第十一話 在りし日の花 case5

 人間という生き物は薄っぺらく貧弱で、礼節をわきまえない上に、自己顕示欲が強い連中の集まりだ。

 リサ・ブランは、二百年ほど前から、常々そう思っていた。

 かつてはスイスやその近辺の国々を転々としていたが、「あること」をきっかけに住み慣れた土地を離れ、ついには極東の島国であるこの国に来なければならなくなった。


「ある事」とは彼女にとっては大きな悲劇であり、また彼女の父親であるキースにとっては、悲劇という名の劇に例えることすら不謹慎というレベルのものだった。


 を倒すことを生業なりわいにしている者達が、同志を募って自分たちのねぐらへと不意打ちをしかけて来たのだ。断じて許すべきではなかった。

 しかし、全てを撃退することはできず、相手は撤退した。そして、彼女自身は母を殺された上、自分達がアジトにしていた場所の情報が凶悪犯罪の現場としてインターネット上にばらまかれ、迂闊に戻ることができなくなってしまった。


  そのせいで、やむを得ず住み慣れた故郷を捨て、慣れない土地に密入国を繰り返さなくてはならなくなった。

 業者にはしっかりと金を払った。屈辱だった。脅すだけでは秘密裏に遠い土地に行けないということが。その上、自分たちは新たな住処を見つけなくてはならない。それにも金がかかる。ここまでの理不尽があるだろうか。


 さっきまで使っていた拠点から、しばらく歩いた後、横浜市内の俗化した区域に足を踏み入れる。近くには百貨店やガラス張りのオフィスビルが立ち並び、人が忙しなく行きかっていた。この国の冬は天気がいいらしい。リサはどちらかと言えば、曇天の方が好みだ。

 

 これから向かうべき場所を、リサは決めあぐねていた。。  

 背が高すぎるビルは、がかかりそうだし、現地人が「マンション」とか呼んでいる集合住宅もなんとなく狭苦しそうだ。これからやることには、リラックスした心持ちが必要だった。


(あそこがいいかしら?)


 商業施設と、結婚式場が立ち並ぶ区画に、瀟洒な外見の建物が堂々と立っている。

 玄関だけガラス張りの入口を抜け、短い段差を昇ると、そこは広い吹き抜けのホールになっていた。


 白亜をふんだんに使ったこの屋敷に似た建物は、自分たちの故郷でも見たことがあった。けれど、ここは無理してそれに合わせているかのような不自然さがあった。


 このヨコハマという町自体もなんとなくアンバランスな雰囲気がある。ここを拠点にするにしろ、しばらく暮らすにしろ、慣れるまで時間がかかりそうだ。


 気に食わない。自分たちに合わせなければならないのはの方なのに。思わずいらただしげに、自慢の髪を指先でいじってしまう。

 いけないいけない。悪い癖が出た。これも空腹のせいか。まったく貧乏くさい国にいると、こっちまで卑しい気分になってしまう。せめて気持ちだけでも豊かにならないと。

 それもこれも自分の趣味に合わない服を着なくてはならないせいだ。

 堂々と入場し、艶然と微笑む。ホールでたむろしている者達の視線が集中するのを感じた。


 受付の若い女性がにこやかに笑いながら応対する。


「おはようございます。何名様でしょうか」

『私だけよ』


 本当はもう一人いるけど。相手はきょとん、としている。内心舌打ちした。この国の言語は難しい。生意気にも。来てみたら思ったより気候も良くないし。

 まったく、食べ物がおいしい以外にいい所はないのか。こちらに相手は合わせる気が無いのか、困ったような顔をしてモタついていた。もういい。リサは静かに、しなやかな腕を相手に向けて差し伸べた。


『私だけよ。あなたを食べるのは』

「グ、ガ?」


 受付の女性が、首を頭ごと引きちぎられてその場でふらついた。

 よたよたとよろけるたびに、傷口から血が吹き上がっている。

 リサの腕の関節から先が変形し、長く太い一匹の蛇となって女性の頭を噛みちぎっていた。

 白い頬にかかった血をべろり、と舐める。赤く、ルビー色の血。目の前の女の血の色よりも赤い、優美で美しい舌。リサは自分の全てが好きだった。

 受付嬢の血は甘かった。とろけるように甘い血。

 これもまあ、好きな分類に入れておいてやろう。これから、それを超えるものが出てくるかもしれないけれど。


 周囲の人々が、呆然としながらも少しずつ状況を理解し始めた。一斉に周囲から悲鳴が上がる。近くに立っていた赤ん坊を抱えた若い母親が、叫びながら逃げ出した。  

 リサがそちらに歩を進めると、それを守るかのように夫と思われる男性が立ち塞がった。本能的な行動なのだろう。それならそれで構わないが、リサは生意気な人間が嫌いだ。


『いいわ。守ってみせなさい』


 リサの腰の後ろから、長い鞭のようなが突き出し、男性を妻と赤ん坊ごと串刺しにする。絶叫が上がった。長く途切れることのない絶叫が、逃げ惑う人々の間の恐怖の叫びと入り混じった。うん。これこれ。自分はこれが好きなんだ。


 リサは逃げ惑う人々を追いかける。笑いながら。鬼ごっこの始まりだ。 

 服の背中を突き破って、巨大な蝙蝠の翼が突き出した。

 獲物たちの群れの上を、翼をはためかせて飛び、急降下して突っ込んでいく。

 懇願の叫び声が大きくなる。

 左手を変形させて作った獅子のような爪で次々と人々の肉を切り裂いていく。

 念願のごちそうが積み重なる。


  仕留める上で優先するのは若い者だ。歳をとったものはウロチョロする上に不味くて邪魔だから、とりあえずできるだけ目の前に現れた順番に殺した。

 肉は美味くなさそうだったから食べなかった。古い肉は潰されて肥料になるのがオチだ。人間だってよくやっていることだ。


「あ、悪魔あ!」


 上品なブレザーを着た少女が泣き叫びながら、やたらに腕を振り回した。

 黒い髪を持つ頭を捩じり、頭頂部から一気にかじりついた。脳の柔らかい感覚が口内に広がる。甘い涎が一気に口の中を満たした。

 たまらなく美味しい。この国の食事は美味しい。料理も、それを作る人間も。


『やあ、ここにいたのかね』

『あら、お父様』


 父はいつもと違う背広の上からレインコートをまとって、血だらけの両手を、獲物から剥ぎ取った服で拭きながら現れた。

 上品な口髭を手の甲で拭う。反対の手は自分の物より人一倍大きい、黒い獣の腕が、血を滴らせていた。


ここの日本連中、当たりを引くと本当に美味しいのよね』

『それは私も大いに賛同したいね。もう腹は膨れたかい?』

『お父様は?』

『どうやらもう歳らしい。母様がいれば、もう少し食べれたかもしれないな』


父が悲しげに笑った。胸が苦しくなる。食事の時くらい楽しくしていたい。


『私はもう少しここにいるわ。もっともっと気に入らないものを壊してやるの』

『そうかね。なら、私はここで待たせてもらおうかな』

『ありがとう、お父様』


 リサのモットーは気ままに、好きな時に自分の好きなことが出来る生き方がしたい。ただ、それだけだった。







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