1-9 忘れられない美貌

 アキトはあのΩの痕跡を全て消し去るかのように、念入りに身体を洗った。汚らわしいΩと肌を重ねた事実が少しでも薄くなるように。

 だが、身体を洗えば洗う程、心には重くΩと番が成立してしまった事実がのしかかる。


 Ωと番が成立した場合、αは責任をもってΩを引き取り、結婚しなくてはならない。

 自分だけの都合で一方的にΩとの番を解消することも出来るが、そうなるとΩは悲惨だ。

 もう二度と番となったα以外の者を受け付けない身体になったまま一人放り出され、強烈な発情期に悩まされるようになる。

 番の成立を逃したΩが服用するものよりも更に強い薬に頼らざるを得なくなり、心身共にボロボロになりながら残りの余生を過ごすしかなくなるのだ。

 このようにΩの人生を完全に狂わせてしまうため、番の解消は社会的にはタブーな行為であるとされている。


 だが、今でも番となったΩとの関係を解消するαは多い。

 特に子どもになかなか恵まれないα同士の夫婦は、Ωとの番を結び婚外子を設ける場合が多い。

 ところが子どもが生まれた段階で、Ωとの番関係は邪魔になる。

 α同士の夫婦は、どうしても自分の子どもをα同士の親で設けたものにしてしまいたいものだ。


 それに、Ωと婚外子を設けるためだけに番を作ることも、公になればひんしゅくを買う。

 αは自分の社会生活を優先させるため、Ωと繋がっているのは何重もの意味で足枷あしかせになる。

 だから、子どもを引き取った後、Ωとの番関係を解消してしまうのだ。


 しかしその事実を公にされては困るので、Ωの生活費を援助したり、仕事をあっせんしたりと、後の人生まで面倒を見ることでαたちはみつに成立した番の解消を行っているのだ。

 つまりは口止め料をΩに支払って黙っていてもらうという訳だ。


 一方のアキトには、あのΩを養う金などない。

 社会的地位もない。

 そもそもΩと番が成立したこと自体、家族に受け入れてはもらえないに違いない。

 最早アキトの人生は八方ふさがりだ。


 一体どうすれば……。

 アキトは深い溜め息をついた。


 このまま姿をくらませておけば、あのΩとの番関係など無視したまま人生を歩めないだろうか?

 どうせ行きずりの相手だ。

 やつに連絡先すら与えてはいない。

 これでどうやってアキトを探し出せるというのだろう。

 ならば、このままじっと静かにしておけば、番が成立したことを隠したまま、平穏人生を歩むことも出来るのではないか。

 アキトはそんな都合のいいことを考えた。


 だが、ベッドの上に横になりながら、アキトの脳裏には何度もあの美しいΩの姿がよぎった。

 ずっと汚らわしいと思って避けて来たΩにあんな美しい男がいたなんて。

 まさに絶世の美男子だった。


 このままアキトがあのΩを捨てれば、あいつはどうなってしまうのだろう。

 打ち捨てられ、強烈な発情期にむしばまれるまま衰弱して死んでいくのだろうか。

 それとも、大量の薬を日々服用しながら、やつれてあの美貌を失っていくのだろうか。


 アキトの心がチクリと痛んだ。


 でも、そんな心の痛みをアキトは必死にかき消した。

 別にΩなどがどうなっても構わない。Ωなんて存在はただの「人もどき」でしかない。

 それに相手はアキトを強引に番にしようとしたとんでもない輩だ。

 そんなやつにかけてやる同情の余地などない。


 そもそも連絡先も知らないのだから、会おうと思って会える相手ではない。

 必死になって探し出すまでの相手でもない。

 忘れよう。忘れなければ。

 アキトは目をギュッと瞑って何度も「忘れろ、忘れろ」と繰り返すのだった。

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