第十一話 在りし日の花 case4

 夕方になると、空気が急に冷え込んで来た。横浜市内の駅から離れた、落ち着いた雰囲気のベッドタウン。その中の住宅街に椿姫達は足を踏み入れていた。現場を訪れてから、四日が経過している。その間に情報を集め、潜伏場所を絞り込むため、付近を散策していた。念のため、報道機関の情報もチェックしたが、ここ数日は表向き平和だったようだ。


 怜理はビジネスマン風のスーツ姿に着替えている。椿姫は寒さへの対策のため、普段着の上から、黒いトレンチコートを羽織っていた。

 スウェーデン風の洋風の民家が、比較的新しい住宅街に、それぞれ独自の意匠を凝らして並んでいた。

 舗装された道も、管理会社の清掃が行き届いているのか、ゴミはほとんど落ちていない。そのうちの一軒の前で椿姫は立ち止まる。庭の小さな車庫には、斜陽を浴びてぴかぴかと光る白い新車が止まっていた。


「当たりですね」


 怜理が黙って頷く。少し鼻をひくつかせると顔をしかめた。椿姫の直感に、冷たい気配がまるで警告するように、人外の存在を訴えかけてくる。

 椿姫は、鋭さを増す情動と共に、自分達がやるべき事に思いを馳せながら、そっとスカートの下の太腿に巻き付けたホルスターの感触を確かめる。

 四十口径のH&KP30自動拳銃がそこには収納されていた。狭い場所では魔術より、この武器が役に立つだろう。


 急速に落ちていく陽の中で、家の中の照明は全消えていた。

 椿姫はトレンチコートの襟を立てた。急な冷え込みの寒さに加えて、ぞっとするような冷たい気配の残滓が首筋に突き刺さっている。怜理がインターフォンを何度か鳴らした。家の中から反応はない。


 二人は鑑識が使用する白手袋をはめる。怜理が玄関口の頑丈な木のドアに手をかけた。鍵がかかっているのか、開かない。

 目配せし、頷き合うと、怜理がドアを蹴破った。真っ二つに折れたドアが、中に倒れていく。椿姫は片手に拳銃を構えたまま、戸口から中を素早く確認すると、姿勢を低くして中に踏み込んだ。次の瞬間、生臭い匂いが一気に鼻をついた。ぞっとするような感覚は今なお続いている。


 暗い家の中はしんと静まり返り、何も聞こえない。人の気配が一切感じられなかった。ふと、玄関口を見下ろすと、家族の靴がほとんど隙間無く置かれていた。

 おそらく、住人は誰も、外出していない。


 外から見る限り、二十坪ほどの広さを持つ一階はすぐに捜索することができた。そして、その中で、椿姫達はできれば見つけたくなかったものを見つけた。


 ……広々としたキッチンでは、流し台に頭を突っ込んだエプロン姿の女性が背中のカーディガンを血に染めて事切れていた。居間の大きなテーブルでは腸をはみ出させた、恰幅のいい男性が、椅子に静かに座っている。その躰は、あちこちが齧られたように欠損していた。テレビの前では、十代半ばの女の子と、いくつか年下の男の子が、折り重なるように倒れていた。姉弟かもしれない。躰の下の赤い絨毯は、変色した血で焦げ茶色に染まっていた。


「くっ……」


 遺体を検めていた怜理が悲痛な声を漏らした。

 女の子の方は、体が真っ二つに引き裂かれており、男の子は顎から上が無くなっていた。

 無くなった部位は見つけることができなかった。おそらくもう、この家に押し入って来た異誕達の腹の中なのだろう。姉は、頬の肉を噛みちぎられていた。

 残った片目から流れた涙の跡が、目尻から傷口にかけて残されていた。屈みこんだ拍子に顔と死体が近くなると、猛烈な死臭と血の匂いが一気に強くなった。

 込み上げてくる吐き気と懸命に戦いながら、椿姫は状況を理解しようと努める。

 何度も何度も深呼吸した。その度に、血の匂いのする空気を吸い込んでしまう。さらに胸が苦しくなった。でも、外に逃げ出すのはどうしても嫌だった。


 怜理が立てた仮説。

 それは、「異誕がどこかの住宅を占拠して潜伏しているのではないか」というものだった。個人の住宅に押し込み強盗のように侵入して、住人を皆殺しにして居座ってしまえば、家賃を払う必要はない。おまけに、そこの住人を「非常食」として使える。


「……何年か前かな、似たような事件があったんだ。正確には、私は何件も体験してる。今回のやつも似たようなことを考えやしないかと思ったんだ。……思った通りだった」


 怜理の普段飄々とした声は、今は暗く沈んでいた。

 彼女は近隣一帯を捜索しながら、管轄内の所轄署の地域課に定期的に連絡を入れ、管轄の交番に何か情報が集まっていないか確認したのだ。

 地域課は、担当の地区の交番を運営している。地域住民が警察に相談しようと思った時に、最初に頼るのは交番だ。

 怜理が探していたのは、人の多い居住区での不審な情報についてだった。近所とのトラブルや、その周辺でのなんらかの異常、噂話の類まで徹底的に調べて回った。


 そうすると、「近所のそこそこ懇意にしている家族が、今週の初めからずっと外出していない。学校に行く子達の姿も見えないし、なにかあったのではないか」という相談が寄せられていた。

 相談した住人はおそらく、おせっかいになることを恐れて直接確かめはしなかったのだろう。そして交番は他の事件での対応に追われて、手が回らなかった。正確に言えば、後回しになったのだ。

 そして情報に導かれた先には、遺体だけが残されていた。


……鍵がかけられていたということは、異誕達は家の鍵を探して持ち出し、外からかけて出ていったのだろう。おそらく、長居しては足がつくと考えて、隠れ家として使っていたこの家を捨てた。鍵をかけたのは、少しでも発見を遅らせるためだ。

 しばらくして、二階を見回っていた怜理が、居間に再び戻ってくる。

 

「かなり荒らされてた。それから、奴らの特徴を見直した方がいいな」

「どうしてですか?」

「クローゼットをめちゃくちゃに漁った形跡がある。部屋中服まみれだ。気に入ったやつを着替えとして持っていったのかも。盗人猛々しい奴らだよ。まったく」

「……行きましょう。何か、手がかりがあるかも」

「うん」


 怜理の一重の瞼がすっと細められた。労わるような目つきだった。ぎゅっと胸が苦しくなった。彼女が今の自分を見て、何が言いたいのかはわかるつもりだ。


「大丈夫です。私は闘えます。あなたと同じように」

「疑ってなんかいないよ。……頼りにしてるからさ、椿姫」


 ポンポン、と優しく背中が叩かれた。

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