第69話 100分deフェミニズムって……
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
さて、いつものようにNHKプラスを見ていますと、昨日の夜、お正月恒例の100分de名著のスペシャル番組、「100分deフェミニズム」が放送されていたようですね。
フェミニズムかあ……苦手だなあと思って、番組は見てません。わたしは自分のことを普通の男性だと思っていますが、普通の男性にとって、声高にフェミニズムを口にする女性って怖いんですよね。わたしが普通にしてるのは、フェミニズムからしたら女性差別になったりするから。
番組は見てませんが、フェミニズムの「敵」のひとつは、まさにわたしの言うような女性たちを差別的な境遇に置いている「当たり前」や「常識」なんだろうと思いますよ。でも、「当たり前」を変えるって難しい。
わたしが半世紀生きてきて分かったのは、「当たり前」や「常識」が変わるには、20年くらいかかるということです。それも個人個人の意識は20年経っても変わらないですよ。ある集団の意識を形成する人たちが20年でようやく入れ替わり、その結果として集団の「常識」が入れ替わるって感じです。個人の考えは変わらないですね〜。
わたしは、フェミニズムを正しいことだと思ってます。正しいと感じるからこそ、大上段に掲げられると怖いんですよ。反論できないから。
ただ、道理として正しいことと、人にとってより良いことが、ぴたりと重なるかと言うとなかなかそうではないと思うんです。
フェミニズムは女性に特有の差別的境遇をなくしてゆこうという議論が基本なんでしょうけど、それはもっと進めて考えると男性に特有の差別的境遇(「男なんだから」とか「男のくせに」ってやつ)も同時に解消する方向に働くと思うんですよね。ただ、こうした議論は「女であること」や同様に「男であること」安住している一定の人たちを置き去りにしてると思います。
――いや、特定の性的役割のなかに安住するなんて、性差別を助長する人たちはほっときゃいいじゃない。
フェミニストって、こんなふうに考えがち(ってわたしの偏見ですが)、実際に「おれ(わたし)は仕事だけ。家事、育児なんてまっぴら御免で〜す」とか「わたし(おれ)は外で働くの苦手なので、家で家事、育児だけします〜」でうまくやっている……あるいはそういう形でやらないとうまくやれない人たちが一定数いると思うんですよね。(現に、藤光は外で働きたくないタイプ。「男は働くべし」という性的役割が固定された常識がなかったら、働いてないと思う)
ちょっとわけ分からんこと書きましたが、フェミニズムの最後に「#Me too」ってあったじゃないですか。性暴力の告発はやったらいいと思います……が、わたしは男性なのでよく分かりますけど、生半可なことじゃ男性の性衝動は抑えられません。フェミニズムで男性の性衝動は抑えられない。そもそも理性の司る部分じゃないから。男の子が生まれたら、即時去勢するくらいしないとなくならないと思います。
だから、フェミニズムの考え方がもっと進むと、生殖と快楽としてのセックスは切り離されるんじゃないですかね。人の生殖から出生までは人工的な繁殖装置の中で行われ、人体から生殖機能は切り離される。愛とか絆とかとセットで性行為を語るから、性暴力に対する告発ってなかなかできないんですよ。セックスはゲームとしてのみ存続する。そうすりゃ、暴力的なセックスはすべて犯罪に問えるんじゃないですかね。
……なんか、新年そうそうSFチックで殺伐としたエッセイになってしまった。「100分deフェミニズム」見てみます〜。
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