迷宮攻略再開しました

「ヴィルくん、そっちのヤツの足止めお願い!」


 リエルのよく通る指示に従い、俺は身を低くして疾駆した。

 相手は魔狼ヴィジル。体高だけでも一歩分の幅を超えている狼だ。


 単純に跳びかかられるだけでも相当な脅威となるだろう。

 加えてその名前のとおり、魔術を繰るのが特徴だ。


 こちらの接近に気付いた魔狼の遠吠えに合わせ、空気を割くような音と共に周囲にいくつもの氷柱が形成されていく。

 槍のように鋭く尖った先端をこちらに向けた氷柱が高速で射出される。


 狙いはこちらの足元を狙う正確なものだ。

 瞬間的に真横に跳ね、その軌道を回避する。


 直線的に放たれる氷柱の一撃を回避するのは難しい事ではない。

 だがそれを読んでいたかのように魔狼が追随していた。


 始めから氷柱は牽制だったのだろう。

 こちらが横っ飛びに跳ねた事で姿勢を崩したタイミングを狙いすましたように魔狼が圧し掛かるように跳びかかってきた。


 だが動き自体は単調なものだ。突進速度に合わせてくるりと回るように黒剣を振るう。

 上弦の円弧を描くように振るわれた刃は魔狼の喉笛を深く切り裂いた。


 だがそれすらも囮だったのだろう。

 喉を切り裂かれた魔狼の影から更にもう一頭が牙を剥いて襲い掛かる。

 刃を振り切った今、切り返しは間に合わない。


「《発火》」


 だがそれはこちらの狙い通りでもある。

 左手を掲げ、俺は習ったばかりの《発火》の呪文を唱える。

 同時、魔狼の鼻先にて瞬間的に炎が花開いた。


 正直なところ一瞬だけ炎が燃え広がる《発火》に殺傷力は殆ど無い。

 上手く延焼しなくては軽微なダメージを与える事さえ難しいだろう。


 だが獣にとって炎というのはそれだけで根源的な恐怖を呼ぶものだ。

 例え目晦まし程度であれ、突如目の前に現れた炎に魔狼は「ギャウン」と悲鳴のような鳴き声をあげて怯んだ。


 あとはその隙を逃さずに体を入れ替え、すれ違いざまに右手に持った黒剣を再度振るう。

 振り下ろしの一撃は正確に魔狼の首を一太刀で断ち切った。


 確実に二頭の命脈を絶ったことを確認すると、そのまま体制を立て直し次の敵へと意識を向ける。

 だが構えた先では残り三頭の魔狼がリエル達にとどめを刺されている場面だった。


「ヴィルくん無事――って、もう二頭とも倒しちゃったの!?」


 矢を番えたままの弓をこちらに向けて援護しようとしたリエルもこちらの戦闘が終わっている事を確認して驚きを露わにしていた。


「ああ、俺の方は問題ない。そっちも鮮やかな手際だな」

「いやぁねぇ。一瞬で魔狼二頭を倒しちゃったヴィルちゃんに言われるのは面映ゆいわぁ」


 そうは言うものの、戦いながら盗み見たリエル達の力量は見事なものだった。

 特に壁役のカイは素手で壁役などどうするものかと思っていたが、見事な体裁きで魔狼の猛攻をいなしていた。

 飛翔する氷柱は叩き落し、跳びかかってくる魔狼を捌く技巧はすさまじかった。

 結果的にほぼ無傷で戦闘終了している。


 そうして動きが止まったところをジュウゾーとリエルが互いの動きを邪魔することなく的確にとどめを刺していった。

 ジュウゾーの武器は石柱と見紛うような巨大な鈍器だ。

 一枚岩からそのまま削り出したかのような大剣ともハンマーとも呼べないソレは無理やり持ち手を付けた石塊と呼ぶのが一番的を得ているだろう。


 自身の背丈よりも大きなソレを片手で軽々と振り回し、文字通り魔狼を叩き潰す様は悪夢のような光景だ。

 もし模擬戦の時にコレを持ち出して振り回されていたら近づく事すら困難だっただろう。

 試合のレギュレーションを定めてくれたカイに感謝するしかない。


 対してリエルの動きに派手さは無い。

 だが全体に指示を出しながらも放たれる矢は一矢の乱れもなく正確に魔狼の急所を撃ち貫いていた。

 正確無比とはまさにこの事だろう。ジュウゾーが一頭潰す間に音もなく魔狼二頭の頭に矢が生えた事実から見てもより驚異的なのは彼女の技術だ。


 結果的にはゼータは手を出す暇さえなかったのだろう。

 それにしても個々人の戦力が恐ろしいのは今更だが、このパーティの連携は見事なものだった。


「みんなご苦労ご苦労。いやぁヴィルのおかげで断然余裕だったな!」

「いや、なんでアンタが一番エラそうなのよ」

「戦闘、勝利、我々、賞賛!」


 そしてイクスはと言えば本当に戦闘には一切関わらなかった。

 リエル達もイクスの登場に半眼を向けているが、そこに悪感情は無く気安い調子だ。

 本当にこれこそがいつもの光景なのだろう。


「ひとまず運用はうまくいってますけれど、ヴィル様の方は負担はございませんか?」

「ああ問題ない。もともとソロの予定だったんだ。分散できるだけで助かっている」


 リエル達と同行することになった俺だが、《宵の明星》に加わったわけではない。

 どちらにせよ、完全に連携の取れているパーティーに俺が参加したところで足を引っ張る未来し見えない。

 その為、戦闘時の運用はあくまで別個。

 互いの行動を邪魔しない事を前提に敵をある程度分散させ、負担を減らすだけに留めている。


 ただそれだけでもこちらとしては十分に助かっている。

 正直、魔狼クラスの敵でも一対一ならばいくらでも戦いようはある。

 ただこれが三頭、四頭と同時に相手取る羽目になればどうにもならない。

 戦いとは結局のところ質ではなく数なのだ。


 ただし圧倒的に規格外な存在は除く。


「それにしても凄い攻略速度だな。この調子でいけば最奥までそう掛からないと思うぜ」


 地図係マッパーも兼ねているらしいイクスが地図を広げる。

 迷宮の最短ルートが示されているという地図でこの存在だけでもかなり助かっていた。

 本来ならばグリント大迷宮では一層攻略するのに七日掛かってもおかしくはない広大さを持つのだが、この地図に従って寄り道せずに進めば一日での攻略も不可能ではないだろう。


