1-7 成立してしまった番

 その時だ。

「おい! お前ら、こんな所で何をやっているんだ!」

 Gentlemanのスタッフらしき男が数人飛び出して来て、強制的に二人を突き放した。

 アキトは男に羽交い絞めにされながらも全力で暴れた。

「放せ! こいつは俺のものだ。俺たちを邪魔するな!」

 その時、男の拳がアキトの顔面を強打した。

 アキトはもんどりうって床に投げ出される。

 鼻血がつうっと上唇を伝った。


 その感覚にアキトはやっと我に返った。

 俺は一体何をしていたのだろう……。


「お前ら、いい加減にしろ! ロッカールームで行為を始めるなんて、他の客に迷惑だろうが!」

「なぜαのお前はコンドームをしていない? Ωのお前は首輪をしていない? コンドームや首輪なしでの行為は施設内では禁止になっているだろ!」

 スタッフの男たちが口々に怒鳴っている。

 コンドーム?

 首輪?

 アキトは未だ寝起きのようなボウッとした頭で男たちの怒鳴り声を訊いていたが、はっとして自分の股間に目をやった。

 先程まで夢中であいつと繋がっていた時、アキトはコンドームなどつけていなかった。

 やつの方を見る。

 すると、やつはスタッフに怒られながらも、ニヤリとした表情でアキトを見つめていた。

 彼のうなじには、アキトの歯形がくっきりとついていた。


 アキトはブルブル震え出した。

 番の成立。

 αがΩのうなじに噛み痕を残すことで起こるもの。

 番が成立したΩは一生をαに捧げるかのように、それ以降は番となったαのみを追い求めようになるという定め。

 αは責任を持ちΩと一生添い遂げるというのが、この社会における常識となっている。


 だがΩなどと交わり、番になるなど、「生粋のα」としての誇りあるアキトが最も嫌っていたことだ。

 俺はαの妻を娶り、幸せな家庭を築くはずだったのに。

 こんな性的衝動など理性で抑え込み、αとしての威厳を失わず生きていくはずだったのに。

 見ず知らずの行きずりのΩのフェロモンに当てられ、理性を失い、あろうことか新宿二丁目のクルージングスポットなどで番を成立させてしまうなんて……。


 それにコンドームをつけずに行為をしてしまった。

 発情期のΩとセックスをすれば、Ωは必ず妊娠をする。

 幸い、絶頂には達していない。

 でも、アキトの股間の先端からは、その強烈な興奮からとめどなく透明でねちっこい蜜が滲み出していた。

 その中には少なからず自分の精子も泳いでいたことだろう。


 アキトは恐怖と絶望に打ち震え、そのまま荷物をまとめると、乱れた服を直すのも忘れてクルージングスポットから飛び出した。

「おい、まだ話は終わってないぞ!」

 Gentlemanのスタッフがアキトの背中に向かって怒鳴っているが、もうそんなものに構ってはいられなかった。

 おしまいだ。

 アキトの人生は二十七年間で終わったのだ。

 輝かしい「生粋のα」としての人生は。


 いつしか雨は上がっていた。

 じめっとした雨上がりの不快感がアキトを包み込む。

 膝が笑い、今にも倒れそうになる。

 心臓がバクバクと大きく波打ち、息が上がる。


 いくら逃げても無駄なことくらいわかっていた。

 どんなに遠くに逃げようとも、今自分が犯してしまった過ちから逃れることは出来ない。

 あのΩと番を成立させてしまったという事実からはどんなに手を尽くしても逃れることは出来ない。

 それにもし、あのΩが妊娠でもしていたら……。

 アキトはまだ大学院生の身。安定した職もないアキトに子どもなど育てられるはずもない。

 そもそも、Ωとの間に子どもを作ったなどということが両親に知られたら、ニカイドウ家から絶縁状を叩きつけられてもおかしくない。

 もう、これら全ての事象からアキトは絶対に逃れることは出来ないのだ。


 それでも、今は一メートルでもあの忌まわしい新宿二丁目から遠くに逃れたかった。

 アキトは汗だくになりながら、これから襲って来るであろう恐ろしい事象を振り切るかのごとく、雨上がりでじめっとした空気の立ち込める夜の新宿の街をただひたすらに駆けて行くのだった。

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