002 最下位は遅れてのスタート


 天職:『仕立て屋』


 圧倒的に情報が不足している中で、まず思考するのは与えられたこの一文だ。職業を指すその言葉は、ゲームに例えるならジョブのようなものだろう。仕立て屋というのは、衣服を裁縫し、製作する職業のことを指す。当然、戦闘に何ら役に立つ訳では無いが――。


「――これか」


 あのぬいぐるみの言葉を思い返しながら、救いを求めて学生証を取り出した。


 特性:『針仕事』 針と糸を取り出す。また、それらの扱いに長ける。

 

「これだけ……?」


 まるで説明になっていない。慌てて荷物を確認するが、針や糸のようなものは見当たらなかった。アイテムとして支給されているわけではないらしい。


 ――!!!!


 先程の食人鬼が、必死にイツキの姿を探している。どうにか身を隠すことに成功したが、見つかるのは時間の問題だろう。焼けた森は、身を隠すには少し視界が広すぎる。隠れている間にどこかへ行ってくれるのが一番良かったが、あの執念深さだとそれも難しい。


(身体能力は、あの化物のほうが遥かに上だ。だけど、知恵があるわけではないらしい。上手く立ち回れば、時間は稼げそうだが……)


 せめて、何か役に立つ道具があればと、強く唇を噛み締めたそのときだった。


 針と糸が、イツキの目の前に浮かび上がる。先程まで存在していなかったものが、音もなく突然現れたのだ。


「……そういうことか」


 針と糸を、自分の意志一つで取り出すことが出来る能力――!


 仕立て屋の名に恥じない、最低限の職人道具だ。これがなければ、始まらない。


「クラス全員に、こういう天職が割り振られていて、役割分担を強制させているんだな。ということは――」


 天職の構造を把握したイツキは、ぬいぐるみの説明を思い出しながら、理解を進めていく。


 ――!!!!


「っ!!」


 隠れていることも忘れて、ぶつぶつと独り言を口にしていたイツキは、当然のように見つかってしまった。食人鬼は躊躇うことなく、イツキに噛み付こうとするが――


「――それは、悪手だな」


 身を乗り出して襲い掛かる食人鬼は、まさか反撃を受けるとは想定していなかったのだろう。今も尚燃え盛る木片を握りしめ、迎え撃つように食人鬼の喉奥にぶっ刺した。


 ――ギャァアアアアアア!!??


「ちっ、この程度じゃ仕留めきれないか……!」


 喉奥に木片をぶっ込まれて尚、食人鬼の殺意は衰えることを知らなかった。何としてでもイツキを喰らってやろうという姿勢は、まるで獰猛なゾンビのようだ。


「なら、次の一手を試すだけだ」


 強烈な一撃を加えられたことで、優位性を確信したイツキは、特性のテストに取り掛かる。


「実験その1」


 手のひらの上で針を生成したイツキは、そのまま投擲武器として食人鬼めがけて放つ。何か補正でも掛かっていたのだろうか、思いの外まっすぐに、グールの首筋に突き刺さった。


 が。


「残念」


 全く意に介さない様子で、イツキを喰い殺さんと迫り来る。ノーダメージ。


「……針は針だな。ちくっとするだけで、武器としては使えない」


 貫通する程の強度もなければ、威力もない。あくまで縫合するための道具である。


「実験その2」


 食人鬼から逃げながら、焼けた森の中にクモの巣のように糸を張り巡らせる。糸はいくらでも生み出せて、簡単に操ることが可能だった。


 ――!!!!


 上手いこと糸の網に引っかかった食人鬼は、その行動が糸によって阻害される……と、思いきや、半ば強引に糸を引き千切り、呆気なく拘束を脱出する。やはり、あくまで生産職としての特性らしい。


「実験その3」


 単発の力が足りていないのであれば、重ねて合わせてみればどうだろうか。一本は弱い糸でも、束ねて圧縮すれば一つの『ロープ』となる。


「――今度のは、思っているよりも丈夫だよ」


 食人鬼から逃げながら、仕込みを済ませたイツキは、敢えて身を晒すことで挑発する。


 ――!!!!


 一直線に襲い掛かる食人鬼。踏み込んだその一歩こそが、イツキの狙いだった。俗に言う、『くくり罠』と呼ばれる、獲物の足首にくくりつけ、捕獲するための罠が仕掛けられていた。


「今だ!」


 罠に踏み込んだ瞬間、糸を操作してくくり罠を起動する。


 ――ギャァッ!???