「とりあえずは予定通りまっすぐ進むって事でいいんだよな?」

「そうね、どう行動するにせよフロアボスの存在は確認しておいた方がいいわね」

「こちらも方針はそれで構わない」

「ふむ、じゃあ地図通りに進んで、前層と同じようにフロアボス手前の広場で休憩だな」


 くるくると地図を丸めるとそれでいくつか枝分かれした道行のひとつを指し示す。

 グリント大迷宮攻略完了まで残りわずかだった。


 ●


 拍子抜けというべきか、結局あの後の俺達の道程は順調そのものだった。

 もしも俺一人だけで探索を続けていたら危ういシチュエーションは多かったが、《宵の明星》の適格な援護もあって問題なくフロアボス付近の広間に辿り着くことができた。


 俺にとっては周知の事実ではあるが、居る筈のない魔王と出遭うことがあるわけがない。

 当然ながら残る最大の障害は最下層のフロアボスのみ。

 油断する事は出来ないが《宵の明星》の助力があればそこまで危険視する相手ではないだろう。


「《灯火》」


 今は最後の休憩という事で交代で火の番をしているところだ。

 先ほどまでゼータと共に魔法の訓練を続けていたが、やはりと言うべきか発動の兆しは訪れなかった。

 そうこうしているうちに交代の時間とのことで彼女は残念そうにしながらも簡易テントへと戻っていった。


 今は一人、ゼータから習った法術の練習中。

 《灯火》は《発火》の発展形の法術で基本的な原理は同じだ。

 ただ一瞬で燃え広がる《発火》と違って《灯火》は炎を中空に維持しなくてはならない。


 当然ながらその制御は難解になる。

 イメージするのは燃焼石のような発火性のものではなく、太い薪や炭のように長く燃え続ける固形燃料。

 そういう法理ルールを持つモノを精神力で形作るように意識する。


 今、手のひらの上には拳大の炎の塊が浮いている。

 その維持にはかなりの意識集中を強いられる。

 熟練した法理士ならば無意識下でも複数の《灯火》を維持する事が可能だそうだ。


「おつかれ、ヴィルくん。法術の訓練は順調そう?」


 だが俺の場合、声を掛けられ集中が乱れた瞬間灯火の炎はあっという間に消え去った。

 先は随分と長そうだ、焚火を挟んで体面に座ったリエルに肩を竦めてそう応えておく。


 休憩がてら抽出しておいたコーヒーをカップに注ぐ様子を彼女は興味深げに見詰めていた。


「飲んでみるか?」

「ダイヨウコーヒー、だっけ? なんだか凄い色合いだね。美味しいのソレ?」

「個人差はあるな。だが眠気は消える」


 コーヒーは元の世界でイチローが愛飲していた飲み物らしい。

 この世界には原料が存在しないらしく、なんとか再現できないかと様々な植物や豆類で色々と試した結果できたのが今のレシピだ。


 苦みが強く、初めて口にした時は驚いたが幾度か口にする内に慣れてしまった。

 そのうち、味や香りが気に入り俺も愛飲するようになった。

 だがイチローに言わせるとあくまで代替品で、本物の品質には遠く及ばないらしい。

 叶うならばいつか本物のコーヒーとやらを飲んでみたいものだ。


 リエルが手を差し出してきたので小さなカップにコーヒーを注いで渡してやる。

 恐る恐るといった様子で口にしてみるが案の定渋面を浮かべていた。


「にぎゃい……」

「まずは香りを楽しんでみる事だな。ミルクを入れると飲みやすくなるぞ」

「あ。ほんとだ。いい香りね。嗅いでるとなんだか落ち着く……」


 互いに暫くの間コーヒーの味を無言で楽しんだ。

 だがやがて意を決したようにリエルがこちらを見据えて語り掛けてくる。


「あのね、ヴィルくんは、その、どうしてこのダンジョンに来たの?」


 どう本題を切り出すのか迷っているのだろう。

 どこかしどろもどろな様子のその問い掛けに、一度頭の中で回答を整理してから答えた。


「主目的は修行の為だ。少しでも強くなるためにこのダンジョンに潜りに来たんだ」

「それは、前に話していた魔法の師匠さんと一緒に」

「ああ、そうだな。八階層で別れる羽目になったが今頃どうしていることやら」


 こちらの答えが予想外だったのか、リエルの表情に驚きの色が混じる。


「師匠さんは亡くなったわけじゃないの?」

「消息不明ではある。だがヤツがそう簡単にくたばるとは思えん」

「そうなんだ、それは……良かったね。本当に良かったぁ」


 こちらの答えにリエルはあからさまに安堵した様子だった。

 それが単純に俺の師匠の安否を慮ってのことか、それとも既にある程度の目途がついているからか。


 先刻までのリエルは明らかにこちらの事情を詳しく聞かないよう気遣っていた。

 だが今はそこにあえて踏み込もうとしている。


「ねぇヴィルくん。ヴィルくんの師匠さんは大魔王ローなの?」

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