第十一話 在りし日の花 case3

「ホントに良かったんですか?」

「良かったに決まってるでしょ。私は鬼じゃないもん」


 ハンドルを上手に捌きながら、怜理がこともなげに答えた。

 怜理の運転する黒色のライトバンの中で会話を交わすのは、この二人だけしかいない。

 出動要請が入った後、怜理は付いて来ようとする翠を制して留守番させた。翠は脇目もふらず訓練を続けた成果として、椿姫の目から見ても、充分に現場に出れる実力を備えていると推測できた。けれど、怜理は違う意見らしい。椿姫は思わず苦笑する。


「鬼って……」

「うん。私の時だって、三年は毎日訓練したんだよ?うちらがやるのは、いつ死んでもおかしくない仕事だ。身体を慣らしておく期間には、まだ不充分だよ。今出動させたら逆に可哀そうだよ。本来は君だって出動させたくないんだ。翠と年齢一つしか違わないし。けど、そういうわけにもいかない。」

「女の子にとって、年齢が一つ違えばそれはすごく大きな違いですよ」

「そうだね。それはそうだった」


 怜理が含み笑いする。


「少女だった時期が私はとっくに過ぎ去っちゃったからなあ。もう忘れちゃったよ。でも確かにそうだった気がする。けどね、翠はやっぱりまだ未完成だ。少なくともあと一年は必要かな。あれだけの目にあった子を、こんなにすぐに実戦に出さなきゃいけないのなら、私達も相当まずい状況にあるってことになるね」


 サイドミラーに視線を送り、後方に他の覆面車両が付いて来ているのを確認すると、再び前を向いた。天井にぶら下げたお守りが、走行の衝撃で揺れる。

 翠は今頃どうしているのだろう。本でも読んで待っているのか。それとも、自分たちの身を案じて何も手に付かなかったりするのか。……さすがにそれは無いと信じたい。きっと学校の宿題でもしているのだろう。後は訓練の反復か。

 母が怜理と組んでいた頃の、かつての自分のように。


 特務分室の出動はだいたい平均して、一か月に一回ほどだ。怜理によると、過去にひと月に三回出動したこともあったらしいが、それは本当に忙しい分類に入るらしい。

 それまではずっと毎日訓練していることになる。翠も飽き始めているのだろうか。  

 それとも早く自分の力を試したい?まさか、と椿姫はその考えを打ち消した。あの子はそんな好戦的な子じゃない。


 やがて、ライトバンは静かに向きを変え、現場近くの路肩に停車する。

 神奈川県内にある大型ショッピングモール。駅から直結しており、この場所からでも海が見える。建物自体がまるで白亜のように白く、流線形の外壁を持つ大きな施設だ。

 本来であれば賑わっているはずの時間帯なのに、周囲は閑散としていた。すぐ近くから海が見える。冷たい朝日の下で、その水面はひたすら青く美しくて、とても穏やかだ。ふと、津波が起こればこの辺りは大変だろうな、と考えたが、それに近い災害がすでに起こってしまっていた。

 厳重に張り巡らされた規制線が、椿姫達を迎え入れる。県警のパトカーの赤色灯が、真昼の空の下に眩しく光っていた。

 遺体収容は終わってしまったのか、救急車の姿は見えない。


 現場となった施設のホールではおびただしい血の痕が残されたままだった。普通の人間と変わらない嗅覚の椿姫でも、入る前から血の匂いに吐き気を催した。

 一瞬鳥肌が立つ。そして感じた冷気が首を伝って脳に伝わる。それから全身に這い下りてきた。椿姫が、強い悪意を持っていたり、なんらかの凶行に及んだ異誕達の気配を感じる時は、いつもこのような感覚があった。


