第十一話 在りし日の花 case1

「じゃ、とりあえずかんぱーい!みんな、今月もお疲れさま!今はとにかく楽しんでちょうだい!」

「かんぱーい!」

「カンパイです」

「……かんぱい」


 高校生になって嬉しいことの一つは、給料日という概念が生まれる事だ。アルバイト禁止の中学生も多い中、自由に使える軍資金の存在は、学生の気持ちを豊かにしてくれる。ただし、白翅には、アルバイトではなく、異端対策特務分室いたんたいさくとくむぶんしつの非公開職員としての報酬が振り込まれる。


 五月の給料日の翌日、土曜日のランチタイム、渋谷駅地下フロアに展開するフードホールに、白翅達は集まっていた。たくさんの飲食店がフロア中を取り囲むかのように存在している。


  そこの奥行きのある衝立に囲まれたスペースで、白翅達分室のメンバー達は慰労会を開いていた。白翅にとっては今回が二回目の給料振込だ。固定給に加えて出動のたびに危険手当がつくので、思った以上に収入が上がっていた。

……その背景を考えると、決して喜べはしないのだが。けれど養母である夏葉の銀行預金をあまり使わずに済んでほっとしているのは事実だ。


 それに、実は自分はみんなと一緒に食事をとることが好きなのかもしれない、と白翅は最近感じるようになった。家で翠と共に食べるのも良かったけれど。大勢で外食して、変わったものを食べるのも悪くない。


 地下にある場所なのに、店内は外と同じくらい明るく、華やいだ印象だ。天井には小さな照明がたくさん設置されていて、眩しすぎないように調節されている。

 壁は羽目板で作られており、丸いフックが付いた木製の平たい棒が設置されていた。そこには、金属の鍋や調味料入れ、長い麦のレプリカや、大きな木の匙、フライパンなどがぶら下げてあった。どういう効果があるのか分からない飾り物だが、なんとなく食欲を誘われている気がした。


 四方が店に囲まれている真ん中の客席コーナーもあったのだが、四人だけの空間を作るために、あえて隅の衝立のコーナーを椿姫が選んだ。それでも、周りから賑やかさが伝わってくる。たこ焼き屋の黒い制服を着た店員が近くを通りがかり、離れた席の客のテーブルに、注文の品を置いている。

 四人は手を合わせて、それぞれの食事に手を付けた。


「それにしても、ちょっとおもしろいね」


 翠がにこやかに笑いかけてくる。


「…ん?何が?」


 思わず尋ね返すと、翠がフォークで自分の料理を指した。

 骨付き鶏もも肉のクリーム煮セット。パスタがおまけについているもので、色とりどりの野菜サラダに囲まれたホワイトソースをかけた鶏肉はいかにも上等そうだ。事実、値段も二千円近い。フレンチを専門に扱う食堂で注文したものだった。


「これを買ったお店、カウンターに炊飯器が置いてあったの。フレンチと炊飯器ってなんか不思議な組み合わせだよね」


 言いながら、器用な手つきで鶏肉を切り取り、フォークに刺してサラダと共に小さな口に運ぶ。


「ほんと」

「でしょ?ん、まろやかでおいしい!」

「……うん」


 ちなみに、白翅は翠と同じ店で煮込みハンバーグセットを頼んだ。トリュフソースがかかっており、カロリーも少し高め。以前の、少なくとも中学生の頃の白翅なら絶対に頼まないはずのものだった。


 ここのところ、疲労の溜まる任務が増えていたため、力がつくものを食べたかった。訓練もほぼ毎日ある。

 そのせいで、以前よりも空腹を覚えやすくなった。栄養の補給はできるだけしておきたい。


  フォークとナイフでハンバーグを六つ同じ大きさに正確に分割するように刻むと、口にゆっくりと含んだ。

 ジューシーな肉が口の中で脂と共に溶け、トリュフソースの独特の風味が後からじんわりと口内に伝わってくる。思わず右の頬を抑える。口元が緩んでしまいそうなほど美味しい。


