことだよ。上海の連中は、今回とその後にちょっとした金ヅルになってくれるかと思ってたんだけどな。諦めるしかないな」


 三人はそれぞれ木陰に潜んで相手の出方を伺う。


「追って来な!化け物退治するんだろ⁉︎混血半端者のおちびちゃんが純血大先輩を倒そうってんだろ⁉︎勝負しようぜ!」

「ああああッ!」

「……!」


 銃撃で応戦する。相手は攻撃を放ちながら、右手をかざす。

突進する勢いに任せて、太い木の幹の表面をちぎりとった。

 そこは、クリストファーが翠達と戦いながら、溶解液を浴びせた場所だった。


木の皮が爛れてもろくなっていたのだ。

それをかざしながら、翠達の銃弾を防ぐ。

連射に千切れた木の盾が真ん中から二つに千切れる。


それを投げつけながら、銃弾を伏せてかわし、両手から溶解液を正確に放った。

翠が木の陰から弾丸を浴びせる。

マズルフラッシュ。溶解液を浴びた木の胴を腕で貫き、その木を盾にしながら、突き出した手の先から連続で翠の隠れる木を攻撃する。

近くで木が焼けこげる音と、飛び散った飛沫が戦闘服にわずかにかかり、焦げ臭いと共に、穴が開いた。


十時方向の茂みにしゃがんでいた白翅が弾幕を張った。

クリストファーと、彼が腕を突っ込んでいる木をまとめて狙い撃っている。

 強力な弾丸に引き裂かれた木が、破片をまき散らしながら、真ん中でちぎれ、クリストファーへと倒れた。バク転しながら、その下をくぐり、クリストファーが後ろ向きに飛ぶ。


 二人が距離を詰めると、相手も距離を詰めてきた。両手をクリストファーが翼を広げるように動かし、弾幕となった溶解液が襲い来る。

 翠が転がってかわした隙に、クリストファーが白翅のX95を避けながら斜めに転がり逆立ちのような体勢で攻撃を放った。

攻撃が脇腹に向かって飛ぶ。足踏みしながら銃弾を放つと、クリストファーが斜めに動いた。それを妨害するように白翅が拳銃を片手で撃ちながら、近づいていく。再び木の幹をちぎり、盾を作った殺し屋が両手で応戦する。溶解液の飛沫が、白翅の顔めがけて大量に放たれた。

翠は叫びそうになる。


「しらっ……」

「くっ……」


 硬い音が翠の耳を打つ。

 白翅は左手の銃剣を顔の前にかざして抜き身で飛沫を防いでいた。

それは飛び散る攻撃の中で、白翅の顔に最も最初に到達した飛沫だった。

続く攻撃を浴びる前に、信じられないような俊敏な動きでかわし、相手の狙いをブレさせている。飛沫の破片が戦闘服に当たっても、 直接肌を全く傷つけさせていない。黒い戦闘服のあちこちに小さな穴が開き、黒の生地の中に白い肌が現れた。


「クソ、お前には興味ないっていうのに」


 憎々しげな唸り声。そして焦れたように、翠を睨みつける。その視線が、さっき破れた戦闘服の脇腹、その下のブルーの下着に注がれている。

敵が大きく動き、翠に飛び掛かった。無茶苦茶な動き。

二人が同時にその動きを追う。銃弾が放たれる。白翅が息を呑む。

いつの間にか、翠と白翅の直線距離の間に、クリストファーが割り込む形になった。

今撃てば翠に当たるかもしれない。敵は二人の動きに合わせて、動きを調節し、身構えていた。


 にがく、くるしい気持ち胸にせり上がり、翠は両手のSIG226を撃ちながら、大きく動き続けた。接近してくるクリストファーが笑う。

白翅が慌てたように後ろに下がり、翠ごと撃たないように懸命に狙いを定めている。クリストファーの背中を狙った攻撃が、激しい動きのせいで外れ、翠が移動しようとした場所に当たる。


 翠はステップを踏むと、弾倉を交換し、フルオートであえて見当違いの方向を狙った。クリストファーにも、白翅にも当たらない場所。

 一瞬、敵がそちらを目で追った隙を見逃さず、翠は木々を蹴って距離を取りながら反撃を再開する。

その隙に、白翅が大きく飛びあがり、大きな木のてっぺんにまで到達した。そして、高さの違う木々の上を、まるでハヤブサのような動きで飛び回り、翠が蹴った木々の上に到達した。再び二人が横に並んだのだ。

 三丁の拳銃が同時に弾丸を放ち、クリストファーに襲い掛かった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る