1-8 立ち込めるフェロモンの香り

 アキトは慌ただしく家族と共に住んでいるタワーマンションのオートロックを解除し、高速エレベーターに乗り込んだ。

 アキトたち家族は、港区の高級タワーマンションに住んでいる。

 プールやトレーニングジムも完備されており、数多くの芸能人や一流企業の重役たちも住む都内の一等地だ。


 先程まで熱く絡み合っていたΩのフェロモンの香りはいまだにアキトの身体に纏わりつき、室内に入ると余計にその甘ったるさが凝縮され濃厚になる。

 このような場所に住む者はαに限られており、Ωのフェロモンの香りなど、この建物の中では異質なものだろう。

 

 他の住人とすれ違うことなく、アキトが自宅の前まで辿り着くことが出来たのは幸いだった。

「おかえりなさい……。まぁ、アキト! なんて匂いをさせているの?」

 帰宅したアキトを出迎えた母サチが鼻を抑えて叫んだ。


 奥から父サダオも顔を出す。

「なんだなんだ? 一体何の騒ぎだ?」

 だが、サダオもすぐに鼻を抑えて顔をしかめた。

「これは! アキト、どういうことなのか説明しなさい。Ωと関わりを持ったのか?」


 アキトは咄嗟に首を横に振って嘘をついた。

「違うんだ! 今日は大学院の新入生の歓迎会で、新宿二丁目に行ったんだよ。そのせいで、あの街の香りが服についてしまっているんだ」

「新宿二丁目だと?」

 サダオは渋い顔をした。

「あんなΩが集まる穢れた街で飲み会など、一体お前の指導教授は何を考えておるんだ」

「オカダ先生は二丁目のΩたちとも分け隔てなく仲良くしたいと考えていらっしゃっていて……」


「仲良くだと? フンッ。偽善者の大学教授が。本当は貞操観念が緩く、遊びに行きたいだけだろうが」

 サダオはオカダを鼻で笑った。

「αに生まれた者は、Ωのような低俗な人間と悪戯に交わるべきじゃない。あんな連中とつるんでいれば、こちらまで汚染されてしまう。アキト、いいかね? これからはどんなに指導教授に誘われようが、新宿二丁目での飲み会など断りなさい」

「……はい」


 こんな父親相手に、Ωと新宿二丁目のクルージングスポットで番になったなど言える訳がなかった。

 Ωと関わりをもつことだけでも、ここまでの嫌悪感を示されるのに、番が成立し、しかもその場所がクルージングスポットだったなんて……。


 クルージングスポットで番を成立させることは、世間では軽蔑の対象だ。

 誰彼構わず尻を差し出すΩ相手に、αともあろう者がだらしなく下半身を許したと見做されるからだ。

 クルージングスポットでは安易な番の成立を防止するため、Ωは首輪の着用が義務付けられているのはそのためだ。

 また、αとしても、コンドームを着用し、番成立とならずともやみにΩを妊娠させて後にトラブルとならぬよう配慮するのは当たり前のマナーだ。


 ところが、いつの間にかあのΩは首輪を外していた。

 アキトにコンドームを渡すでもなく、すぐにでも自分を生で犯すようにやつは彼を誘惑したのだった。


 図られたとアキトは思った。

 番が成立すれば、もう激しい発情期に晒され、命を縮める心配もない。

 それに番となるαを手に入れたΩは玉の輿に乗ったと羨ましがられ、その相手によってはその辺のαよりもずっといい社会的地位を手に入れることが出来るのだ。

 だからこそ、あのΩはわざとアキトとの番成立を図ったのだろう。


「早く、シャワーでその匂いを落としてらっしゃい」

 サチに急かされ、アキトはシャワーを浴びることにした。

 こんな忌々しい匂いなど早く落としてしまわなくては。

 アキトはいつもより何倍も入念に身体に石鹸を滑らせるのだった。

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