第21話 やっぱりあなたは変わっていない

「やっぱり……」


 彼女の手の中にある白い粒。

 この国ではあまりなじみのない穀物。カリス。


白米はくまい……」

 シトエン嬢の口の端から言葉が漏れる。


「ん? なんですか?」


 おれは小首を傾げる。聞きなれない単語だ。カリス、じゃないのか、その穀物は。ハクマイ? だけど、シトエン嬢は明確に答えず、顔を上げた。


「これ、脚気かっけだとおもいます」

「脚気?」


 ヴァンデルの柳眉が寄る。


 脚気、とは。

 おれを含めて全員がそんな顔をしていた。

 シトエン嬢は背を伸ばし、おれたちを見まわす。


「ビタミンB1が不足することで起こる病気で、全身の倦怠感、食欲不振、足のしびれや浮腫むくみ、感覚麻痺を引き起こすんですが……。悪化すると、心不全や脳障害も起こします」


 まくし立てるが、いくつもの戸惑う視線に取り巻かれ、「ええっと」とシトエン嬢は唇を噛んだ。


「このカリスって食べ物は、脱穀し、精米するでしょう?」


 そうなのか、とヴァンデルがマーダー卿に目で問う。マーダー卿だけでなく、リーゴも、ぶんぶんと首を縦に振った。


「その時に、身体に必要な栄養素が、処理されてしまっているの。この穀物は、あの、ぬか部分に、ビタミン要素……。えーっと。大切な栄養分とかが含まれてるんです」


「じゃあ、その食べ物をお腹いっぱい食べても、栄養素的には偏っている、ということか?」


 首を傾げるおれにに「その通りです」と指を突き立てられた。褒められたのだろうが、糾弾されたようで、ちょっと怖い。


「カリスを食べ続けていて、慢性的にビタミンB1が不足しているところに、干物の魚でお腹を壊し、潜在的な栄養素までごっそり体外に排出されてしまった。体力が落ちて、食事は進まない。だけど、必要な栄養素は入ってこない。そして、脚気の症状は進み、とうとう、脚気心かっけしんを起こした。結果的に、心不全で亡くなる人が続出し、現在も悪化の一途をたどっている人もいる」


 ……ちょっと、正直、彼女が何を言っているのか……。

 おれだけじゃなく、男どもはだいたい困惑顔だ。


 そんなおれたちを置いてけぼりにし、シトエン嬢はリーゴに顔を向ける。


「だけど、あなたは、奥さんが作ったスープを飲むことでビタミンB1を補給できた」


「スープ……」


 ナタリーが呟く。「豚と、玉ねぎの……」。シトエン嬢は力強く頷いた。


「豚肉にはビタミンB1が豊富だし、玉ねぎとにんにくを併せることによって、吸収率がかなり上がる。ぎりぎりのところで、ご主人の身体は踏ん張れた」


「……この人、治りますか……?」


 ナタリーは麻袋を放り出し、リーゴに抱き着いた。シトエン嬢は微笑んで見せる。


「一緒に、頑張っていきましょう」


 途端に嗚咽を漏らし、泣き始めた。リーゴもそんな妻の背中に手を回し、目に涙を浮かべている。


感染うつらない、ってことなんですね?」


 マーダー卿が念押しをする。

 そう。大事なのはそこだ。


「感染しません」

 シトエン嬢が力強く応じる。


 ほ、と。

 誰よりヴァンデルが身体中の力を抜き、ため息を吐いた。


「ありがとうございます。領民に成り代わり、お礼申し上げる」


 その声がわずかに震えていた。

 いや、そうだよな。領内で感染症が発生したかもしれないと思ったら、それぐらい悩むよなあ。


「いえ、とんでもない。わたしはわたしの出来ることをしたまでです。それよりも」

 シトエン嬢は、おれたちひとりひとりをしっかりと見つめた。


「わたしは、あなたがたに敬意を表したいです。恐ろしかったでしょうに……。わたしの言葉を信じて、ついて来てくださいました。王子」


「は? え?」


 急に呼びかけられ、おれはたまげたが、ナタリーとリーゴが、「王子!?」と素っ頓狂な声を上げた。


「共感したとはいえ……。未知の症状を示す患者の手を握り、励ますなどなかなかできることではありません」


 ほめられているのかな、と嬉しくなったのに、シトエン嬢は少しだけ睨むようにおれを見る。


「ただ、無謀ではありますよ」


 すぐに凹んだ。すんません。その様子を見て、シトエン嬢がくすり、と笑う。


「わたしは病を多少治すことができますが、人間性を治すことはできません。あなたの優しさや、寛容さに、本当に感服いたします」


 ……やっぱり、ほめられているのかな、とヴァンデルを見る。


 やつは、「けっ」という顔をしていた。


「のろけは外でやってくれ。さあ、さっさと出るぞ」


 言い放ったヴァンデルに、おれは笑ったのだが。

 その背後で。

 シトエン嬢が小さな声で言った。


「やっぱり、あなたは本当に変わっていない」と。


 なんだろう、と振り返るが。

 シトエン嬢は視線を逸らしてなにも言わなくなってしまった。

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