第57話 この三年間で分かってきたこと
息子の小学校の音楽発表会がありました。
第一部から第六部まで、子どもも父兄もそのたびに入れ替えて、細切れに実施されました。コロナ禍のなか、密を避けるための工夫です。いまはどこでもこんな風にして運動会や音楽会は行われているのではないでしょうか。
合唱があったんですが、子どもたちはマスクを付けて歌っていました。息苦しいだろうに……大変だなあ、小学生は。
第八波がやってきいるようで、日本人がマスクを手放すのはまだ先のことになりそうですね。この三年間、マスクを付けすぎてて、あまり素顔が見れてなくないですか? 職場の同僚でもあまり付き合いのない人の素顔って知りません。職場以外のところで素顔で見かけてもわからないと思います(苦笑
この三年間、コロナと付き合ってきて、いろいろなことがありました。外国だとどうなのかわかりませんが、日本ではまだ主要メディアを中心に「コロナに対する警戒を解いてはいけない」と考えているようですが、それも地域や世代、職種などによって濃淡は
――いつまでマスクを付けるのか。
――ワクチンを打つのか、打たないのか。
――外出制限をなくすのか、なくさないのか。
――いつまでコロナ対策するの?
人によって考え方はバラバラです。マスクをいつまで付けるのかという事ひとつ捉えても、「もうつけなくていいよ」「いや、まだ付けるべきでしょ」と意見はまとまりませんし、どちらが正しいとか間違っているとか、白黒つけるのがとても難しくなってきました。
コロナ禍の三年間でわたしが思い知ったのは、「万人に対して、斉しく『正しい』ことなど存在しない」ということです。その人個人個人が置かれた立場や環境によって『正しい』ことは変わりうるし、違っていてこそ自然なのだと思うようになりました。
この国に一億二千万人の人が住んでいるとして、「コロナ対策」という大義名分を振りかざしてさえ、その全員に「同じ正義」を押し付けるのはどだい無理な話なのだと思うようになりました。「マスクをつけなさい」とか「ワクチンを打ちなさい」とか言われるのは、それが「正しいこと」だという前提があってはじめて有効になるわけですが……、諸外国ではもうマスクしなくていい国って多いんでしょ?
正しいって何?
Aさんとって正しいことも、Bさんとっては正しくないし、C国では正しいことも、D国では正しくないことになったりするわけで……正しいってなんだろう?
☆☆☆
なーんてことを息子の音楽発表会で、もやもやっと考えてたら、隣に座ってた奥さんは子どもたちの合唱曲の歌詞に感動して泣いてました。
「なんで泣いてるの?」
「なに言うてんの。めちゃいい歌やん」
すみません。息子の歌、聞いてませんでした。ま、いいや、このことをネタにエッセイ書こう――と思い、いま書き上げたところです。子どもの音楽発表会は、身を入れて聞いてないといけないですね~。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます