第14話 もっと好きになっていいですか?

 シトエン嬢は枕を落とすと、ベッドに膝立ちになった。


 寝衣の襟もとを結ぶ紐を緩め、ほどく。


 布で包まれたボタンをみっつほどはずし、彼女はゆっくりと胸元をはだけた。


 正直。

 必死に平静を取り繕ったが。


 内心は、心臓ばくばくものだった。


 アリオス王太子が嫌い、一部からはと別称されるほどだ。


 腕や首、ふくらはぎには刺青など見えないが、服で隠されたところにはどれほどの刺青がほどこされているのか。


 本当に。

 ぎょっとするようなものなのか。


 額に滲みそうになる汗を堪えていたのだが。


「……え。これ?」


 あっけにとられて、ついティドロス語になってしまった。


 シトエン嬢が言う通り。

 胸の真ん中にそれはあった。


 というより、少し右よりか。

 胸のふくらみのきわ、というか。


 そこに。

 桜の花びらのような形のものが二つ。双子星のように並んでいる。大きさと言えば、小指の爪ほどの大きさだ。


 色は青。アクアマリンのような色で彩色されていた。


「これが、竜紋りゅうもん?」 

 茫然とシトエン嬢に尋ねてしまう。


 彼女はこっくりと頷く。


 真面目な顔で。

 真剣な表情で。


 いまにも泣き出しそうで。


 だけど、おれの表情を見逃さないように、目線は決して離さない。


「これ、アリオス王太子は見たのか?」

「いいえ。申し出はしましたが、拒否されました」


 声の硬さに、そのときの彼女の辛さが想像できて、しまった、と焦った。


 余計なことを言うんじゃなかったと、思うと同時に。

 莫迦ばかなんじゃないか、あの男、と心の中で罵った。


 竜紋を勝手に自分で想像して、見もせずに、勝手に怯えて。

 それで、こんな可愛い娘を傷つけて。


「……え、っと……」


 おれは意味もなく声を発し、それからまじまじと竜紋と呼ばれる刺青を見る。


 想像とだいぶん違う。

 言うならば、このうろこの刺青がこう……、全身に施されているとおもったのだ。


 おびただしく、びっしりと。

 多分、だがアリオス王太子も同じことを想像し、嫌悪したのだろう。


 可哀そうに。


 こんなもののために、彼女は衆人の前で恥をかかされ、傷つけられ、二年もの間、他国で辛い日々を送ったのだ。


 気づけば、そっと指を伸ばし、その竜紋に触れる。


 当然だが、温かい。

 つるりとした肌感には、ざらついたところも気味の悪いところもない。


 指に力を入れ、押してみると、ふわ、とやわらかい。親指でぐい、と撫でつけたが、さすがに刺青だ。消えはしない。


 ただ、歪みもしなかった。

 ぴんと張った肌に、それは貼り付くというより、自然にそこにあった。

 なんだか不思議な気持ちで、掌全体で包んだ途端。


「あ、あの……っ」


 素っ頓狂な声が間近で上がって、まばたきをする。


「あ、あの…………っ」


 目の前には、ゆでだこのように顔を赤くしたシトエン嬢が、泣き出す寸前の顔でおれを見て、言葉を潰えさせていた。


「……………………え」


 一方のおれはというと。

 右手で、彼女の胸をわし掴みし、ガン見しているわけで。


「す、すすすすすすすすすすすすすすす、すいませんっ!」


 飛びすさった拍子にベッドから転げ落ち、後頭部を強打した。「がふんっ」と呻いてうずくまる。


 だけど、手の感覚が全く消えてくれない。


 柔らかくて、すべすべしていて、ふわふわしたあの手触り。

 途端に、もろもろいろ大変になってきた。


「大丈夫ですか!?」


 声と一緒に、わさわさわさ、っとベッドを這って来る音がするから、慌てた。


「来ないで、来ないで! ちょっと今、大変!」

「どこかお怪我を!?」


 いや、ちょっと下半身が、とは言えず、ひたすら大丈夫を繰り返し、とにかく、丸くなる。


 丸くなって、しこたま打った後頭部を撫でた。

 よかった、こぶにもなっていない。


「いや、ほんと、失礼しました……」


 ベッドの下に身を隠すようにして詫びる。

 見て、って言われただけなのに、なんで触ったんだ、おれ。ばかばかばか。


「わたしこそ、急に大声を出したりして……」


 恥じ入るように声が小さくなるから、恐縮するしかない。ばかばかばか。おれのばか。


「あの……。それで」

「ん?」


 どこか、ぴんと緊張にみなぎった声がベッドの奥から聞こえてくる。

 だいぶん、いろいろと落ち着いたので、もぞり、と顔だけ起こした。


 ベッドの上には、もう襟元を整えたシトエン嬢が、両膝を折った変な座り方をしている。膝に悪そうだ。


「あの……、気持ち悪く、なかったですか。竜紋」


 真剣に問われ、ぼん、とまた一気に顔が熱くなった。もう、必死になって右手を振って感覚を振り払い、あわあわと唇を震わせておれは答える。


「まったく、問題ないというか……。その。気持ち悪いの反対って、なんていうんだか」 


 意味のわからないタニア語を話し、やっぱりまた、ベッドの上に上がれない。


「いま、近寄ってこられたら確実に襲う自信がある」


 顔も身体も真っ赤にして言うと、その熱が今度はシトエン嬢に感染うつったらしい。

 もう、足の指まで湯気が上がりそうなほど真っ赤になって、枕を抱え、ベッドの対極に移動してしまった。


「……………その、おれのこと嫌いになった?」


 しょぼくれて尋ねると、ぶんぶんと首を横に振られた。ふよふよと銀色の髪が揺れる。場違いなほどきれいで、見惚れるほどだ。


「王子のことをもっと好きになっていいですか?」

 

 真っ赤になってそんなことを訪ねて来るから。

 ぶんぶんとおれは首を縦に振る。


 本当なら抱きしめて彼女にキスをしたいのだが、そもそもこんなみっともない姿を見せられないし、キスどころで済みそうにないので、ここはじっとベッド下で耐えることにする。


「よかった」

 芙蓉の花がほころぶように笑う。


 くそおおおおおおおおおおお。

 超かわいいのに、なんで手を出しちゃいかんのだああああああああ。


 なに!? なんなの!! おれ、なにを試されているの!!


 おれはがばりと床に這いつくばる。もう、ごろごろ横転しまくりたい気分を、ここでも耐える。ベッドの上からは、「王子?」「大丈夫ですか?」と何度も問われた。


「大丈夫。もう少ししたら、ベッドの端っこで寝るから。おやすみ」


 うつぶせて答える。顔がみられない。

 おれはその五体投地の姿のまま、ひたすら経文を唱えた。今こそ無になれ、おれ。


 そんなことを考えていたら、わさわさわさ、とやっぱり衣が擦れる音がする。


 シトエン嬢がベッドを移動しているのか、潜り込んで寝ているのか。

 そんなことを考えていたら、不意に、頭の後ろをなにかが触れた。


「え?」

 驚いて顔を上げる。


 紫色の瞳と目が合った。

 シトエン嬢がベッドの端っこに移動し、おれと同じようにうつ伏せになって手を伸ばしている。なでなで、とおれの後頭部にふれていた。


「痛いの、痛いの、とんでいけ」

 にっこり微笑んでそんなことを言う。


 この娘は、神か、悪魔か。


 おれは「ありがとうございます」と言って、やっぱりしばらくうつ伏せで耐えることにした。

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