12-2 「運命の番」

 結局、野菜はほとんどアキト一人が洗い、ケンシロウは水遊びに夢中でちっとも仕事をしなかった。

 付き合い始めた当初からそうだが、アキトはすっかりケンシロウの尻に敷かれている。

 昔のアキトであれば、「生粋のα」としてのプライドから、そんな情けない自分に嫌悪感を抱いただろうが、「生粋のα」でないことがわかり、可愛いケンシロウ相手に大人気なく目くじらを立てる気も全く起きない。


 だが、アキトにはどうしても気になることが一つだけあった。

 俺のΩのお袋って、今どこで何をしているんだろう。


 α母であるサチは決してアキトに嘗ての番であったΩ母の消息を語ろうとはしなかった。

 ケンシロウを引き離そうとする両親の横暴に耐え兼ね、急いで実家を出て来たアキトにはじっくりとサチと話し合う時間もなかったため、今でもΩ母の行方は知れぬままだ。




「アケミさん、野菜全部洗い終わりました」

「ありがとう」

 アキトが洗い終えた野菜の入った籠を厨房に運び込むと、アケミがそれを引き受け、テキパキと夕食の準備に取り掛かる。

 アケミのそんな働きぶりを見ていると、歳を理由に龍山荘の女将を退こうとしているのが俄かには信じられない。

 そもそも、そんなに歳という訳でもなさそうに見えるのだが……。


「アケミさん、どうしても龍山荘の女将を引退しないといけないんですか?」

 アキトは忙しく立ち働くアケミの背中に向かって尋ねた。

「ええ。そのつもりよ」

 アケミは小気味よい包丁の音を立てながら、サクサクと野菜を刻んでいく。

「でも、アケミさんはまだまだ元気そうに見えるし……。それに、そんな引退を考えるような歳でもないでしょう? 俺とケンシロウが従業員として入った訳だし、一緒に頑張っていけば何とかやっていけるんじゃないかと思うんですが」

「それはわたしが若く見えるっていう誉め言葉として受け取ってもいいのかしら?」

 アケミはふふっと小さく笑った。

「え、ええと、それは……」

 アキトは女性を相手にこういう時どういう反応をすればいいのかわからず、口ごもってしまう。


「なんだなんだ? アキト、アケミさんに色目でも使ってる訳?」

 いつの間にかケンシロウも厨房に入って来ており、アキトに茶々を入れた。

「色目? バカ言うなよ」

 アキトはブスッとしてケンシロウに言い返す。

 ケンシロウはアキトの反応を面白がってさも可笑しそうにキャッキャと笑った。

「ダメだよ、アキト。オレがアキトにとっての唯一無二の運命の番なんだからね」

 アキトは顔を真っ赤にして、照れ隠しのためにわざとらしく咳払いをしてみせた。


 そんな二人のやり取りをニコニコしながら訊いていたアケミだったが、ケンシロウが「運命の番」というワードを口にした瞬間、それまで忙しく動かしていた手を止めた。

「アケミさん?」

 少しの間ボウッと上を向いていたアケミにアキトが声をかけると、アケミははっとした顔で我に返った。

 再び厨房に包丁の音が響き始める。

「いいえ、何でもないのよ」

 アケミはわざと明るくそう言うと、ちょうど刻み終わった野菜をボウルの中にまな板から一気に開けた。


 そんなアケミをケンシロウはじっと見つめながら、探るように一つの問いを発した。

「ねぇ、アケミさん。もしかしてアケミさんにも運命の番がいたりして?」

 それを訊いたアケミの手が再び止まった。

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