 足首を捉えたくくり罠が、思いっきり締め付ける。足を取られた食人鬼は、その勢いのまま頭から大地に転倒した。


「まだだっ……!!」


 虚を突いて、上手くいった。しかし、しょせんは糸を束ねただけのもの。冷静に対処されれば、簡単に破壊されてしまう。くくり罠の先は、焼けた森の大樹を経由して、また別の木に結ばれていた。罠にかかったことを確認したイツキは、すぐに反対側のロープを握りしめ、渾身の力で引っ張った。


「――うおおおおっ!!!!」


 テコの原理を利用した、片足逆さ吊り。バランスを崩した食人鬼は、空中で藻掻きながら逃れようとするが、その状態では抵抗することすら許されない。しばらくの間、食人鬼は何度も空中を泳ぐように暴れるが、次第に抵抗する元気もなくなったのか、ぐったりと項垂れてゆく。


「……転生直後のイベントにしては、ハードすぎるっての……」


 タロットカードのハングドマンを思わせる、逆さ吊り。先程、イツキの手によって喉を抉られていたこともあって、ひたすらにグロかった。


 『仕立て屋』の特性を確認しながら、何とか対処に成功する。生まれて初めて制作した罠にしては、奇跡的に上手くいった。やはり、天職の影響なのか、糸や針を介して選んだ行動は、ある程度の補正がかかっているのは間違いないだろう。そうでなければ、素人が簡単に逆さ吊りを仕掛けられるとは思えない。


「……しかし、こいつらの仲間がやってくる気配がなかったな」


 逃げる際に、なるべく同じところをぐるぐる回るようにしていたことが、功を奏したのだろうか。それとも、単なるハグレモノだったのか。どちらにせよ、一刻も早くこの場から立ち去るべきだろう。


「……やば、疲労が……」


 全力疾走をこれほど続けたのは、いつぶりだろうか。それに加えて、神経も随分すり減らしてしまった。運頼みの出たとこ勝負だった。決して、確かな勝算があったわけじゃない。


「……まだまだだな、俺も」


 もっと上手くやれたと反省しながら、重たい身体を引きずって、焼けた森を進む。行動以上に感じる疲労度は、環境のせいだろうか。いや、それにしてはこの倦怠感は異常だ。


「能力の代償か」


 実験と称して、随分と無駄に能力を発動してしまった。どうやら、生成できる糸にも限界があるらしい。歩きながらも、イツキは冷静に状況を俯瞰する。考えることをやめてしまえば、嫌なことばかり想像してしまう。


「……はぁっ、はぁっ……」


 焼けた森を抜けて、ようやく普通の森に辿り着いた。大きな樹の幹に背中を預け、へたり込む。生い茂る緑がイツキの身体を隠してくれるが、それでも安全とは言い難い。言い難いが……背に腹は、代えられない。


 薄れゆく意識の最中、現実世界の光景を思い浮かべた。温かい食事、柔らかなベッド、快適な自室。今まで当たり前のようにあったものの有り難みを懐かしみながら、まどろみに沈んでいく。



 ◆



「――おい、大丈夫か?」


 ぱしん、と。

 乾いた音と痛みとともに、イツキは目を覚ました。


「……っ!?」


 気絶したように眠っていたイツキを取り囲む、幾人かの人影。衝動的に飛び退いたイツキは、戦闘態勢を取る。


「……大崎、だよな?」


「あ……」


 そこでようやく、人影の正体に気が付いた。


「……えっと、お仲間さん?」


「当たり前だろ! 良かった、やっぱりまだ遭難しているクラスメイトがいたんだ!」


 梅木壮哉。サッカー部所属、運動神経に恵まれた、爽やかなニ枚目の好青年である。性格はとても気さくで、誰に対しても優しく接し、交流関係はとても広い。同性はもちろん、異性からの人気も非常に高かった。


「大崎、生きてたー?」


 朝ご飯を確認するような気軽さで、もう一人の人影が声を上げる。


 丹羽里穂。帰宅部所属、特にこれといって強い特徴のない平凡な女子だが、案外、小狡いところがある。コミュニティでの立ち回りが非常に上手で、常に強者の近くを確保する強かさが特徴。良い意味でも悪い意味でも、近ごろの女子だ。


「生きているに決まってんだろ。ほら、大崎、肩を貸そうか?」


「いや、大丈夫……ちょっと、体力を使い果たしただけだから……」


 丹羽里穂はともかくとして、梅木壮哉と合流できたことはイツキにとって僥倖だった。カースト順位によって能力が割り振られているのであれば、彼は相当に順位が上のはずである。


