第十一話 在りし日の花 case2

  三年前 東京都郊外 某所 SAT特殊急襲部隊特殊訓練施設 


「まるで親の仇みたいだよ」

「そうです!似たようなものですよ!」


 椿姫の心中をんだのか、怜理はそれ以上口を挟むことはなく、ただ見守っていた。椿姫にはそれが心強かった。白いタンクトップに黒い無地のショートパンツを身につけ、左右の拳を使い、ひたすらサンドバッグを殴り続ける。

 肘を締めて天井からチェーンで吊るされたサンドバッグを思い切り叩いた。


 椿姫が拳に込めた感情はただ一つ。悔しさだった。ただひたすら悔しかった。

 この後はすぐに広い訓練施設の周りを何キロもランニングしなくてはならない。そして、戻ってきたらまたひと通り格闘術の訓練を行う。

 この訓練法は、各国の軍の特殊部隊で取り入れられており、日本の自衛隊のエリート部隊にも導入されている。アスリートとしては上の分類に入る椿姫は、十四歳にしてこのトレーニングメニューをこなすことができた。


 けれども、いかに彼女か鍛錬を積み、上達したとしても生身では異誕達には対処できない。あくまで肉体の基礎体力と耐久力、それらの性能を引き上げる役にしか立たない。

 それでも決して無駄にはならないだろうと、ひたすら体を動かす。いかに効率よく全身の筋肉を使い、体力切れに備えるかが大切だ。異誕としてのスペックの高さを持つものと比べれば、生まれついての力量差がある。ならば、コストパフォーマンスの良さで勝負するしかない。いかに、数少ない消耗で、高威力の攻撃を数多く放つかだ。


 途中からはキックに移行して、前蹴りをはじめとする様々な蹴り方を試した。何度目かの回し蹴りを放ったところで、いつの間にか近くの別のサンドバッグを同じように蹴り続けている怜理の姿が見えた。


 椿姫が悔しいのには理由がある。

 つい先日、都内で異誕との混血の少年が事件を起こした時の話だ。

 人外としての能力を、通り魔としてできるだけ多くの人達を殺すために使っていた。己の強さが慢心を生んだのか、だんだんと犯行は杜撰になり、分室が彼の追跡を開始した。

 しかし、ようやく追い詰めたところで、相手は今まさに襲おうとしていた女性を人質にとったのだ。

 思わずたじろいだ椿姫を制し、怜理はただ一言「やってみなよ」と告げた。


『はあ、ふざけんなよ!こいつ死んだら責任問題だぞテメ!公僕コラ!首になりたくなかったら……』

『ふざけてんのはそっちでしょ。あんたが先にもう殺してたことにすればいいじゃん?』

『そんなの俺が証言すれば……』

『証言ねえ。警察が身内分室と殺人犯の証言のどっちを信じると思ってんの?死人に口なしじゃん』


 先輩の気が狂ったのかと呆然とする椿姫と同じく、相手の少年も激しく狼狽していた。

 悪態をつきながら、女性を突き飛ばし、わけのわからない叫び声をあげながら切りかかってきた。

 次の瞬間、怜理が飛んできた女性を抱きとめると、周囲から氷柱を大量に精製し、隙だらけの少年の身体にむけて放った。急に体勢を変えられず、攻撃を食らって動きを止める少年の背後に怜理は素早く回り込むと、その喉を氷柱で引き裂いた。


『こ、の、ひと殺しが、』


少年が血を吐きながら輪郭を失い、光の粒となって消滅した。


『お前が言うな。あと、上層部はあんたを殺してくれってさ。裁判する気は無いそうだ。あんたのご両親にはうまく言っとくよ』


 そして背を向けた。混血にも人権はある。戸籍登録さえされていれば、人型の異誕でも、「人間」として扱うことができる。ただし、死刑に値するほどの犯罪を犯した場合は別だった。その時は、分室に『処分』するように指示が出る。今回はそれに該当していた。

 女性を介抱しながらも、椿姫は咄嗟とっさの判断が出来なかった自分がただ悔しかった。自分はいまだに未熟だった。当主を継いでも、勝手に一人前になれるわけではなかった。


「翠は何してるんです?」


 一通りの訓練メニューを終えた椿姫は、タオルで汗を拭きながら、怜理に尋ねた。


「射撃練習終わって休んでる。連れてこようか?」

「いいえ……もうすこし後で」

「施設の中庭で本読んでたよ。一応全部終わったみたい。早いもんだね、もう私が見てなくてもなんなくこなせるようになってる」

「先生が良かったんですよ」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん」


 怜理は少女のように無邪気な笑みを浮かべた。スポーツウェア姿の彼女は、実年齢よりもずっと若く見える。彼女は異誕との混血だから当然なのだが、椿姫はきっと、彼女が自分と同じ人間だったとしても今のように若々しいのではないかと思った。


 椿姫は怜理の前の相棒だった母──椿貴に連れられて、はじめて怜理の家に顔を見せに行った時からずっとこんな感じで、今と変わらなかった。


 その母は、もういない。二年前に病気で亡くなった。元から身体がかなり弱かった母は、あっけなく逝ってしまった。遺伝的な問題なのかもしれない。

 椿姫の家は、一族に脈々と受け継がれる魔術士の血を絶やさないために、二代に一度は血族結婚を繰り返している。二代連続で続いた時は、他の魔術士の家系の血を持つものを一族に迎える。その本人が魔術を使えるかどうかには関わらず。使えない人間がほとんどだ。

 もはや魔術はおそらく現代の社会においてロストテクノロジーとなってしまったのだろうから。そして、自分は数少ないその生き残りだ。そう、になってしまったのだ。同じく母も祖母も魔術士として生き、魔術士として死んでしまったのだから。


