法術を習い始めました
「《発火》」
宙に手のひらを向けたまま呪文を唱える。
ゼータから教わった事をそのままなぞるのならば、対象空間に炎の要素を書き加える感覚がコツなのだという。
はじめは何を言っているのかサッパリ理解できなかったが、ゼータの教え方は上手かった。
「ヴィル様は焚火を熾す場合どうされますか?」
「基本的には燃焼石を使うかな。手持ちがなければ火打ち石を使ったりもするけど」
「燃焼石にはどうやって火を付けますの」
「…………金属質のものかザラザラしたやすりに擦り付ける、かな」
「良い答えですわ。つまり摩擦による発熱で可燃物を発火させている、わけですわね」
法術においても理論は同じなのだという。
つまり同一の
「法術の場合、可燃物は法力になります。おそらくは魔力、精神力などとも呼称されるもの。自身の内に流れる力の流れ。古代魔法を使えるヴィル様ならすぐに理解できると思いますわ」
確かに、己の身の内に流れる精神力に関しては扱いなれている。
《グラオム》や《ペリオール》を発動する際に使うものと同じだ。
それが燃えるものであるという前提のもと、目の前の空間に放出するイメージで広げる。
「あとは燃焼石に火を付けるときと同様、摩擦に代わる切っ掛けによって法力を燃え上がらせる――それが、」
《発火》というスペルと共に、何もない中空に突如して炎が生まれた。
轟と噴き上がった一抱えほどの大きさの炎は、しかし宙に生まれた時と同様一瞬で消え去る。
残ったのは僅かな熱気の残滓だけだ。
「この短時間で《発火》に関しては問題なく発動できるようになりましたわね。あとはこれらを基本に規模が小さくても長く維持できるように調整すれば《灯火》、更にそれを射出する事が出来れば《火矢》と言った応用に使えますわ」
言いながら掌の上に棒状の炎の塊を作り出し、それを壁に向かって射出する。
威力は抑えているのだろうが、激突した箇所は黒い焦げ跡と共に削れていた。
人体に直撃すればただでは済まないだろう。
一連の動作が淀みなく極自然に行われたことが彼女の実力を物語っている。
「法術っていうのは凄いな。魔法と違って随分と応用が効くものなんだな」
「私としては魔法を使えると言うだけで驚きなのですけれども……」
そう言いながら何かを思いついたのか、ゼータはそのままこちらへと身を寄せてきた。
距離はおよそ一歩分。結構な至近距離だ。
「そうですわね。ではちょっとした手品をお見せしましょうか」
「手品?」
「ええ、ヴィル様。もう
ゼータの意図する事が解らず、困惑するものの大人しく指示に従い宙に向けて右手を掲げる。
既に《発火》の発動に関しては失敗する恐れはない。
「《発火》」
そう思っていた。だが何も起こらない。
二度、三度と続けて試みてみるが発動の兆しがまったくない。
驚きのままゼータをみれば、やはり彼女は楽しそうに微笑んでいた。
「これは、ゼータが何かしているのか?」
「ご明察ですわ。先もお話しした通り《発火》は指定した空間に満たした『燃焼する法力』を燃やす事で効果を発します」
手振りで促されたので改めて《発火》を発動する。
今度は問題なく炎が一瞬で宙に燃え上がって消えた。
「では、そこに燃焼しない法力。例えば水の
「《発火》」
炎は発生しない。おそらくゼータが自身の精神力を同一空間に展開しているのだ。
こちらが展開した精神力が中和されているのだ。
「これは、凄いな。相手の法術を阻害できるのか」
「あくまで手品ですわ。これを為すには相手の法術の種類や規模などを推測しなくてはなりませんし、何よりも発動範囲の関係でお互いにかなり近づいていなくてはなりません」
発動前の精神力は基本的に無色無臭の気体のようなものだ。
それを発動前にどういった特性を持っているのか察する事が出来なければ上手く中和することはできない。
なるほど、確かに実戦で使うのは難しいだろう。
ゼータのような凄腕の法術士が相手ともなればその発動速度はまさに一泊の間だ。
実際問題としてこの至近距離でわざわざ中和を試す暇があるのなら攻撃に転じた方が遥かに効率がいい。
「馴れるとこういうこともできるという実例ですわね。ヴィル様は法力の運用が驚くくらい淀みがありませんから、この辺りもすぐにできるようになると思いますわ」
「そういうものなのか? ゼータの指導が凄いんだと思っているんだが」
「それもありますわね」
悪戯げに微笑むゼータだが、彼女が非常に才覚溢れる法術士である事はひしひしと実感している。
それと同時に、彼女に報いれない現状が非常に申し訳なってくる。
先の騒動の後、イクス達はそれぞれ休息を入れる事になった。
ただしゼータと俺は疲労もそこまでではないこともあって、それぞれの訓練に勤しむ時間となった。
ゼータの指導は先に示した通り、的確なものだった。
