第十話 絡まる糸 case16

 「円城先生、今はどうしてるんでしょう」


 翠がおもむろに尋ねた。そばのクッキーは手つかずのままだ。事件から一週間がたったころ、ようやく失踪事件の事後処理が終わった。

 白翅達は螢陽家の温室に集まり、沈みかけの夕日を眺めながら、放課後の茶会を楽しんでいた。スペースを彩る色とりどりのツバキの花々も、茜色に染まっている。


「復帰したみたい」

「本当ですか!良かった!」


 上品に紅茶を口に運んでから、椿姫が答える。チームリーダーである椿姫は重要事項を真っ先に不破から伝えられている。白翅はカップをそっと薄い唇に付けた。意外だった。円城先生はもっと塞ぎ込んでしまうのではないかと心配していたからだ。


「嘘ついてどうするのよ。高澤先生もいるから、なんとかなるでしょ。入院期間が終われば、フォローしてくれるでしょうし」


 高澤先生はなんとか一命をとりとめた。誘拐された少女達も。衰弱死した会長の里中を除いて。彼女たちは近くに生えていた植物を無理やり食事のかわりに与えられていた。水は近くの池のものだった。里中の二の舞になる寸前の子もいたため、そちらの入院期間はかなり長引きそうだった。邪魔物を排除して、円城の評判を下げるというただそれだけの動機のために、恐ろしい目に遭わされた女の子達。その精神的なダメージの治療は簡単ではない。


「迷惑な奴だったわね。何がしたかったのよ、あいつ」


 椿姫が茶花の頭を撫でながらぼやいた。茶花はそれには答えず、むきゅーと声を出して気持ち良さそうにしている。茶花は人質となっていた子達の身体を、乱戦になった時できるだけ巻き込まれないように移動させていた。功労者となった茶花を、椿姫はもう一週間ほどよく撫でなければならないらしい。


「いつでも見れるように、どこかに飛んでいってしまわないように。円城先生をそうしたかったんじゃないでしょうか。温室もそうですよね」

「ここがどうしたっていうのよ?」


 不思議そうに椿姫が尋ね返す。白翅は翠に視線を向けた。皮肉らしい様子も無く、翠はただ純粋に言葉を続ける。


「ふと思ったんです。温室って、いろんな季節の花を好きに咲かせたり、雨風から守ったりするために作るじゃないですか。……洲波優実にとってはあの家がそうだったのかもしれません。花は円城先生です」


 ……死亡した優実は、六人を誘拐し、そのうち一人を殺害した容疑で、被疑者死亡のまま送検された。両親は離婚調停を起こし、裁判はおそらく泥沼になるだろうと言われている。今回は誤魔化しようが無かったのだという。証人が揃いすぎていた。

 虫を操る能力についてはなんとか恐怖のあまりに見た幻覚ということで処理されたが、優実の行った犯行については認めざるを得なかった。

 彼女は警察に逮捕されることを恐れて、近くの雑木林の中で首を吊っていたことにされた。円城はその事実を伝えられた時、霊安室で泣き崩れることもなく、ただ立ち尽くしていたという。


 また、夕実の携帯電話やパソコンが自宅から押収された。その結果、学校裏サイトに書きこまれた、円城の誹謗中傷のコメントの半数近くは、優実が書き込んだものであることがわかった。彼女は、裏サイトでの悪口の書き込みを煽っていたのだ。


「やめてよ。次からやりにくくなるじゃない。この達、あたしが育ててんのよ?」

「椿姫さんはいいんです。花を長く咲かせるために育ててるから。でも、優実は違いました。彼女に閉じ込められた人は結局長生きできないでしょう。彼女はすぐに枯らしちゃいます」

「……うん」

「優しさが足りないのです」


 人質に対しての扱い方を見ればわかる。憎い敵でもないのに、彼女は他人を乱雑に扱った。


「花の命は短いけど、私達は長く生きますから。だから、きっと温室なんかいらないんです。閉じ込めていつでも見れるような形はむしろ不自然だと思います。……長生きできるから、もう、閉じ込めている必要なんかないんです」

「ま、あのままだと確かに長生きできなかったかもしれないわね……円城先生も。結果オーライってことかしら」


 椿姫が翠と茶花に視線を送った。


「円城先生も、このまま塞ぎ込んで終わるつもりはない、ってことでしょうね。誰にでも味方が少ない時期はあるわ。大事なのは、その期間を無事に生き抜くことよ。円城先生はその中でも、立ち向かう道を選んだ。そのうち、時間が経てばそうじゃなくなるわよ」


 椿姫が背中をこちらに向けて、夕陽を浴びて煌々と輝く窓の外を見つめていた。

 そばでは茶花が壁にもたれかかり、空のティーカップをぼんやりと見つめていた。

 孤独な時期。確かにそうだ。自分だって。ついこの間まで一人だったのだ。

 孤独の先へと進もうとしている。その姿勢は誰もが見てくれている。

 塞ぎ込まずに進むのなら、きっとまた彼女には人が集まってくるだろう。


 それにしても、不思議。と白翅は思う。カップの中の紅茶の表面を覗きこんだ。見慣れた自分の白い顔が映っている。顔を上げて、周りを見た。景色が変わって、違う視界が目に映る。

 紅茶を冷まそうと、息を吹きかけている翠と、目が合った。

 一瞬、きょとんとした表情をし、それから微笑んだ。


「どうかした?」

「……なんでもないよ」


 この場所にいる自分が、ただ不思議だ。途方もない災難。円城先生と自分が体感したものだ。突然の襲撃者によってもたらされた、今までの生活の喪失。

 そして、それは翠が二度も味わったものだ。

 二人とも、自分が失ったものを取り返そうとただひたすら足掻いている。円城先生も、同じように。また何かを得るために、自分の環境を変えようとしている。


 ……自分の環境は、これからどう変わるのだろう。これから、何を変えていけばいいのだろう。自分は何が変わったのだろう。答えは出ない。

 夕陽が更に沈み、世界が薄暗さを増していく。微かに残る夕陽の線が白翅の白い手を一瞬、紅く染めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る