 休憩のために、訓練施設の中庭に二人は移動し、ベンチに腰掛けると、しばらく二人は無言でスポーツドリンクのボトルを口に運び続けた。

 今は十二月の真冬だ。スポーツウエアから上着を羽織っただけの格好は少し肌寒い。天気は良いのだが。白い日光も冷たく感じられる。

 運動後の疲労感が心地いい高揚を少しずつ体内に運んできた。満ち足りた気分だった。たとえ、取り戻せないものが多くても。エンドルフィン快楽物質の働きに椿姫は日々感謝している。


「あ、お疲れさまです!」

「お、お疲れさん。熱心だねえ」

「お疲れさま、翠」


 小柄な姿がこちらに近づいて来る。翠だ。ブルーのダッフルコートを纏って、片手に文庫本を持っている。射撃訓練は無事に終わったのだろう。翠は訓練を本格的に始めてから、休日であっても射撃練習を一日たりとも欠かしたことが無い。

 無理しすぎないように、とは思っていたが、口には出さなかった。むしろ、これくらいで無ければ張り合いがない。初めてできた後輩で、しかも歳の近い女の子だった。手を抜いているのなら叱咤するところだが、根を詰めるのなら好きにさせるのが上達も早いだろう。すぐ目の前に翠が立ったところで、シャンプーの匂いに混じって、濃い硝煙の匂いが寒い風に乗って鼻腔に届いた。


「なに読んでんのよ?」


 椿姫は片手を出して、翠に向けた。冷たい空気で掌が強張る。翠が書店のカバーのついた文庫本を椿姫の掌の上にそっと置いた。カバーを細い指で捲る。

 フランシス・アイルズの「殺意」。


「これ、面白い?」


 あまりにも直球なタイトルに驚きながらも、椿姫は後輩とコミュニケーションを図った。翠がはにかむ。


「とっても。犯人が主人公のお話って、珍しいですよね」

「……へえ。そうなの」

「倒叙推理小説って言うんですよね、確か。犯人が警察の裏をかこうとするお話って」

「似たようなの知ってるよ?刑事コロンボみたいな感じでしょ?」

「それは観たことないですけど……」

「あれ、もしかして古い?」


 話を聞いている限り、殺人者の心理を上手く描いたものらしい。

 複雑な気持ちになりながらも、椿姫は少し安心した。翠がここに来るきっかけとなった事件を思い出したからだ。

 あんなことがあって────彼女の両親が異誕生物に殺されてから、まだ日も浅いというのに、それでも現実とフィクションの分別がちゃんとつけられているのはいい事だ。それだけ冷静に状況を捉えているという事でもあるのだから。


 翠はかなりの本好きらしい。今は怜理の家に居候中だから、遠慮してあまり本を買ってはいないようだったが、近くの図書館へはよく通っているようだった。

 

 翠はまだ訓練ばかりだが、おそらくフィクションが与えるスリルや高揚は彼女が戦闘や捜査で感じるものとはまるで違うものになるだろう。

 翠は、主人公の医者のお父さんのキャラが好きらしい。貧しいのに頑張って主人公を医大に行かせたからなのだという。それで息子が人殺しをしたら台無しだが。


 翠がここに来るきっかけになった事件。闇社会でブローカーを営んでいた異誕が、人間のチンピラ共を手下に使って、混血の翠を拉致監禁した。その事件のさなか、椿姫は人生で初めて人を殺した。


 窓を破壊して、敵の拠点に突入した時、散弾銃を持って現れたチンピラの胸元に炎弾を二発撃ちこんで殺したのだ。もう一人が廊下の陰から弾丸をばらまいたから、その場に転がり伏せて、銃めがけて二発炎弾をぶつけた。一発目は見事に銃を跳ね飛ばした。ただし、二発目の炎弾は狙いが逸れ、相手の顔を焼き尽くした。相手はのたうち回り、ぞっとするような悲鳴を吐き出した。甲高い声は女のものだった。


 相手が動かなくなると、壁に両手をついて、胃の中身が無くなるまで嘔吐した。その姿勢のせいもあって、まるで自分の方が犯罪者になってしまったような気がしてたまらなく嫌だった。


  目尻から涙が出るのが情けなかった。怜理に背中をさすってもらったのも。泣きそうになった自分が嫌だった。その後は怜理が一人で全て片付けた。

 

 最後に救い出された翠を見て、やはり自分は泣くべきではなかったのだ、と確信した。自分よりも幼い少女が手酷く痛めつけられて、頬に涙の痕が残っているのを見てしまったからだ。彼女が受けた仕打ちを考えれば、自分であればとっくに正気を失っていただろう。もし自分が魔術が使えない、普通の女の子であれば。でも、その子はなんとか自我を保っていた。

 そして、今、椿姫の目の前で元気に笑っている。


「そう。他に何か読みたいのない?別のを貸してあげてもいいわよ。うちにも本は沢山あるし」

「いいんですか!やったあ」


 翠は心底嬉しそうだ。育ちの良さそうな顔を緩めている。ふふ、と思わずつられて微笑んだ。


「はい」


 だしぬけに声が聞こえ、隣を見ると、怜理が捜査用のスマートフォンを取り出してなにか返答していた。


「はい、はい。今、訓練施設です。村瀬むらせさん、非番じゃなかったんですか?」


 村瀬というのは椿姫達が勤める異端対策特務分室の分室長だ。妙齢の女性で、以前は警視庁捜査一課にいたのだという。


「え、ほんとに?わかりました。毎度のことながら急ですねえ。了解。すぐに」


 そして申し訳なさそうに「ごめん。仕事入っちゃった」と告げた。


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