 ……ふと。なんとなく視線を複数の視線を感じる。八時の方向。通路と、少し離れたところには別の客席が並んでいる。


 通路で立ち止まりかけていた大学生らしい青年たちが視線をちらり、と送ってくる。

 客席に座っていた二人連れの女の子達も会話しながらも、時折こちらを見ているようだ。自意識過剰なのだろうか。なんとなく注目されている気がする。


「機会少ない友人達の集まりです。もっと楽しげにしたらどうですか」


 ザクザクと分厚いステーキを切り刻んでいた茶花が声をかけてくる。彼女は猫のような大きな目で、白翅を瞬きせずに見つめていた。

 咎められたわけではないのは分かる。最近分かってきたことだが、この子はいつもこんな感じなのだ。


「うん、楽しい」

「ユルいパワハラすんなっての」


 椿姫が茶花を咎めた。

 そういう茶花は、いかにも美味しそうにサーロインステーキを頬張っている。


「ハムハム」


 椿姫がグラスを持ち上げた。あまりに優雅な物腰に、中に入っているのはソフトドリンクなのに、高級ワインでも入っているのではと錯覚する。

 たおやかな手と、美しく均整の取れたプロポーションにあちこちからまた視線が集中するのがわかった。

 椿姫はノースリーブのワンピースに、くっきりとしたラインの出るジーンズを身に付け、カジュアルな印象だ。

 親しくなければ、この人には声をかけづらいだろう、と白翅は考えてしまう。


 茶花も、かなり整った顔立ちだとは思う。茶花はお気に入りの白いブラウスに紺のスカート。胸元には真っ赤な花のコサージュが飾られている。


 ふと、隣の相棒にそれとなく視線を送った。

 翠もとても小柄だが、無駄のないほっそりと引き締まった体に、目鼻立ちのくっきりした愛らしい端正な顔立ちは、男の人に好かれやすそうな雰囲気だ。学校指定の上等な仕立てのブレザーにスカートが良く似合っているのも一因かもしれない。翠が持っている、一番高い服がこの制服なのだそうだ。……自分もそうだが。

 翠は学院の制服をすごくおしゃれだと感じているようだ。

 それに比べて、自分の黒いパーカーといつもの黒のショートパンツは野暮ったかっただろうか。けれど、自分は動きやすいこの格好が好きだ。特に、四月の初任給で買った下のショートパンツは気に入ってる。


 東京はナンパが多いと、以前の同級生の安西が言っていた。彼女の姉は東京に同級生と出かけた時、五人中四人がナンパされたという。

  ウソだと思うけどな、実際は五人中三人だろ、と安西は続けていた。たぶん、姉ちゃんもされてないはずだと。


  彼女も学校で気を遣って話しかけたりしてくれたけれど、一緒に食事に行くことはなかった。そういえば自分は前の学校の子達の携帯の番号すらも知らない。

 聞こうともしなかった。

 できるだけ関わりを避けたかったからだ。

 さっき感じた視線は、みんなが可愛いから、注目されていたのだろうか。

 自分はあまり目立たないようだから、少し肩身が狭い。

 

「味とかわかって食べてるんでしょうね」


 椿姫がどんどん口の中に肉切れを放り込んでいく茶花に呆れたようなため息をついた。


「もちろんです。なんなら、全員ぶんの食レポをしてさしあげますよ。茶花は器用な鎌なので」


 さあ下さい、と椿姫の食べている焼きそばとお好み焼のセットにフォークを刺そうとする。


「だれがあげるもんですか」


 二人はなんだかんだで軽口を叩き合いながらも、けっしてお互いに嫌な感情は抱いていなさそうだ。歳の離れた姉妹のようでもある。

 それを眺めている翠もくすくす笑っている。たぶん、この子たちはこんなやりとりを今までもずっと続けてきたのだろう。自分がここに来る前も。


「二人は……」


 おずおずと白翅は問いかける。


「つきあいが、長いんですか」

「長いですとも」


 しみじみと茶花が答える。


「生まれてきてからずっとセットなので」


 それは予想以上に長い期間だ。茶花は中等部一年生だから十二年ほどだろうか?


「そうね、もう三年になるかしら?」


 椿姫が口を挟んだ。三年?ということは、生まれてきてから三年?


「それなら……茶花は……三歳なの?」

「そうとも言いますし、違うとも言えます。茶花個人は三歳ですが、本体はもっと長いとも言えます。とらえかた色々。それが茶花です」


 茶花の煙を巻くような言動でますますよくわからなくなった。この子は少しエキセントリックすぎる。


「ていうか、翠、説明してなかったの?あたし達のこと」

「二人の馴れ初めまでは話してませんでした」


 翠が照れたように笑う。


「まあ、別にいいけど」


 椿姫は顎に手を当てて、何かを考え込んでいたが、すぐに口を開いた。


「ま、別に隠すことでもないわよ。ちょっと長い話になるけど。翠は二回目よね」

「茶花は何度目でしょう」

「あんた当事者でしょ」


 椿姫が枝毛一つ無い、長い淡栗色の髪を軽く細い指先で梳く。


「別に大した話じゃないわよ。あたしが中学生だったころ……」

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