 これは、人外と戦う魔術士だけが持ちうる感覚だ。異誕生物の体内から発せられたエネルギーの残滓を「気配」として、常人が持たない知覚センスで感知する。

 だが、同じく人外の血を引いている怜理の場合、普段似たような存在感を感じることはあっても、ぞくりとした感触は全くない。──彼女が戦う時を除いては。


 時代が進むにつれて、国はオカルトに異誕の対処を丸投げするのをやめた。代わりに、今は行政が受け持っている。日本では警察庁が。すなわち、特務分室がだ。


「ご苦労様、どんな感じ?」

「お話は伺っております。警察庁の方で」


 県警本部の捜査主任が所轄署の刑事と共に怜理と事件の概要について話している。  

 漏れ聞こえる会話によると、犯人は二人組の男女。中年の紳士のような外見の男と、洒落たドレスを着た少女なのだという。防犯カメラにもその姿が捉えられていた。


「今、捜査員が総出で探しております。捜索範囲も拡大中です。いやあ、しかし、厄介なことになりましたな。こっちもこんなのは初めてです」


 最近警部に昇進したという捜査主任はごま塩頭を困ったように掻きながらぼやいた。おそらく、彼よりも勤務歴の長い警官の中には、異誕に関わる事件を担当した者もいたはずだ。ただ、その事を口にしたがらないだけで。


「似たような事件、あまりないですからね」

「まったくですよ。二人で乗り込んで、いきなり四十人以上も殺傷。そのうち十人は肉をはぎ取られとるし……カメラの映像を見て、さらに仰天しましたよ。二人でその肉を……」


 その時のことを思い出したのか、彼はみるみる青ざめた。その先は口にしようとしない。

 椿姫には、聞かなくてもその先が分かる。食っていたのだろう。異誕は人や獣を食い殺すことがある。血と肉は、化物にとって、大きな栄養になる。たくさん食べればしばらくは栄養が体内で長持ちする。化物が人間の肉を食う理由なんてそんなものだ。

 かつて、吸血鬼バンパイアと呼ばれた怪物の伝説は世界中に存在しているが、あれもきっとそんな異誕の一人だったのだろう。

 きっとものすごく血を欲しがる、欲張りな人型の異誕だったのだ。実在していたのだとすればだが。


「潜伏先が絞り込めたら、連絡を。我々もできる限り独自に探しますので」

「それはもちろん、ところで……」


 ついに捜査主任は疑問を口にした。椿姫に視線を向ける。


「あのお嬢さんは、あなたの……助手さんかなにかで?」

「いいえ」


 くすっと、怜理が笑った。


相棒あいぼうですよ。私の。今のね」


 ぽかんと口を開ける警部を尻目に、ひらひらと手を振って怜理が近づいて来る。


「お待たせ、そんじゃ、いこうか」

「ええ。これからどうするんです」

「セオリ―通りにいくさ。地元警察は、推測が外れた場合の保険をやってもらってる。とりあえず……」


 ライトバンに乗り込みながら、二人は同時にシートベルトをかけた。エンジンがアイドリングする。


「まずはやつらの潜り込めなそうな場所を探す」


 怜悧が方針を述べた。

 異誕生の中で、人型の外見を持つ者は、どこかに潜伏する場合、二つの方法がある。


 まずは現金などをどこからか調達して、住宅を借りる、もしくはどこかの宿泊施設に泊まるという方法。

 が、今回これは足が付きやすい。日本の警察は優秀だ。人海戦術で簡単に見つけられてしまうだろう。それくらいのことは相手も想像がついているはずだ。


 もう一つは、どこか目立たない場所に隠れるという方法。

 自然の多い所であれば、山林なども探す候補に入れなければならない。しかし、今回の場合、都市部で起こった事件であるため、自然の多い場所も近くには少ないはずだ。しかも早く身を隠さなければならない。となれば、場所は限られてくる。

 椿姫は候補となる場所を推測する。


「セオリー通りにいくと、街中の廃墟か、あるいは……」

「そのパターンも多いけど、今回のやつは本当に殺人に対して躊躇が無い。そうなれば……参ったな、最悪だ」


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