5-5 可愛いやつ
大学のキャンパスに足を踏み入れるなど、これが人生で初めての経験であろうケンシロウにとって、ただの学食といえども物珍しい場所であるらしい。
あちこちをキョロキョロ見回して実に興味深そうに観察している。そんな姿もいちいち可愛くて仕方がない。
「ただの食堂なんだけどな。何か面白いものでもあったか?」
アキトが苦笑しながら尋ねると、ケンシロウは目を輝かせてアキトを見上げた。
「これが大学って場所なんだなって思ったら全てが新しいよ。こんな場所で大学生はご飯食べてるんだな」
「まぁ、全員が全員ここで飯を食ってる訳じゃないけどな。弁当を持参するやつもいるし、学外のレストランに行くやつもいる」
「そんなに自由なの?」
「ああ。高校生までとは比較にならないくらいな」
「へぇ。楽しそう」
ケンシロウは無邪気にはしゃぎながら、今度はメニューを見て感嘆の声を上げた。
「すごい! カレーもラーメンも何でもあるよ! 見て見て。ケーキまで売ってる! 何でも屋さんみたいだ」
「何でも屋さんはよかったな。何でも好きなものを頼め」
さっきからアキトの目元は緩みっぱなしだ。
「やったぁ! じゃあ、オレ、かつ丼食いたい!」
そう言ってケンシロウはピョンピョン飛び跳ねている。
「サイズはどうする?」
「もちろん、Lで!」
「おいおい、食い切れる量にしておけよ」
「アキト、オレのことバカにしてるだろ? アキトより小さくたって胃袋は大きいんだ」
プクッと頬を膨らませて文字通り膨れるケンシロウのまた可愛いこと。
ここは、ケンシロウの思う通りのサイズで注文してやるべきだろう。もし食べきれなかったら、残りはアキトが食べてやればいいだけだ。
「わかった。他に何か欲しいものはないか?」
「えーとね、フルーツヨーグルトめっちゃうまそうじゃない? あ、チョコレートケーキもいいな! シュークリームも欲しい!」
「待て待て。さすがにそんなに甘いモノ食ったら腹壊すだろ」
「だって、こんな場所、もう二度と来れないかもしれないし」
実に残念そうなケンシロウの表情を見ていると、無下に頼むなとも言えない。だが、明らかにデザート全種類を頼むのは無理がある。いくらアキトが手伝うといっても腹を痛くしそうだ。
「なら、いつでも来たい時に来ればいい。俺は毎日ここに来ているし、昼飯くらい奢ってやるから」
「え、いいの?」
ケンシロウは目をキラキラさせてアキトに抱き着いた。
毎回昼食を奢るのはさすがに厳しいとは思い直したが、どうもケンシロウの無邪気な可愛さを見ているとついつい見栄を張りたくなる。
「ま、まぁな」
苦笑しつつアキトが頷くと、ケンシロウは「ありがとう」と言ってニッと笑いかけた。そして、
「じゃあ今日はフルーツヨーグルトだけにしておく」
と言って盆を手に取り、他の学生たちに混ざって列に並んだ。
厨房のおばちゃんに注文を出し、料理を受け取り、会計を済ませる。
そして、空いている席に二人で座ると、ケンシロウは手を合わせて「いただきます」をした。大きなスプーンで口いっぱいにかつ丼を頬張る。
「うめぇ!」
本当にうまそうにかつ丼にがっつくケンシロウを見ていると、アキトまで幸せな気分になって来る。
ただの学食の何の変哲もないかつ丼だ。それだけでこんなに喜べるケンシロウは何とも天真爛漫で愛らしい。
ケンシロウと過ごす時間は何とも心が落ち着く。愛らしい彼のそばにいるだけで心がほんわか温かい。
やっぱりアキトはケンシロウに合わせる顔があるかどうかなど関係なく、ただ一緒にいたいのだ。
それが今のアキトにとっての一番の幸せなのだ。
そんな単純なことを今になってやっと気が付く。
「俺、ケンシロウのそばにこれからもいていいかな?」
ケンシロウを前に、アキトは自然と心の奥底に抱えていた望みが自分の口をついて出たのだった。
こんな風に自分の意志を身構えることもなく表現出来たのは、アキトにとってこれが初めてだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます