第一章 双子の公女(3)


           3


 アイホルム大公領は、〈五公国〉の北東に位置している。東と南を〈アルバ山脈〉に、北を海、西を〈中央山脈〉に囲まれ、冬は雪に閉ざされる冷涼な地だ。領内にそびえる〈聖なる炎の岳〉――火山の恵により、豊かな農作物と畜産物を得ている。


 〈五公国〉を支配する北方民――征服民フォルクメレと呼ばれる民族は、四百年前、北の海を渡ってこの大陸へやってきた。太陽神を奉じる彼らは先住民ネルダエを支配し、五人の大公の上に聖王をたてて国のいしずえを築いた。四百年のうちに民族間の混血はすすみ、生業も信仰も雑ざったが、なかには自治を認められているネルダエの部族もいる。

 アルトリクスは、自治を維持しているネルダエ部族のひとつ〈ラダトィイ〉の族長リーだ。ラダトィイ族は良質な鉄器を製造するので、〈くろがねの民〉と呼ばれ、五公国から一目置かれている。その集落は〈中央山脈〉内にあるが、詳しい場所は秘匿ひとくされている。

 一方、自治権をうしなった先住民の多くは分散し、征服民の社会の下層で、ほそぼそと暮らしていた。



 アイホルム大公は騎乗し、セルマと護衛の騎士五人、ライアンとトレナルをふくむ従者スクワイヤと、数人の小姓ページを連れて城を出た。視察は三日ほどの行程だ。主人にしたがい森と農村地帯をぬけ、防壁に囲まれた町へ到着したライアンは、馬上で苦虫を噛みつぶしていた。


 麦秋(初夏)だというのに、道沿いには荒れた畑が目立つ。先月訪れたときよりも、防壁の外で粗末な小屋や天幕をたてて暮らす人々が増えている。

 昨年、アイホルム公は、領内に住むネルダエから土地と私有財産を没収する法令を発布した。同時に小作料(注*)も北方民の倍に増額されたので、先住民と混血の民の多くは住処と仕事を失ってしまったのだ。


 セルマは葦毛の馬上で眉をひそめ、襤褸ぼろをまとった母子の姿を眺めた。華麗な領主の行列をながめる黒い瞳には表情がなく、髪はあぶらけなく縮れ、手足は折れそうなほど痩せている。


「この人達は、何処から来たの?」

 護衛の騎士のひとりが、セルマの問いに答えた。

「近隣の農村からです。仕事を求めて集まっているのです」

「町に仕事があるの?」

「選ばなければ……。しかし、こう多くては、奴隷か流民るみんになる者もいるでしょうな」


 セルマは言葉をうしなった。騎士たちは馬を寄せ、公女が列をはずれないようその視界を遮った。先頭をいく大公は知らぬ顔で、上機嫌に手綱を繰っている。

 防壁の門をくぐりながら、ライアンは我知らず顔をしかめていた。(銅貨二枚の入門料を払えない者たちだ。狼や盗賊に、襲われなければよいが……。)

 農民から耕作地を奪えば麦の収穫量は減り、税収は低下する。治安も悪化する。領主にとって損な政策を何故おこなうのか、ライアンには理解しがたいが、従者の身で主人に問いただすわけにはいかない。


 ライアン・ディ・グレイヴは、アイホルム大公の重臣・グレイヴ伯爵の一人息子だ。先祖ゆずりの恵まれた体格に、燃える炎のような赤毛、新緑のもみの色の瞳をもつ。彼の祖母はネルダエであり、乳母モルラと乳兄弟のトレナルも、ほぼ純粋な先住民だ。――グレイヴ伯爵家には、民を出自によって分け隔てる気風はない。――アイホルム大公は彼らを例外として扱っているが、同じ根をもつ民が差別されているのを観て、気分のよいものではない。

 それは、公女セルマも同じだ。


 彼女とティアナの母、大公妃エウィンは、混血の孤児だった。町の視察に訪れた大公が、たまたま孤児院で美しい少女をみつけ、まだ幼いエウィンをひきとったのだ。

 口さがない連中は、エウィンは魔女で、魔法を用いて若き大公をたぶらかしたのだと噂する。ライアンは馬鹿馬鹿しいと思うが、エウィン妃の美しさは本物だった。

 波をうつ金褐色の髪、新雪のような肌、黄金の煌めきをおびた緑の眸。細くなよやかな肢体は陽光に透け、妖精シーのような独特の雰囲気をまとっている。混血の孤児という出自が虚妄うそと思われるほど、彼女は美しく……美しすぎた。その内面の歪みを隠してしまうほどに。


 大公妃となったエウィンは、間もなく双子の女児を出産した。これも非常に美しい、セルマとティアナを。しかし、男児が得られなかったことに落胆した大公は、活発なセルマに男子の服を着せ、騎士の真似事をさせて喜ぶようになった(ティアナは残念ながらそれに向かなかった)。

 エウィン妃は己の出自を否定するかのように、先住民への迫害を始めた。まず城内のネルダエ出身者を解雇し、大公直轄領内の農地の耕作を禁じた。住民は移住を強制された。大公は妻をいさめず、此度こたびの政策も、妃が大公をそそのかしたのだと言われている。

 ライアンは、主人のやり方に困惑していた。公女たちは両親のふるまいに心をいためつつも、認められようと懸命に努力している。



 大公は町に入ると、町長らの歓迎を受けてさっそく庁舎にくり出した。騎士たちは主人に従い、セルマはライアンたち従者とともに、広場前の宿舎に案内された。

 この町は、農産物だけでなく、毛皮と畜産物、牛馬の取引がさかんで、定期市には近隣の集落から多くの人々がやってくる。セルマとライアンとトレナルは、混雑する往来を見下ろす部屋に案内され、夕食の卓についた。