「変な生き物に襲われて……死物狂いで逃げてきた。何とか返り討ちにしたが、正直、ギリギリすぎて……」


「……化物って、あのゾンビみたいな奴? え? ウソ、大崎、意外と強いんだ?」


「だぶん、そう。エグいくらい動きがキレてたけど、知性はなかったから罠に嵌めた」


「単独で食人鬼を倒せるなんて、頼もしいな。悩んでいたんだけど、やっぱ助けて良かったよ」


「……え?」


 ――ぞわっ、と。


 言いようのない悪寒のようなものが、イツキを襲った。


(こいつ、今、なんて言った? 助けて、良かった? それじゃ、まるで――)


 ――


「あ、そういや、大崎」


 丹羽里穂が、笑顔で質問する。


?」


「…………」


 瞬間、膨大な量の思考の渦が、イツキの脳内に展開された。


 動揺するな、考えろ、理解しろ、相手の思惑は? さっきの言葉は? 正直に答えるべきか? ウソは可能? 学生証がある! 偽証は不可! いや、見せなければ? 失くしたことに? 矛盾が生じたら? 適当なことは、口にできない――!!


「……一応、二人の方から聞かせてもらっていい?」


「あたし? あたしはねえ」


 にしし、と笑顔を浮かべて、学生証を見せてくれる。


「丹羽里穂、9位。天職『炎術士』だよーん」


 もう片方の手で、炎の渦を生成する丹羽里穂。イツキの想像よりも遥かに強力な天職に、冷や汗が流れ落ちる。


「んでね、壮哉は――」


「――梅木壮哉、2位。天職は『勇者』だよ」


 躊躇うことなく、学生証を披露した。嫌味もなく、悪気もなく、とても自然に、そして迷いなく答えてくれる。まるで、勇者であることが当然であるかのように。


「ゆ、勇者……」


「……それで、大崎は?」


「俺は」


 ぎゅっと、唇を噛み締めて。


 ――彼らは、自分を助けてくれた。


 冷静に、俯瞰して、考えよう。協力することは、とても自然なことのはず。彼らだって、まだ異世界に転移して間もないはずだ。自分が考えているような展開にはならないはず。


 信じて欲しいのなら、まずは自分から信じるべきだ。彼らは、躊躇うことなく情報を晒してくれた。クラスメイト同士、手を取り合って生き抜かなければいけないのだから。


「――大崎イツキ。30位、天職は『仕立て屋』だ」


 正直に、開示した。しかし、彼らのように学生証を見せることはしなかった。これが、最大限の譲歩である。


「……仕立て屋?」


「あー、なるほど、そっち系かぁ。食人鬼を返り討ちにしたって言ってたからさ、てっきり戦闘職かなーって……」


 丹羽里穂の反応は、なんとも微妙だった。しかし、悪くはない……よな? 期待していたものとは違うだけで、特別な感情は見当たらない。


「……そっか」


 にっこりと梅木壮哉は笑みを浮かべていた。


「生産職で食人鬼を退けるなんて、凄いな。もしかしたら、貴重な戦力になってくれるかもな。今度の襲撃の、エースになってくれたら助かるよ」


「……戦力? 襲撃 何のことだ?」


「決まってるだろ」


 疲弊した表情が、何かを物語っていた。イツキと壮哉の間で、致命的に何かがずれている。それを間違えれば、命取りになるかもしれない。


「――夜になったら、俺たちを殺しに魔族が攻めてくる。命懸けの、サバイバル生活だよ」


「え……?」


 ――何かがおかしい。


 会話の内容をもう一度思い出して、違和感の正体を探る。素早い思考回路が、すぐに答えに辿り着く。


「梅木……お前らがここに転移してきて、……?」


 夜を経験した口ぶりに、今度という言い回し。今日転移してきた自分とは、まるで噛み合わない会話の内容。そこから導き出されるのは、


「――10。大崎だって、同じだろ? いや、本当に……よくそんな弱い天職で、あの地獄を生き抜いてきたよ。それだけで、戦力として期待できる」


「……っ!!!」


 それは、イツキにとって、おおよそ最悪の回答だった。


「頼りにしてるよ、大崎」


 ぽん、と。

 肩を叩かれて、追い詰められるイツキ。


「足手まといを、仲間に加えるわけにはいかなかったから」


 無秩序で理不尽な終末世界が、牙を剥き出しに待ち受けていた。

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