手始めに習う単純な法術とはいえ既に《発火》の発動に成功しているのは、けして俺の才能などではないだろう。
対して並行して行っていたゼータの魔法の習得状況に関しては惨憺たる有様だった。
もちろん原因は俺の教え方が悪いからだ。
そもそもにおいてイチローの教え方が感覚派のそれだったのだ。
指導の経験もなければ、今まで呪文発動までのプロセスなど微塵も考えていなかった俺は「なんとなく」「こういった感じで」などの曖昧な比喩表現ばかりの指導に終始する事となった。
当然ゼータの魔法発動の兆しはまったく感じられない。
自分は順調に法術を扱えるようになっている事実がより申し訳ない気持ちを加速させる。
基本的に俺は搾取される事が嫌いだ。
自分から不当に何かを奪おうとするモノには断固として抗うと心に決めている。
だが客観的に見て、今それを行っているのは俺自身だ。
その事実が暗澹たる思いを抱かせていた。
「先にも言いましたが、習得できなくてもそれはそれで構いませんわ。こうして実演して頂けるだけで非常に勉強になりますわ」
ゼータ本人はそう言ってくれるが、これはあくまでこちらのスタンス上の問題だ。
このまま引き下がるわけにはいかない。
「《ペリオール》」
とはいえ意気込みだけで効果的な指導ができるわけでもない。
今はとりあえず魔法を実演し、それに対しゼータが質問を投げかける形で修業を進めていた。
ゼータの全身が淡い光の輝きに包まれる。
すでに幾度も《ペリオール》を重ね掛けしている為、目を見張るような効果は無い。
それでもゼータは感慨深げに自身の身を包む光に魅入っていた。
「それにしても便利ですわね。不浄を消し去るんでしたっけ?」
「ああ、ただし俺の場合はまだ未熟だから汚れや埃を消すだけだ。師匠の場合は疲労や毒なんかも浄化できていたな」
「それは……本当に凄まじい性能ですわね……非常識というかなんというか」
呆れたように呟くゼータ。
俺にとってイチローの一挙手一投足はどれもこれも非常識でデタラメだったので馴れているが、あらためてトンデモな奴なのだと思い知らされる。
なにせ
「発動に関してはタマシイを見る、と仰ってましたけど臓器などではないのですよね?」
「ああ、形あるものじゃあない。生き物それぞれの中心に在るモノだ」
魔法を発動する際、多くの場合は『魂』もしくは『ステータス』と呼ばれるモノに干渉し、その情報を読み取る。
魂の情報は肉体にも反映される。
そうする事で不浄を消すのが《ペリオール》の仕組みだ。
俺はイチローから『魂』が生き物それぞれに存在するものだと教わった。
そういうものだという前提で修業を行ったため、『魂』の観測にそれほど苦労した覚えはない。
ただゼータ曰く、そもそもこの世界の住人にとって魂という概念が存在しないそうだ。
当然ながら存在しないものを観測することはできない。
俺がもう少し『魂』というものを論理的に説明できれば観測の一助になるのだろうが、そもそも俺自身よく解っていないものをうまく説明なんてできやしない。
結果的にゼータの魔法習得は暗礁に乗り上げている状態だった。
「おはよー……貴方たちまだ頑張ってたのね……」
どうしたものかと頭を悩ませていると、仮設テントから姿を現したリエルが目を擦りながら声を掛けてきた。
実演ついでとばかりに俺はそちらにも手のひらを向ける。
「《ペリオール》」
「わっ、びっくりした。ああ、でもこれやっぱり凄いわね。なんだか眠気も消えて意識がハッキリしたわ!」
「馴れると後が怖くなりますわね。それよりも、そろそろ出発ですの?」
確かに休憩時間としては十分だろう。
できるのならば精神衛生上ゼータの魔法習得に目途が付くまで続けたいが、こちらの都合に合わせる訳にもいかないだろう。
そうしている間にも続けてカイがやけに充足した様子でテントから出てきた。
「そうね、それじゃあそろそろ探索再開と行こうかしら。カイ、起き抜けついでにイクスを叩き起こしてちょうだい!」
いまだ寝ているジュウゾーを起こしに向かうリエル。
即席パーティによるグリント大迷宮攻略がついに始まろうとしていた。
そんな様子を見て、ふと思った事を呟く。
「なんだかこうしてみるとリエルがこのパーティのリーダーみたいだな」
「え? みたいもなにも一応私がこのパーティ《宵の明星》のリーダーよ」
冗談半分ながらも、リエルは心外といった様子でこちらを睨め付ける。
確かにイクスの実力が飛び抜けているからと言って、必ずしも彼がリーダーである必要はない。
「ヒドいなぁヴィルくん、私ってそんなに頼りなく見えたの?」
「そうだったのか、すまない。てっきり俺はイクスがリーダーだと思っていたんだ」
俺の一言にその場に居た全員の目が点になった。
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