 焼きたての白パン、新鮮な鶏肉のパイ、ベリーソースを添えた山羊乳のチーズ、干し林檎いりの香草茶と蜂蜜酒ミード、といったご馳走を前にしても、セルマの表情は晴れなかった。美しい弓型の眉をひそめたまま、


「ネルダエの人々から没収した土地を、どうするの?」

「他の農民に与える、毛皮の加工場を建設する、などの案を耳にしました」


 トレナルが静かに答える。無口な黒髪の従者は、ライアンが最も信頼する乳兄弟だ。


「抗議はないの?」

「あります……。彼らを移住させる方向で、話は進んでいるようです。東へか、ヒューゲル大公領へか……そこまでは聞いていませんが」


 ヒューゲル大公はアイホルムと同格の五大公のひとりで、〈曙山脈〉の南に広大な領地をもっている。温暖で豊かな地だが、ネルダエの待遇は決して良いものではない。


「あの人たちは、公国の民よ」


 セルマは肉のパイに手をつけず、憤然と言った。あの痩せた親子をみた後では食欲がわかないのも無理はない。金の睫毛にふちどられた青玉の眸には、涙すら浮かんでいた。


「私の民よ……。それなのに、お父様はどうしてあんな酷いことが出来るの」

「そのことですが……姫さま」


 ライアンは宥める言葉を思いつけなかったが、トレナルが言った。ネルダエの少年は、平静な表情できりだした。


暫時ざんじ、出かけることをお許し下さい。門が閉じる前に戻ってまいります」

「えっ?」


「外へ行くのか。あの親子か?」


 ライアンが問い、トレナルはうなずいた。セルマの表情がぱっと明るくなる。


「夜は狼が出ます。弱き者を狙う賊もいるでしょう。せめて、あの母子が安全な場所で眠れるよう、手伝いたいのです」

「私も行くわ!」


 セルマはがたっと椅子を揺らして立ち上がった。トレナルが苦笑する。


「姫さま」

「お願い、トレナル。一緒に行かせて。お父様がしないのなら、私が」

「いけません」


 トレナルとライアンの声が重なった。トレナルは身振りでライアンに譲ろうとしたが、ライアンは口を閉じ、乳兄弟に委ねた。

 トレナルは、かるく息を吐いて続けた。


「セルマ様。私はどこから観ても先住民ネルダエです。私が勝手にあのひとたちに関わったところで、とがめる者はいないでしょう」


(主人の許可を得ていないから、主人には責められるかもしれないが……。) ライアンは、言葉と苦虫をかみつぶした。

 トレナルは真摯に公女を諭した。


「しかし、殿下がいらっしゃると話は変わります。誤解され、余計な期待を抱かせるやもしれません。ご自重下さい」

「でも、私は……」


 セルマはなおも言い募ろうとして、トレナルの言外の意図を察した。唇を噛み、くやしげに呟く。


「分かったわ……。お父様が下した命令に、私が公然と逆らってはいけないのね。気の毒に、とすら言えないなんて」


 トレナルは無言でうなだれた。セルマは公女であり、ネルダエの人々にとって、彼らを迫害する命令を下した領主側の人間だ。その彼女が差し伸べる手を――たとえ純粋な善意からであっても――相手はどう思うか、という問題だ。

 ライアンは右手の拳を胸にあて、穏やかに申し出た。


「私がトレナルとともに参ります。セルマ様は、門のところで見守っていて下さい」

「ライアン」


 セルマの頬がわずかにゆるむ。ライアンは、彼女を励ますように微笑んだ。


「目の前の人々を救いたいという、セルマ様のお気持ちは貴重です。それは、私どもが行いますので……。公女のお立場で何事かを成そうと思われるなら、どうか、お父上と話し合って下さい。彼らの望みもそちらでしょう」


 セルマはうなずき、溜息をついた。


「それが、一番むずかしいのよね……」



          *



 少女と二人の少年は話し合いを終えると、徒歩で街壁の門へ向かった。陽は西へ傾き、空は薄紅色に染まっている。家路をいそぐ人々や閉門前に宿にたどりつこうとする旅人と荷車で、街路はごったがえしている。門を守る衛兵は、公女の姿に目を白黒させたが、ライアンが彼女は外に出ないことを説明すると、納得してひきさがった。


「日没まであとわずかだ。急いでくれよ」


 衛兵の言葉に片手を振り、ライアンとトレナルは、駆け足で門の外へ出て行った。甲冑こそ着ていないが、従者の短剣を腰に挿した二人は、大人顔負けの体格をしている。来た道をひきかえし、掘っ立て小屋ややぶれた天幕を見かけた場所をさがして、くさむらへ踏みこんだ。

 セルマは門の内側に佇み、胸の前で両手を組んで二人を見守っている。


 道からそう離れていない場所で、ライアンとトレナルは、人が暮らしていた痕跡をみつけた。残飯にたかっていた羽虫が、ひしゃげた鍋と割れた木の椀、ちぎれた外衣の端などが散乱している上を舞う。しかし、天幕は消え、小屋のあとも見当たらなかった。すすけた石の集まりが、焚火のあった場所を示している。

 ライアンは背筋を伸ばして振り返り、門のところにいるセルマに首を振ってみせた。セルマが落胆する顔が見えたが、いなくなってしまったものは仕方がない。


 クワアッ! ケックエエッ!


 鋭い声にライアンとトレナルがかえりみると、ちょうど一羽のオオガラスが飛び立つところだった。カラスは夕陽に闇色の翼をきらめかせながら、緋色の空を横切り、南西の森へ向かって行った。





~第二章(1)へ~

(注*)小作料: 小作人が地主に支払う土地の使用料、借地代。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る